今週は元の現場の若い女子と、たっぷり長話をした。
●最近は、病気の具合も良くなり、約束をして同僚とランチを食べるくらいはオッケーとなってる。で、メールをくれた後輩の女の子と昼飯を食べようと思ったわけだ。しかし、ちょっとランチのつもりが、4時間超に及ぶロングトーク。絶対カラダおかしくなるなと思いながらも、その子や仲間たちの近況を夢中になって聞いた。うれしかった。そのコは24歳。未来と可能性のカタマリ。彼女からエネルギーをもらえたのか、今朝の体調は何の問題もない。少しずつだが、ボクのカラダは回復している。
●一方で、34歳、痛みきったオヤジであるボクにも若い頃はあった。たいしてカッコいいもんじゃないが。今日はそんな話を。


家の中を整理してたらタイムカプセルが出てきた。
●高校時代から大学時代にかけて色々活動してた記録がたんまり入ってた。仲間で企画したイベントのフライヤーから、友達のライブハウス録音、自分が関わったラジオ番組、ビデオで作った映像モノ、文化祭で使った音効テープまで入ってた。
一番恥ずかしいのが手紙の束。高校当時にワイフからもらった手紙が恥ずかしい。そう、ボクとワイフは高校一年生、15歳の頃に知り合い、そのまま結婚してしまったのだ。ボク「うっひゃ~、あんたスゴいコト書いてあるよ」 ワイフ「ダメ!封印して!そうじゃなきゃアンタからの手紙も引っ張り出すよ!」えっ、ちゃんとボクの書いたヤツもキープしてんの?ハズカシい!
●やっぱ紙メディアは、温もりがあるね。そしてカタチとして残しやすい。メールは残らないからな~。笑っちゃうのが、高校時代や大学時代でもボクは友達みんなに心配されてる。どの手紙も「大変みたいだけど、カラダ壊さないでね」「バリバリやってるのはスゴいけど、頑張りすぎないで」とか。人生一貫して常にテンパッてるんだ。笑えるねえ。ボクの病気は根深いね。


そんで唐突ですがタイムワープ!1989年。
●そんなテンパリ人生の最初期を振り返ってみようと思います。1989年~91年。高校時代をボクは放送室で過ごしてました。……久しぶりにまた始まっちゃいます、ボクの超極私的音楽遍歴回顧録。タイムカプセル(といってもタダの段ボール)から吹き出した、ムダに長くて関係ない尾ヒレが付きまくる不毛な記憶。読むの止めるのなら今です。

●ちなみに、1986年~1988年のコト、桑田圭祐の音源&活動を語る事で、当時中学生だったボクが、いかに音楽にハマったか、という文章があります。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html
●続いて、1989年、平成元年前後に巻き起こった「バンドブーム」に注目した文章を、中学生から高校生にかけてのボクの記憶に絡めて綴ってます。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080106.html
1990年以降「渋谷系」カルチャーとその個人的な思いもまとめました。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
●今まで日本の音楽シーンを中心にこのシリーズを構成してきたんですが、ここで初めて海外のシーンを同時代でボクがどう捉えてたかというテーマにトライしようと思います。まずは最初に取り上げるのは、イギリスのロックシーン。
●今回も断っておきます。甚だしくハイパー冗長で、下らない内容です。大方の人々にとってほとんど利益のないボンクラ少年の物語です。どうぞご容赦を。



都立高校の放送室。
1989年、千葉県の中学校を卒業し、東京三多摩地区にあるノドカな都立高校に進学したボクは、なぜか「放送部」に在籍しておりました。音楽そしてロックが大好きになって、そんで好きな音楽を昼休みの弁当タイムに全校全教室に垂れ流す毎日。何ぶん毎日日替わりでお昼のBGMを供給するのですから、本当に様々な音楽に触れるキッカケになりました。ボクが現在もジャンルを超えて広く浅くたくさんの音楽を聴くスタイルは、ここから出発しているといえるでしょう。

●この頃のボク(当時15歳)にとって強力な音楽体験になったのは、下に記す二つのバンドとの出会いです。
THE STONE ROSES & THE BEATLES。ボクの目の前で90年代と60年代が邂逅した瞬間。

