寒い。寒いのはダイキライだ。
●我が家のコドモたちは室内履きの靴下をはいて過ごしてる。

くつしたちん

●このカワイい靴下がいたく気に入ったらしく、連中はコレに名前をつけた。
●ノマドの白い靴下は「くつしたちん」と「くつしたちょん」。ヒヨコの黄色い靴下は「たったちゃん」と「たーたちゃん」。ボクの靴下にも名前を考えてくれた。「ぱっぱくん」と「ぱーんちくん」だ。


夕方には、ノマドとフリスビーに興じる。
●なんか今日は不機嫌で元気のないノマドに、一発気合いを入れるかと思って「ノマド、お庭でフリスビーして遊ぶか」と誘った。ノマドは親友ユウタくんと最近フリスビーに凝っていて、コドモ用の柔らかい素材のモノで遊んでいるようなのだ。

フリスビー

●ただしノマドが興味を持ってたのは、ボクの部屋にあるセブンイレブンのフリスビー。昔グアムに遊びにいった時、冗談で買ってきたノベルティもん。ボクはホントへんな買い物ばっかりしてるな。ノマドはこの「大人用フリスビー」がどんな飛び方をするのか興味津々だったのだ。確かにグアムから買ってきて以来、一度も飛ばして遊んだ事なんてない。「パパもコレがどうやって飛ぶか確かめたことはない。ノマドのフリスビーとどっちがよく飛ぶか調べてみるか」
●二つのフリスビーを息子ノマドと投げ合った。キャッチボールも2回くらいしかやった事がないロクデナシの父親であったボクは、実に貴重な時間を過ごしてしまった。会社に戻ればまた3~4年こんなコトもしないのだろう。
●結果としてたった10分で息が上がってしまった。肩が痛くなり、あわててクスリを飲んだ。40分ばかりグッタリ寝転がった。ホントに体力が続かない。困ったもんだ。ノマドは満足してくれたみたいだったけど。



とにかく寒い。寒いのはダイキライだ。
●今日も外出はしなかった。そして南国音楽に逃避する。島の音楽その2。


ハワイ音楽。
●一昨年イモウトが結婚して海外ブライダルとして旅行したのが初めてのボクのハワイ体験。ハッキリ言ってソレ以前までこの島のコトを見くびっておりました。芸能人が紅白出た後成田空港からポンポン遊びにいく島っつーイメージ。しかし実際に行ってみると、奥ゆかしい文化と歴史にふれてメチャメチャ楽しんだという印象。例によってクソみたいにCD買ったしね。現地で買ったお気に入りのCDを人に奨めようと、最近日本のアマゾンで検索したら中古で7000円くらいしてビビった。現地じゃ11ドルだったのに。ハワイインディーあなどれねえ。

「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES - HAWAIIAN MUSIC」

「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES - HAWAIIAN MUSIC」
●このディスクガイドシリーズ、ジャンルに拘らずほとんど全部買ってます。勉強になるんだもん。今回もハワイの歴史からその多様な音楽文化を丁寧に解説してくれててとても勉強になりました。
●とてもピースフルなハワイの音楽にも、カリブ海アフリカ系音楽と同じような政治闘争/文化闘争の側面がある。アメリカ植民地支配と伝統文化への弾圧だ。ボクはどうしてもそういうポイントに拘ってしまう。

ハワイの歴史をチョー簡単におさらい。
●かの有名なキャプテン・クックハワイ「発見」したのは1778年。この異文化との接触がキッカケになって、1795年、カメハメハ大王ハワイ王朝を起こす。しかし、続く19世紀はハワイにとってヨーロッパ列強からの様々な干渉によって混乱する厳しい時代になる。そして1898年。ハワイはアメリカによって政治的に併合される事となる。
●文字文化を持たなかったハワイ人にとって「フラ」は口承文学であり、儀式音楽である。アイヌにとってのユーカラみたいなモノといっていいのかな? 古代ハワイの価値観、美学は「フラ」の中に残っている。フラダンスに代表されるハワイ音楽特有の美しいハーモニーは、ヨーロッパ文明とともにやってきたキリスト教宣教師の賛美歌から着想したモノらしい。しかしキリスト教はハワイ古来の信仰を邪教として排除したのも事実だ。基本半裸だったハワイ女性は、野蛮だということで宣教師から服を着ろと強要された。それが現代ハワイの代表的衣装、ムームーの由来だ。19世紀の一時期にはキリスト教の立場から「フラ」そのものが禁止された。古代ハワイ文化の多くの部分がここで消滅した。世界史の中でキリスト教は不寛容な愚行を度々繰り返す。