「セカンド・サマー・オブ・ラブ」
1989年。この年、イギリスでは「セカンド・サマー・オブ・ラブ」という言葉をキーワードに、新しい音楽が爆発を始めました。MDMA、俗称「エクスタシー」と呼ばれる新型ドラッグにアゲアゲにされた、レイヴカルチャー/ダンスシーンが盛り上がり、アシッドハウスという新型ダンスミュージックが開発されました。「テクノ/ハウス」という名前でカテゴライズされる90年代型ダンスミュージックのフォーマットが固まり、この年代を通じて多種多様なスタイルが生まれ、全世界に波及していくのです。
●ロックサイドでもコレに呼応する表現が台頭し始めました。「マッドチェスター」です。舞台はイギリスの地方都市の1つ、マンチェスター。この街で蠢いていたインディーロックシーンが、幻覚剤エクスタシーの多幸感とダンサブルなロックのグルーヴを武器に、全英を揺るがす影響力を持つのです。代表的なバンド名を挙げてみましょう。HAPPY MONDAYS、PRIMAL SCREAM、THE CHARLATANS U.K.、そして、THE STONE ROSES です。

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THE STONE ROSES「WHAT THE WORLD IS WAITING FOR」1989年。
●ファーストアルバム「THE STONE ROSES」で衝撃的デビューを果たした直後の、日本企画盤ミニアルバム。高校時代はカセットテープにダビングして死ぬほど聴きました。この前、下北沢の中古CD屋さんで380円という廉価で再会。即座に買いましたねえ。マンチェスターの先輩バンド THE SMITHS「THE WORLD WON'T LISTEN」なんてアルバムを出してたのに、コイツらはイキナリ「世界はオレらを待っている」と行く勢い。当たり前だけどアルバム「THE STONE ROSES」も激聴きしました。
今の感覚で言える彼らの特殊性は、ダンス/ロックを横断するこの時代独特のハイブリット性を持っていること。RENI によるシャッフル感溢れる繊細で変幻自在なドラミングと、後に PRIMAL SCREAM に移籍しバンドサウンドを激変させた MANI の強靭なベースプレイが唯一無比のグルーヴをうねり出している。そんで、ココにドコか飄々として、そして不遜なほど余裕シャクシャクな脱力ボーカルの IAN BROWN が乗る。彼はマイクをクネクネ振り回してフロアをあおり、自分もウットリと踊り続ける。とどめにギター、JOHN SQUIRE の存在。彼が描くメロディラインと正確なギタープレイは、まさしく英国ギターポップの正統派。ロックとダンスの結合が固定化しない前だからありえた独自のダンス/グルーヴ解釈、そしてUKロックの伝統との美しい融合が、彼らを伝説のバンドに仕上げた理由だと思う。
●特にここでは、テープ逆回転を幻覚的に使った曲「GUERNICA」が、尖った90年代的サイケデリック表現を備えていて目が覚める。

んで、高校生だったボクは、コレを初めて聴いてどう思ったか。
●おお、コレは現代の THE BEATLES ではないか! 当時15歳のボクは即座にそう反応した。この頃、ボクは THE BEATLES THE ROLLING STONESをムシャムシャ聴いていたのだ。
●前述の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」って言葉は、なんで「セカンド」なの?って思うでしょ。それはちゃんと一回目があるからです。最初の「サマー・オブ・ラブ」1968年。マリファナと LSD が新次元への知覚の扉を開くと信じて、サイケデリック実験が世界中で行われた年。THE BEATLES は前年の1967年に傑作「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を発表。音響面において最前衛実験と美的統一感を両立する事に成功し、「サマー・オブ・ラブ」のど真ん中に屹立してた。BRIAN JONESもまだ THE ROLLING STONES を脱退してなかったし、プールで溺れ死んでもいなかった。

THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND」

(THE BEATLES「SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND」)

1968年1989年は、「サマー・オブ・ラブ」&「セカンド・サマー・オブ・ラブ」、つまりドラッグカルチャーにインスパイアされた二つのムーブメントの臨界点だった。そして THE STONE ROSES THE BEATLES はそのそれぞれのムーブメントの爆心地。ボクはタイムトンネルをくぐるように、ヘッドホンの中で、目の前の現行シーンと60年代の音楽世界の間を行ったり来たりしてたのだった。


THE BEATLES と「放送室」について細かい思い出を。
●当時ボクが入り浸ってた高校の「放送室」。ココはヘンテコな空間で、格好の隠れ場、秘密基地だった。防音処理がなされているので、ドアを閉めれば授業サボって音楽を爆音で聴いてても絶対バレない。1991年だったっけな?授業をサボってラジオをひねり、湾岸戦争の地上戦が始まる瞬間のニュースをコバヤシと興奮しながら聴いてたのは。
6mmオープンリールのテープデッキが3台あって、体育祭用の大型PA(スピーカー&アンプ)があって、8chミキサーが2つあった。顧問の先生をそそのかして2chのマルチトラックレコーダーも購入させちゃった。これはボクには最高のオモチャで、逆回転再生とかを駆使して、テープコラージュミックステープ(当時はそんな言葉で認識してなかったけど)をザクザク作ってた。
●バンドやってる友達にしょっちゅうライブPAのオペレーションを頼まれてたし、デモテープのレコーディングも手伝った。文化祭の芝居をやるとなったら音楽効果はボクの役目。体育祭じゃあ競技のBGMの選曲からプレイ、実況席のPAもやってた。フォークダンスの練習でテープのピッチコントロールをフニャフニャいじくりみんなの踊りを邪魔したら、実行委員の女子にスゲエ怒られた。全校球技大会の成績結果速報まで学内放送でやってたな。ボクはこの頃から無意識にイベントの裏方屋、企画屋的な志向が強かったみたいだ。

●そんなワケで、ボクの放送室には音楽好きのへんなヤツらがタムロしてた。あいつら放送部員でもないくせに。そんな仲間の1人に THE BEATLES 好きがいた。隣のクラスのナツエスくん(仮名)。彼はエラくドラッグカルチャーへの憧れが強いヤツで、THE BEATLES 音楽が持つサイケデリック的側面を随分ボクに丁寧に教授してくれた。「SGT. PEPPER'S ~」の最後には犬にしか聴こえない超音波が入ってるんだとか、チャールズ・マンソンへの影響関係とか。ナツエスくんによると通称ホワイトアルバム「THE BEATLES」に収録の「HELTER SKELTER」「REVOLUTION NO.9」の2曲にマンソンはヤラレちまって、女優シャロン・テートの腹を切り裂いたそうだ。

THE BEATLES「THE BEATLES」

(THE BEATLES「THE BEATLES」通称、ホワイトアルバム。)

●さらに1990年 THE ROLLING STONES 初来日公演の年。心機一転仲良し再始動盤「STEEL WHEELS」1989年と、60年代前半の彼らのベスト「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」1966年を同時に聴いてた。THE BEATLES と THE STONES のコンボ攻撃で、ボクのアタマは60年代に染まってた。

THE ROLLING STONES「STEEL WHEELS」

(THE ROLLING STONES「STEEL WHEELS」)

THE ROLLING STONES「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」

(THE ROLLING STONES「BIG HITS - HIGH TIDE AND GREEN GRASS」)


「放送室」はボクの世界観の理論武装にも貢献してくれた。
●さらに、この放送室には突然大学生のOB先輩がフラリとやって来る。超ウザい。大学生だろ自分の大学で遊べよ! でも当時はそんなコト口が裂けても言えない。彼らが来たら、イヤでもお茶入れてオモテナシだよ。
●ただ今冷静に考えるとこの人たちはみんな大学演劇や自主制作映画とかに入れ込んじゃうタイプのアート系学生で、そこから吸い取った60年代にまつわる歴史感覚&知識はボクの脳ミソにスゴく役に立った。「先輩、ビートニクスってなんですか?」「実存主義ってなんですか?」「ヌーベルヴァーグってなんですか?」「全共闘ってなんですか?」イロんな質問を吹っかけたのを覚えている。あと、ファミレスや喫茶店で一杯メシおごってもらった。どうもありがとうございます。


ということで結論。
●ボクは90年代UKロックを、60年代ブリティッシュロックシーンと深く関連づけて捉えてた。そしてブリットポップに進化していくUKシーンと、60年代モッズカルチャーを同時並行に聴いていった。90年代~60年代のタイムマシン的反復横跳び運動は、15歳の少年のアタマの中で、目の前のムーブメントが一過性の流行とは格の違う歴史的革命の口火なのだ、言わばフランス革命のバスティーユ監獄襲撃事件と同じなのだ!と信じこませるバカ作用を引き起こした。
マッドチェスターは、英米を跨ぐテクノ/ハウス革命、レアグルーヴ/アシッドジャズ、NYでネクストレベルに進化した90年代型ヒップホップの革新、シアトルグランジ/米オルタナティブロック、日本のバンドブーム/渋谷系と、90年代初頭に立て続けに起こる音楽革命と完全にリンクしてた。世界同時多発的にコペルニクス的転換が起こった。世界中で90年代が始動し始めた!ボクらの時代が!高校生のボクは胸がドキドキする想いでイッパイだったのだ。