ハワイの楽器。
ハワイでおなじみのウクレレは、ヨーロッパからの外来文化がハワイ化したものだ。ボルトガルの伝統楽器ブラギーニャというモノが移民を通じて渡来、これをハワイ流に作り直した物がウクレレだ。
●メキシコから移民してきた牧畜業者(カウボーイ)たちはギターを持って来た。しかしメキシコ移民の連中はギターこそ持って来たが、ギターのコード設定なぞは教えずに帰国してしまったから、ハワイの人々は自分たちで勝手にコードを作ってしまった。これもハワイ音楽の代表格、スラックキー・ギター、スティールギターの元祖となる。スラックキーとは「緩んだキー」という意味で、プレイヤーごとにオリジナルチューニングを編み出し、我流の音楽を作った。
●政治的独立を奪われて、宗教的自由も失ったハワイの人々は、移民のもたらす新しい楽器で新しい音楽を密かに培った。異文化との対立と習合が現代ハワイ文化を構成したのだ。

ハワイ文化の復興。
●20世紀に入ると航空技術が発達しハワイ航路が就航。アメリカ本土でハワイ観光ブームが始まる。1920年代~50年代は、いわゆる「エキゾチックで南国っぽい音楽やってよ」的ノリでハワイ音楽がステロタイプに押し込まれた時期だ。本来宗教的意味を持つフラダンスが、猥雑な見世物として消費された。最近でこそこの時代の音楽も再評価されようとしているが、矮小化されたハワイ文化は荒廃の一途をたどっていた。
ハワイ・アイデンティティが、地元の人々によって復興するのは1970年代からだ。世界的な潮流として帝国主義/植民地主義への反省が起こり、ローカルの文化が見直された時期だった。ハワイ語、ハワイ古来の文化やハワイで育った音楽が正当な評価をされ、息を吹き返した。1980年代にはレゲエなどの影響も伝播し、アイランドポップスと呼ばれる新しいスタイルも生まれる。1990年代には、ハワイ発祥のマリンスポーツ、サーフィンをバックボーンにしたアーティストも数々登場、サーフ系ライフスタイルを提示する。そして21世紀、ハワイ音楽はさらに進化を続けている。
●現代ハワイの人口比率の中で、純然たるハワイ系先住民はたったの7%弱しかいない。白人が24%、日系を含むアジア系が40%を占める。しかし人種を超えてハワイ文化は熟成されている。黒人じゃなければラップできないわけじゃないように、ハワイ文化もそれを尊重する者の前に大きく開かれており、新しいハワイ人によって推進されてる。それは素晴らしい事だと思う。

個人的新着ハワイ音源。

ROBI KAHAKALAU「BEST OF SISTER ROBI」

ROBI KAHAKALAU「BEST OF SISTER ROBI」1995-2001年
●彼女は、ドイツ人とハワイアンのハーフ。ドイツ生まれで少女時代をドイツで過ごすが、ハワイ文化にのめり込み90年からハワイでバンド活動を始め95年でソロデビュー。97年には「フラのオリンピック」とも言われる NA HOKU HANOHANO AWARD で最優秀女性シンガー賞を受賞した。
●このナ・ホク・ハノハノ・アワードハワイではスゴく重要なお祭りらしく、様々なジャンルのダンサー、ミュージシャン、アーティストが集まりテレビで大々的に中継される毎年のビッグイベントらしい。一度見てみたいもんだがチケットも熾烈な争奪戦でそうそう手に入らないという。何らかの賞にノミネートされるだけで、そのアーティストのCDには「NA HOKU NOMINEE !!」ってステッカーが貼られて平積みにされる。
●ドイツからやってきたというだけあって、彼女の音楽はマルチカルチュアル。オーセンティックなレゲエや欧米ポップスのニュアンスを取り込んだ作風で非常に聴きやすい。しかし軸にはハワイアンのスタイル(ハワイ語の歌詞だったり、美しいハーモニーワークだったり)がビシッと通ってて、リラックスして聴ける。ギターも上手。そして美人さん。3枚のアルバムをリリースしており、この日本企画盤ベストはその3枚の抜粋なのだが、コレ以降は音楽活動は休業、ハワイ文化の研究に専念しているとのこと。こうした新世代が未来のハワイを支えるのだ。