●この頃の雰囲気を伝えるバンドをもう一つ。

INSPIRAL CARPETS「DEVIL HOPPING」

INSPIRAL CARPETS「DEVIL HOPPING」1994年
●コイツらもマンチェスターから出てきた連中だ。本当のリアルタイムで言うと、1991年のセカンドアルバム「THE BEAST INSIDE」が一番印象深いんだけど、最近見つけたCDがコレだから。バンドにとっては最後のオリジナルアルバム。で翌1995年に一旦解散。2001年に再結成してるという。ローゼス、ハピマン、そしてコイツらで、マンチェ3大バンドとか言う人もいる。
●レーベルは MUTEDEPECHE MODE などが所属した、80年代エレクトロの名門だね。いかにこの時代が、ダンスミュージックとインディーロックの位置が近かった事を象徴的に示している。この頃はタフなロックになってきてるけど、バンドの初期はもっとヘナヘナで、ピヒャララ~と鳴り響くキーボードが脱力系マヌケサウンドでありながら、この頃のダンス感覚/サイケ感覚をハッキリと反映してる。
●あと、コイツらのカッコが最高にカッコ悪いのですよ。若ハゲスキンヘッドとか、時代錯誤的ダラしないマッシュルームカットとか。趣味の悪い極彩色のシャツに、ダボダボのズボン。雑誌には世界一醜いバンドって言われてた。このファッションスタイルは「スカリーズ」って呼ばれてたな。でも、そこがイカした。シビれた。
●この時代のマンチェスター・バンドたちは、それまでのロック観を転覆するほどカッコ悪かった。既存のロックスターはロンゲをキレイに染め上げ逆立てたりして、バンダナとか革パン革ジャンとかタイトジーンズとかのお決まりロックアイテムで身を固め、つまりは BON JOVIGUNS 'N' ROSES みたいなカッコしてたわけ。ところが新世代のインディーバンドは、だらしなく伸ばしたボサボサ寝癖の髪の毛またはハゲ、ベットから抜け起きたままの完全普段着(サッカーシャツ、ジャージあり)。その昔早川義男「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」と言ったが、HAPPY MONDAYS (SHAUN RYDER) THE STONE ROSESPRIMAL SCREAM (BOBBY GILLESPIE) も、衝撃的にカッコ悪過ぎて、だからこそボクには最高にカッコよかった。ヘヴィメタルのマッチョ主義&ドクロ趣味や、パンクスのツンツンヘア&ラバーソウルよりも、ずーっと親近感が持てた。


PRIMAL SCREAM についても、アルバムごとに作風を全部入れ替えて来るヤツらの変遷をスリルタップリに綴ることができるし、HAPPY MONDAYS がインディー名門レーベルの FACTORY をいかにして潰したかとか、MY BLOODY VALENTINE がどんだけ衝撃的なサイケ音響を鳴らしたのかとか、マンチェのテクノアクト 808 STATE の存在(ボクは高校の体育祭のBGMに彼らのシングルを使ってた)とか、目一杯語るべきことがあるけど、敢えて今回は割愛します。キリがないからさ。
●ただし最低限言える事は、このテの音楽を昼休みの校内放送でかけまくると、全校全教室でスピーカー音量がOFFられて、誰も聴かなかったってコト。ことマイブラ THE JESUS & MARY CHAIN、RIDE のようなシューゲイザーバンドの轟音ギターは、校内放送のオンボロスピーカーでは最悪の鳴りで、工事現場の騒音を垂れ流してるのに等しかった。あははは。マドンナみたいのかけるとみんな聴いてくれんだけどね。でもボクは全然おかまいなしで、嫌がらせのようにかけまくった。うししし。


1992年大学進学。バカ大学生ライフが始まる。
●都立高校ののどかな3年間は終わり、ボクは大学に進学した。第一志望だったワセダ大学には、3学部くらいチャレンジしたのにカスリもせず、結局帰国子女がたくさんいるキリスト教系大学のマスコミ専攻学科に入学した。
●コスモポリタンな学風は結構だが、語学が大嫌いなボクには全然馴染めない場所で、あんな所で4年間も過ごしたコトに今でも違和感を感じる。履歴書学歴欄に大学の名前書くだけで、思わず自分で笑ってしまう。他人に自分の出身校を明かすとみんなビックリする。「なんか似合いませんね~」って感じに。
●でも帰国子女がマジョリティとして堂々のさばる雰囲気から、つま弾き出されたヤツらはボクの他にも一杯いたもんで、終始ソイツらとツルむコトとなった。全員が強烈なコンプレックス/劣等感を抱え込み、「テニスサークルでチャラチャラ飲み会してるヤツらとは口もきかない」と、不毛なルサンチマンでいつもイライラしてた。ま、簡単に言うとマトモな社会に順応できないバカ共が吹きだまりに集まってたのだ。
●色々なサークルに顔を突っ込んだ。最初に入ったのは「放送研究会モドキ」だった。「モドキ」という意味は、ちゃんとした「放送研究会」は他にちゃんとあったからだ。そこでは「ワタシ女子アナ目指しマ~ス」みたいな連中が集まってて、発声練習をしてた。胸クソ悪くて瞬時に却下した。
「放送研究会モドキ」の方は、やる気なーい感じがユルくて心地よく、16chミキサーアナログターンテーブル2台、6mmのオープンリールデッキデジタルビデオカメラ、簡単な編集機能付きのビデオデッキ2台と初歩的なビデオミキサー、そして録音ブースがあった。ボクにとっては全部垂涎のオモチャ。ブースは絨毯敷きで昼寝できるほど広く、授業をサボってゴロゴロする場所として最高だった。
●音楽仲間もココにたくさん集まってきた。シンセで打ち込みテクノポップを自作自演で作ってたオカダとはビデオクリップを作って遊んだ。アングラヒップホップ好き、レアグルーヴ好きの後輩たちはミニコミフリーペーパーを作り始めた。そしてデトロイトテクノに狂ってたシダックス。新宿リキッド、西麻布イエローなどなどのクラブ遊びでいっつもツルンでた。チアガールの女子たちとも仲良くなった。彼女たちのダンストラック編集を受注しては、このスタジオでテキパキ作ったからだ。ミキシングと6mmテープの切り貼り編集。意外と重宝された。
「放研もどき」の部室の隣は、写真部の暗室だった。そこの連中ともスグに仲良くなった。友達から一眼レフを譲ってもらい、モノクロ写真の現像技術を教えてもらった。もう100%忘れたけどね。ジャズ研の練習室もソバだった。やっぱり仲良くなってサックスの練習を始めた。スグに頓挫したけど。BE-BOP ジャズのCD一杯借りたな~。
イベント企画サークルにも出入りした。アーティストブッキングの仕組みや、ライブハウスの仕組み、チケットぴあの仕組み、フライヤー配布の仕組み、プロのPA機材や照明機材がクソみたいに重い事(特にミキサーコンソール。アレ死ぬ。ピラミッドの石材を運んだ奴隷の気持ちがわかる)を勉強した。ビジュアル系からマンチェスター好きまでいろんな趣味の女子がいっぱいいたが、一番印象深いのは留年組のヌシみたいなアニキ風先輩。狭い地下の部室でタバコをモクモク吹かしながらズーッとファミコンで競馬ゲームをしてた。ちょっと前まではカッコいいバンドマンだったらしいが、その当時は超一流の貫禄を備えたボンクラにしか見えなかった。この先輩経由で CAPTAIN BEEFHEART FRANK ZAPPA を教えてもらった。ま、とにかくボチボチ居心地のイイ場所を確保したのですわ。