JAKE SHIMABUKURO「SUNDAY MORNING」

JAKE SHIMABUKURO「SUNDAY MORNING」2002年
●日本での知名度をグングン上げている天才ウクレレプレイヤー、ジェイク。彼は名前の通り日系人だ。ハワイ州の中で日系はなんと16%を超えるマジョリティだ。アロハシャツは今やハワイ人の正装だが、起源は日系人が日本の着物を素材にシャツに繕い直したコトだという。現代ハワイ文化には日本文化すらがタップリと溶け込んでいるのだ。
日系でありながら、日本語はほとんどダメ。(「ヨロシクオネガイシマス」とかのご挨拶はバッチリだけど…)生粋のハワイピープル。そんな彼はそのハワイの内側からウクレレを武器にハワイ文化の限界を押し広げたイノベーターだ。彼のウクレレのロック・アプローチや、クラシックギター、スパニッシュギター的なアプローチは、ウクレレの表現能力の可能性を広げたと思う。最近はナッシュヴィル・レコーディングを試みるなどメインランドでの活動も活発化。トレードマークのメガネはなくなっちゃった。LASIC しちゃったんだって!
●本作はそんな彼が日本デビューを果たしたファーストマキシ。日本で脚光を浴びたのは、ハワイ沖で起こった「えひめ丸」沈没事故に対しての楽曲を制作しチャリティを行ったのがキッカケだという。多彩な芸風はもうココで見えてますよ。

VARIOUS ARTISTS「DEF TECH PRESENTS JAWAIIAN STYLE RECORDS - WAIMEA」

VARIOUS ARTISTS「DEF TECH PRESENTS JAWAIIAN STYLE RECORDS - WAIMEA」1991-2006年
DEF TECH の登場は衝撃的だったねえ…。解散は返す返す残念だと思う。日本にいる百凡のヒップホップアクト、レゲエアクトを完全に突き放す圧倒的なオリジナリティだったもんね。職場の後輩が「アイツらヤバいっすよ」って教えてくれて、速攻で横浜HMVのインストアライブに行った記憶がある。サーフカルチャーというライフスタイルと、ジャワイアン(またはハワイアンレゲエ)というスタイルを、日本の一般大衆(紅白歌合戦出場!)に一気に浸透させた。立派です。
●で、彼らの選曲で編まれてるこのコンピもボク的にはハッとする新鮮な経験で痺れました。ハワイ現地では漠然と「アイランドポップス」ってカテゴリーで括られてて、正直よく見えなかったジャワイアン。それを分かり易く紹介してくれてる。
ジャマイカとハワイアンという言葉を単純に合体させてるようだけど、ハワイアンのユニークネスの光り方が違う。今のダンスホールレゲエにある刺々しさ、ルードボーイな野蛮さはココでは控えめ。平和と調和とサーフィン、美しいアコースティックギター(ウクレレ)がある。
MICRO OF DEF TECH のおススメは、爽やかな風を感じさせる美しい歌唱の青年 JUSTINVAN MORRISON のカバーまで収録してます)。ルーツレゲエに軸足を置く HO'ONU'A、BABA B もよし!PALOLO ってバンドのギターさばきがたまんない(MAN AT WORK のカバーしてます)。JAKE SHIMABUKURO も収録。そして DEF TECHJAWAIIAN MIX。こりゃイイ買い物したね。



次の島は、オキナワ。

チャンプルーズ

喜納昌吉&チャンプルーズ「喜納昌吉&チャンプルーズ」1977年
キャプテン・クックハワイ「発見」したのと似た意味で、喜納昌吉オキナワ音楽も本土の人間によって「発見」された。久保田麻琴と細野晴臣だ。この「発見」という言葉には皮肉を込めているんですよ。ハワイ喜納昌吉も最初っから確固たる存在を確立していたのだし、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したっつーハナシと同じようにナンセンスなことだ。「発見」される方から見りゃよけいなお世話だ。
久保田麻琴細野晴臣は、ご存知の通り、日本のロックのパイオニアだ。なんてったって「夕焼け旅団」「はっぴいえんど」だ。彼らは欧米の音楽を深く研究し、その周辺のルーツミュージック(ニューオリンズなどなど)まで研究し、ワールドミュージックまで到達した。細野さんの70年代は「トロピカル・ダンディ」「泰安洋行」などエキゾチックにご執心だったし、久保田麻琴ハワイ音楽に夢中になりつつあった。そんな彼らが世界を大きく迂回して、自分たちの足下にあった日本のエキゾチシズムに価値を見出した。それがオキナワだった。彼らによって見出されて、喜納昌吉&チャンプルーズは本土デビューを果たした。

●さて、当の本人、喜納昌吉は、沖縄伝統音楽の権威、喜納昌永の四男として生まれながらも、父親からの音楽教育をガンと拒んだひねくれ者。ベトナム戦争の中継基地オキナワ、死地へ向かう若き兵隊のヤブレカブレなドンチャン騒ぎに湧くコザの町に育った昌吉には、アメリカ文化はどう映ったんだろう。大学は中退、大麻所持でトッ捕まり、沖縄日本返還は刑務所の中で迎えた。
●自分が経営する民謡酒場を中心に、彼が鳴らし始めた音楽は、沖縄民謡をエレキ化してドでかい音に仕上げたバンドサウンドだった。沖縄民謡の大家の息子が伝統ある島唄を汚すか!と激しいアゲインストもあった。しかし彼の若々しいアイディアと不屈の反骨精神、カリスマ性が徐々に支持を集める。
●彼の最初のヒット曲が「ハイサイおじさん」志村けん「へんなオジさん」でギャグ化して、全国のキッズまでに普及したフレーズだ。でもその内容は沖縄の祝祭グルーヴをロック化したもの。リリックは第二次大戦でアタマがオカシくなっちゃったアル中のオッサンの話で、痛烈な風刺を織り込んでる。これに惚れ込んで久保田らは昌吉を本土へとフックアップした。
●現在の昌吉は民主党所属の参議院議員。参院第一党の国会議員だ。日本の辺境からやってきた彼は、今でもこの国の中央へグルーヴにくるまったエネルギーを送り込んでいる。