●すんません。話がズレすぎた。音楽の話をしないと。

ビッグビートの出現。ロックよりもずっとロックしてるダンスミュージック。

THE PRODIGY「EXPERIENCE」

THE PRODIGY「EXPERIENCE」1992年
THE PRODIGY はダンスミュージックのフォーマットに沿いながら、ロックファンをも虜にするダイナミックなビートとサウンドで90年代中盤にビックアクトに成長する。そして FATBOY SLIM THE CHEMICAL BROTHERS らと共に「ビッグビート」というシーンを作り出した。メロディも歌詞もメッセージも剥ぎ取り、衝動的なロック願望だけを結晶のように純化させた徹底的なサウンドの前に、全てのロックバンドは全部陳腐なモノになってしまった。Eをカジって暴れたいなら、バンドじゃねえ、ヤツらごキゲンなビッグビートのDJの方がイイ。そういう時代がやってきた。ロックバンドの存在意義をダンスミュージックが奪い取った瞬間。
●この1992年のアルバムは、THE PRODIGY 最初期、テクノハウスのアプローチにまだ従順だった頃のサウンド。そのキナ臭い狂気の気配は匂いつつも、ビッグビートの爆発はまだ先。THE PRODIGY の名物男 KEITH FLINT もマダ電撃ネットワーク南部虎弾みたいな髪型にはなってない。でも、彼のように、演奏もボーカルもしない、ダンサーというほど踊れもしない、ただひたすら客を煽るだけの人というポジションがバンドの中でできたっつーのは画期的だったね。似た存在は、HAPPY MONDAYS BEZ だね。彼もひたすらクネクネ踊るだけ担当。バンドの中での担当パートは「BEZ:BEZ」って書いてあった。
●思い出深いのは「EVERYBODY IN THE PLACE」という曲。「放送研究会もどき」のスタジオにこの曲の12インチアナログが転がってたんだよね。誰のか知らんけど、かけるアナログがない時にいつもそれを鳴らしてた(そう、語学の授業をサボってた時だ)。アナログのジャケに、としまえんのジェットコースター「コークスクリュー」の写真を使ってた(多分)。残念ながらアルバム収録のヴァージョンと、12インチヴァージョンはミックスがちょっと違う。あの12インチもう一度聴きたいな。SIDE-B 収録の「RIP UP THE SOUND SYSTEM」も聴きたいな。
THE PRODIGY「EVERYBODY IN THE PLACE」
(THE PRODIGY「EVERYBODY IN THE PLACE」)

1994年。ブリットポップへの進化。
●ロックとダンスの蜜月期は終わった。この頃から「マッドチェスター」的なダンス解釈を「インディーダンス」という言葉でジャンル分けするようになり、本流のダンスミュージックは、ビッグビート、ドラムンベース、トランスなどなど、ロックとは関係のない進化をしていく。
●ほんじゃ、ロックバンドはナニをすんの? ボクが思うに、60年代以来の英国伝統のロックサウンドへと回帰したんです。リバプールサウンド、狂騒のスウィンギンロンドン、モッズシーン。
●象徴的な事件は、PAUL WELLER の復活。彼は1993年「WILD WOOD」でシーンに返り咲く。彼は70年代ネオモッズのヒーローであり、英国的ロックの正統後継者だ。さらにこの年には BLUR「MODERN LIFE IS RUBBISH」を発表し、前作「LEISURE」から作風を一変。間の抜けた冗談みたいなサイケの真似事から、芯のしっかりした英国メロディを力強く鳴らすバンドに変貌、1994年の「PARKLIFE」では THE WHO「QUADROPHENIA」を下敷きにした映画「さらば青春の光」1979年で主演を演じた PHIL DANIELS を招いてモッズシーンへの共感をハッキリ打ち出した。そう、この時、「ブリットポップ」という時代の潮流が動き出したのだ。

BLUR「PARKLIFE」(BLUR「PARKLIFE」)


ある日、ボクはふてぶてしいマンチェスターのバンドを見つける。

OASIS「SUPERSONIC」(OASIS「SUPERSONIC」)

1994年の春だったと思う。渋谷のディスクユニオン。12インチの新譜シングルをパラパラ見てた時だ。ふてぶてしい若造がジャケの真ん中からコッチをにらんでるレコードを見つけた。雑然としたリハスタジオの中、バンドはルーズに楽器を鳴らしていて、でも真ん中のオトコは無愛想に突っ立ってる。ソイツの名前は LIAM GALLAGHER。バンドの名前は OASIS。曲名は「SUPERSONIC」。コイツらのデビューシングル。レコ屋のポップによると出身はマンチェスター。なんか THE STONE ROSES に似てる…。佇まいというか匂いというか…。迷いなくカウンターに持って行って買った。このバンドはたちまち全世界で大ブレイクして UK ブリットポップの頂点に昇りつめた。