大城志津子

大城志津子「大城志津子の響ち 独唱集7」1971、1980年
オキナワ民謡酒場。ボクがそんな場所に行ったのは2002年の秋だった。
●この年の11月、沖縄海洋博記念公園の水族館がモデルチェンジして新装「沖縄美ら海水族館」が開館した。ボクは仕事でこの水族館オープンにちょっぴり関わり、この素晴らしい水族館をタップリ(裏側もコミで)堪能させてもらった。
●ここの名物は世界初で初めて人工飼育に成功したジンベイザメ。世界最大の魚類ジンベイザメがゆったり泳ぐ姿はホントに神々しい。飼育員さんが水面にオキアミを撒くと、ソレを吸い込むためにジンベイザメは水面に対して頭を突き出して、水槽の中で垂直にそそり立つ。5メートルもの巨柱が目の前で屹立する。生命の偉大さに畏怖を感じる瞬間だ。
●そんな楽しい仕事の合間に、沖縄現地のスタッフが那覇の民謡酒場に案内してくれるというのだ。ボクは酒が一滴も飲めないクセして、スタッフ一同と共にくっついていった。「民謡クラブ・ハンタ原」というお店だ。
●平日のちょい遅めの時間。お店に入るとガラーンとして誰もいない。えっ?営業してない?と思ったら奥から貫禄満点のオバちゃんがのそーっと登場してきた。「お客さんドコから?」…えーと東京です、民謡酒場ってどんなトコかな~とか思って…。「ああ、そう。」ボク完全に気圧されてます。オバちゃんはもう1人のオバちゃんと2人で一通りの料理とお酒(そしてボクにはシークワーサー・ジュース)を出してくれると、そのまま店の奥にあるステージに登って演奏の準備をし始めた。あ、このオバちゃんたちが歌ってくれるんだ…。
●オバちゃんたちは、自分たちでステージの照明をパチンとつけて、もぞもぞと楽譜らしきモノ(でも楽譜ではない)を用意し、三線を携えてスタンバイを整えた。ボクは多少なりともショーアップされたモノを期待してたので、このあまりに非ドラマチックな展開に大幅にズッコケた。このテンションのゆるさ。さっきまで「オリオン生で5人分と…」とかオーダーの話してた相手が、そのままヌルッとステージに上がって、それらしいキッカケもなく演奏が始まろうとしてる。オバちゃん「さて、お客さん。ナニから唄う?」え、ナニって聞かれても…分かんないっス。
●貫禄満点のオバちゃんは悠然としてて、ひたすらキョドるボクらを尻目に「それじゃコレいこうかね」とかいいつつ2、3曲早速ブチカマしてくれた。ただでさえ迫力満点なのに、唄い出すとそのボルテージはもっとスゴいものになった。しかしコッチにはリアクションの取り方も分からない。間の手の手拍子とか入れるモンかしらとか思っても、全然作法が分からないから、料理にも手を付けられずひたすら拝聴するしかない。
●オバちゃん「あー、そこの若い人」え、ボク?「あんた、こっち上がって太鼓タタキなさい」えーっ!できませんよそんなこと!「ダイジョウブよ、好きなようにタタケばいいんだから」好きなようにって…。「とにかく、ワタシらにあわせてトントンタタイてみんさい」ホントにトントン叩いた。トトントントンとか出来ればカッコいいかも知れないけど、出来ない。だってボク、ただ1人シラフだし。
●なんか知らんけど予想外の重苦しいプレッシャーの中で、2時間ばかりの演奏は終了した。さあホテルに戻る時間だ。オーダーをとり、飲み物食べ物を作り、そして唄を披露してくれたオバちゃんに、お勘定を支払った。ボク「あの、とってもオモシロかったです、やっぱ本物はスゴいなあと思いました」
●そしたらオバちゃん「あんた、島唄がオモシロいというなら、こういうのもあるよ」オバちゃんが出してきたのは、そのオバちゃん本人が唄い演奏したカセットテープであった。おお、そんなものがあるのか。2000円もした。おお。でも買っちゃった。おお。なのに家でカセット聴けない。完全にバカだね。その後6年ばかり寝かせられた上で、やっと今月初めて聴いた。それがこの作品だ。
●オバちゃん、いや失礼、この大城志津子さん、ネットで検索すると「沖縄民謡界のグレートマザー降臨!」と出てくるくらいのビッグネームだった! 7歳にして三線を手にし、今まで芸道一筋で歩んできた強者。しかも琉球民謡協会最高師範常任理事!マジ本物じゃん。
●拠点「民謡クラブ・ハンタ原」でのライブレコーディングでは、訥々としたMCなんかも入りつつ(「えー、今のはお客さんのリクエストでした○○というウタでした…」とか)、ボクが叩かされた太鼓が三線のグルーヴを増幅して奥ゆかしいエネルギーが生まれる。そこを滑るように唄いゆくグレートマザー。いや録音が1980年だからグレートレディぐらいなのかもしれない。最後は1971年の自宅録音という楽曲で締め。よりグルーヴィーでダンサブル。パーカッションに湯のみ茶碗を使うなど、現場感覚溢れるフィールドレコーディングの体裁をとってる。オキナワ、奥が深いぜ!