OASIS「THE MASTER PLAN」

OASIS「THE MASTER PLAN」1994~1998年
●このアルバムは、絶頂期にあった彼らのシングルB面曲を集めた編集盤だ。NOEL 兄イが高音パートを弟 LIAM と歌い分けた名曲「ACQUIECE」で幕開ける。この曲はカッコいい。大好きだ。でも、このアルバム自体には別にそれ以上に思い入れはない。最近たまたま安く買っただけだ。
ブリットポップというムーブメントは、タブロイド紙の煽りもあって BLUR と OASIS の売上げ対決みたいなヘンテコな状況になった。BLURロンドン近郊で育った中流家庭の美大生。一方 OASIS北のド田舎マンチェスターのチンピラでバリバリの労働者階級。ま、お互い仲良くなれるタイプじゃなかった訳で。罵り合いがバンドやファンの間で起こったわけです。「ビートルズ対ストーンズの勝負の再来」と誰かが言った。どっちが勝ちか負けかなんて、ボクに興味はない。どっちも優れたバンドだった。つーか、そんな騒ぎのおかげでブリットポップ自体からボクの気分はドン引きした。

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2つのバンドのガチンコ勝負。1995年8月14日、シングルを同日発売にブツけてきた。BLUR「COUNTRY HOUSE」 OASIS「ROLL WITH IT」。この日のシングル勝負では BLUR に軍配。しかし…。
OASIS「オレらはビートルズの影響を受けてて、その流れを今に伝えるバンドだ」的な物言いをしてた気がする。確かに彼らの楽曲は明快で耳によく馴染み、一緒に口ずさむ事が出来る取っ付きやすさがある。二枚目のアルバム「(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY)」はそんな彼らの才能が一番輝かしく光を放った不朽の名作だ。同時期の BLUR「THE GREAT ESCAPE」を完全に圧倒し、結果 OASIS は最強最大のロックバンドになる。
●でも、彼らにビートルズが持っていた革新的実験精神はない。ビートルズはポップでありながら、過激なほどの音楽実験に挑戦し成功してきた。OASIS の引き出しはアルバム3枚目には早々在庫空っぽ状態になり、どれ聴いても同じような曲しか作れなくなった。ま、それでもバカ売れしたけど。同じ事をズーッと続ける、還暦過ぎても叫び続ける。それがロックだ!と身を張って体現するストーンズこそ、OASIS のイメージに近いとボクは勝手に思ってる。
●むしろビートルズの実験精神を受け継いでいたのは BLUR のほうだ。英国ポップスの伝統の枠にいるようでいて、ニューウェーブ風味のポップス「BOYS & GIRLS 」からアメリカグランジに接近した「SONG 2」までと、芸風は遥かに広い。その後の GORILLAZ という架空の二次元バンドも面白いコンセプトだ。


2000年、OASIS メンバー入れ替え。
●このバンドは、そもそもマンチェスターのチンピラが集まったモンだ。NOEL GALLAGHER は前述のバンド INSPIRAL CARPETS のローディをしてた男。アメリカツアーから帰ってきたら弟 LIAM が街の仲間とバンドを作ってた。そこに加入して兄弟バンドが出来上がった。ド派手な兄弟喧嘩がゴシップ雑誌のネタになるほどだが、なんだかんだでバンドは完全にこの GALLAGHER 兄弟のモンになる。
●ほんで、2000年、いつのまにか元々のメンバーはほとんどいなくなってて、新メンバーが入って来る。一人はギタリスト、GEM ARCHER。元々は HEAVY STEREO というバンドのボーカルで、ボクは彼らのシングル「SLEEP FREAK」が大好きだった。T.REX を彷彿とさせるブギーギターと鼻にかかった声。アルバム一枚で消滅したバンドだが、ブリットポップが生んだ珠玉の1つと思ってる。

 HEAVY STEREO「SLEEP FREAK」(HEAVY STEREO「SLEEP FREAK」)

●ベーシストには、90年代初頭のシューゲイザーを代表する RIDE のギタリスト ANDY BELL が就任。耳を聾さんばかりの轟音ギターの中で美しいメロディを歌う RIDE はボクの重要な青春バンド。1990年のアルバム「NOWHERE」は超傑作。1992年の来日では渋谷 ON AIR にライブを観に行った。しかし、RIDEシューゲイザーからブリットポップへサウンドをシフトするのに失敗し解散。ANDY が次に作ったバンド HURRICANE #1 も不発に終わる。

RIDE「NOWHERE」(RIDE「NOWHERE」)

HEAVY STEREO HURRICANE #1OASIS の所属するレーベル CREATION のバンドだったので、その縁での抜擢だったんだろうが、ボクに言わせれば読売巨人軍並の超大型補強だ。完全な兄弟バンドであることは今も変わらないが、ANDY BELL がソングライティングに関わるなど、バンドに大きく貢献してる。2004年には、ビートルズのドラマー RINGO STAR の息子 ZAK STARKY が参加。ビートルマニアの兄弟には最高だろう。
OASIS という1つのバンドの足跡を見るだけで、ブリットポップの流れがこれだけ見えて来る。時代の寵児とはそういうものなんだろう。

●もう一個だけトリビア。OASIS は中国語で下のように綴ります。
 
 「礰洲合唱團」

1996年2月終わり、大学の卒業旅行として台北を一人旅した時に、セカンドアルバム「(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY)」1995年を、台湾版で買った。ロックバンドにはみんな「合唱団」がついてる。帯コピーには「揺滾精神的誠實表態」っていう言葉。「揺滾」はロックって意味で、あとは何となく気持ちだけ伝わって来る。漢字ってイイね。発音は絶対わからないけど、意味や気持ちは通い合わせるコトが出来る。漢字文化圏の特徴だね。


ブリットポップの終焉。
●この時代に活躍していた UK バンドは枚挙に暇がない。バイセクシャルな妖しさを漂わせてた SUEDE、恐るべき10代としてヤンチャに暴れた ASH、ドラッグ漬けの世界から甘美で荘厳な音像を鳴らした極上のサイケ THE VERVE、常に前衛的ロック表現をストイックに追求してた RADIOHEAD、並ならぬモッズ魂で忠実な PAUL WELLER の直弟子となった OCEAN COLOUR SCENE(1STの、全然モッズじゃないマンチェ風味もボクは好き)、THE BOO RADLEYS はスッゲーポップでキャッチーなのに、ルックスが INSPIRAL CARPETS よりダサかった。KULA SHAKER は貴族出身とか言ってイヤミなヤツだと思ったら、なにげに気合い入っててよく聴いた。他にも、ELASTICA、ECHOBELLY、SUPERGLASS、THESE ANIMAL MEN、MANIC STREET PREACHERS、SUPER FURRY ANIMALS、THE POWER OF DRAEMS、PULP……。MENSWEAR はどんなレコ屋でも必ず100円で売ってるね。ありゃ便乗アイドルみたいなモンだった。10円なら買うよ。
OASIS とのガチンコに負けた BLUR は、その後ドンヨリとした作風になり(その痛んだ味わいこそがボクは一番好きなんだけど)、1997年に中心人物 DAMON ALBARN「ブリットポップは死んだ」などと発言、バンドは2003年に分裂消滅した。その多の泡沫バンド達は2000年前後にはみんなシーンから退場。メディアに煽られた感もあったその狂騒劇は幕を閉じた。
●ドキュメンタリー映画「LIVE FOREVER」では、時代の当事者を訪れて当時の記憶を語らせている。OASIS の悪ガキ兄弟は相変わらずのイケイケだが、イケメンでならした DAMON はグッタリくたびれててオッサン臭くなってた。微妙に前髪が後退しデコが広くなったような…。栄枯盛衰。いや、彼は現役で今もかなり頑張ってる方だよ。

●最後に一枚。これだけはキチンと紹介しておきたい。

REEF「RIDES」

REEF「RIDES」1999年
なーんか不当に評価低いと思ってるんですよ、彼らは。この時期の UK で彼らほど骨太のファンキーなロックを鳴らせたヤツはいない。粘っこいボーカルが死ぬほど暑苦しいし、ベースが太くて、ドラムが不遜で、ギターが脂っこい。彼らは1995年から2000年まで4枚のアルバムを出してるが、金太郎アメのようにどのCDのドコを切っても、強力なグルーヴがトンコツ味でドロドロ出てきます。UK とアメリカでロックの野蛮さを競ったら、やっぱ軟弱じゃね?ってイメージの UK チームですが、コイツらに関しては心配無用。これまたアメリカのロック馬鹿 BLACK CROWS を連想しちゃうくらいなんですわ。とにかく聴いて下さい。ぼくはこのバンドが中古棚で600円で売られてるのを見るだけで、哀れな気持ちになる。


●ホントは、一気に00年代のUKロックまで取り上げようと思ってたんだけど、やっぱ無理。2000年前後からまた新しいムーブメントが、大西洋を跨いでワサワサ動き出し爆発するそのオハナシは、またいづれ別の機会に。もう書くの疲れた。読んでるアナタもクタクタなはず。お疲れ様でした~!

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