そして最後に、インドネシア・バリ島。

stsi-gamelan.jpg
ubud - gamelan

STSI (INDONESIAN COLLEGE OF ART)「THE CAMLAN MUSIC OF BALI」
SEKEHE GONG "SEMARA RATIH" UBUD - BALI「GAMELAN "SEMARA DANA"」
●ワイフのお父さんが、去年二回目のバリ島旅行に行った折、おミヤゲで購入してくれたものだ。ワイフがバリ島旅行(ボクは病気で不参加)で買ってきたCDは、ちとユルいポップスだったが、今回お義父さんは完全にオーセンティックなガムラン音楽を買ってきてくれた。これがもうドンピシャだった。
三木聡監督の映画「ダメジン」では、インドはいいよ~とそそのかされたバカ3人組が「インドってどんなトコ」といってインドネシア料理のご主人を困らせる。「『インド』ト『ネシア』ハゼンゼンチガウヨー!」そう、インドとネシアは全然違う。
インドネシアは1万7500もの島と2億4000万人の人口を抱える大国である。イスラム教人口は世界第一位、その一方で300以上の少数民族を抱える多民族国家。公用語はインドネシア語だけど、島によっちゃ全然通じねえくらい多様な文化がひしめく。もちろん物騒に独立運動してる地域もある。
バリ島が、ヒンドゥー教を信じる特殊な島だというのはご存知の通り。インドのヒンドゥー文化を独自に進化させてきた。ガムラン音楽もお隣ジャワ島の文化と結合した成果だ。青銅製の鉄筋や銅鑼を伝統的な特殊音階で鳴らす。
●昨今は人気リゾートのイメージが強いバリだが、ガムラン音楽をリゾートホテルのラウンジミュージック、癒し系音楽だと思われるのは大きな間違いだと思う。ボクの頭の中では、ガムラン音楽は、ミニマリズムな現代音楽から、フリージャズ、サイケデリック、ゴアトランス、そして THE VELVET UNDERGROUND までを連想させる。
●10年以上前に、ガムラン音楽を浅草の方のお寺の本堂の中でプレイするというコンサートを観に行った。30人ほどのインドネシア人演奏家が民族衣装を身にまとい、仏像の前で楽器をゾロリと並べた様子はホントに壮観だった。お寺というシチュエーションは音響的にも不思議に作用し、お線香の匂いがより感覚を研ぎすます。
ガムラン音楽は長い。CD収録曲も平気で10分越え、長いモノは20分越えする。ライブは40分間ほぼノンストップだった。30人の打楽器奏者がたたき出すリズムは複雑なポリリズミック構成かつ超高速ビートで、その意味では STEVE REICH のようなミニマリズムにも、テクノ/トランスにもつながってる。
●しかし、ガムランは海の風が突然その向きを翻すようにドラマチックに展開する。全然先が読めない。波のように大きく高まったり、さあっと潮が引くように静まったりする。この先の読めなさは、聴くモノにとって完全にフリージャズの感覚なのだか実は決してそうではない。どう見ても演奏家にアドリブを許すスキマはなく、完全なアンサンブルとしてカッチリ構成されているらしい。40分以上にも及ぶ演奏を楽譜も指揮者もなく、鉄壁のグルーヴを維持しながら、正確無比なタイミングでダイナミックなアンサンブルを成立させる。スゴい!
そして激しく打ち鳴らされる金属音。無数の鉄琴や銅鑼や金属製の太鼓とか、その他もろもろはみんなちいちゃなカナヅチみたいなモンで叩かれている。完全なアンプラグドだが、それは中途半端なエレキ楽器を凌駕するパワーを放つ。なんか知らんが、THE VELVET UNDERGROUND の代表曲「WHITE LIGHT / WHITE HEAT」を連想した。あの曲も無愛想にギターをガキガキ鳴らし続ける轟音ロックだ。
ガムラン音楽は、村人全員が演奏者として参加しないと成立しない大人数バンドで演奏される。つまり、地域のコミュニティが成立していなければ、演奏も技術の継承も成立しない。楽器も村それぞれでカスタムされたモノなので、お金に困って楽器一個でも売却されたら、アンサンブルが成立しないことになる。観光化することで、演奏家の村が演奏を続けていける環境ができれば幸いだ。2枚目のCDは観光客向けに毎週月曜の夜演奏会を行ってるウブドという村の音源だ。そうでもしなければ、出稼ぎなどの人口の流出、技術の継承者不足でガムランは滅びてしまう。
●一方で、国立大学のような場所でプロの演奏家を養成しているケースもある。それが一枚目だ。「INDONESIAN COLLEGE OF ART」がどんな教育機関かボクは分からないが、高等教育を受けたプレイヤーが新曲を書き下ろす機会もあるようだ。多民族国家の体裁を保つ上でも、多様な伝統文化を保護育成するのは国家の目的に沿うものなのだろう。
●とにかく、一度リゾートミュージックという偏見を取っ払って、ガムランに対峙してみて下さい。きっと新しい発見があるはずです。


●前回の「島の音楽その1」は下記のリンクです。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-337.html

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