今日は長いっすよ。
●ボクはですね、音楽シーンの移り変わりを、超極私的回顧録と結び付けて、このブログでシリーズ化してます。なんだかんだでこれで五回目です。で、大きな構想としてはまだまだ続いてしまいます。音楽シーンの移り変わりは、音楽オタクのボクにとって、自分自身の「思春期から生意気な学生時代、20代サラリーマン、30代微妙オトナへ」の移り変わり、人間としての成長の軌跡と不可分の問題なんです。中学生の頃に音楽にハマって以降、個人的な思い出とその時代の音楽が完全に絡み合って、引き剥がすことが出来ません。すいませんね。ヘンな話にお付き合いさせて。あ、無理な方はお読みにならない方がいいですよ。非常に特殊でミクロな世界を取り扱ってますから。
●先日は90年代「マッドチェスター」から「ブリットポップ」の時代を、個人的な思い出を交えて振り返りました。今日はですね、同じイギリスの話なんですけど、ブラックミュージックの視点から、80年代末から00年代のシーンを、振り返りたいと思うのです。前回のイギリスの話は、自分の中では実に不完全燃焼、50%も語ってない感じ、だからその続編として、残りの50%、つまり「UK BLAK」をテーマに、思い出を整理したいのです。


●最初に、このシリーズの関連記事を列挙しておきますね。ご興味があれば、こちらもチェックしてください。

1986年~1988年桑田圭祐の音源&活動を語る事で、当時中学生だったボクが、音楽に、ロックに、いかにハマったか、というお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html
1989年、平成元年「バンドブーム」とボクのバカ中学生時代のお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-293.html
1992年以降、90年代の東京を彩った「渋谷系」カルチャーを綴ったお話。
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
1989年以降、イギリスのロックシーン、「マッドチェスター」「ブリットポップ」を扱ったお話。
 (http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080405.html)


●それでは始めます。


「UK BLAK」。イギリスの黒人音楽。
「BLACK」の「C」が抜けてるよ!ってツッコミ。ありがとうございます。でもミス入力じゃないっす。コレには意図があります。80年代末、JAZZIE B 率いるユニット SOUL II SOUL の大ヒット曲「BACK TO LIFE」「KEEP ON MOVIN'」でボーカルをとった女性シンガー CARON WHEELER が1991年にリリースしたソロアルバムのタイトル、それが「UK BLAK」イギリスに生きる黒人さんたちが、自分たちの文化、自分たちの音楽、自分たちの主張を本格的に始めた瞬間の気分を象徴した言葉だと思っているのです。SOUL II SOUL が開発した「グラウンド・ビート」は、「UK BLAK」が独自に編み出したニュースタイルの音楽で、コレを皮切りに90年代~00年代、豊穣なUK発ブラックミュージックが花開いていくのです。

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(CARON WHEELER「UK BLAK」1990年)



そもそも、イギリス人は、ブラックミュージックのよきリスナーだった。
●60年代のモッズ時代から、イギリス人はブラックミュージックが大好き。モッズシーンにおいては、クールな黒人を「スペード」と呼んで敬意を払ったという。R&Bやブルースの栄養をたっぷり吸い込んだ若者たち(MICK JAGGER とか)が、瑞々しいロックを鳴らした。レゲエの価値にも早くから着目し、ブルービートと呼んで踊り狂った。「ノーザンソウル」という言葉は、アメリカではモータウンなどのデトロイト他北部諸都市のソウルミュージックだが、この国ではイングランド北部の工業都市で暴れまわった熱狂的ダンサーたち「オールナイター」が愛好した7インチシングル中心のダンスシーンを示す。70年代には本国ジャマイカとは違う独自のレゲエシーンを形成し、2トーンスカのようなムーブメントを生んだ。T.REXMARK BORAN も、THE JAM、STYLE COUNCILPAUL WELLER も 黒人シンガーの女性と結婚した。80年代のニューウェーブ期も、斬新なブラックミュージック解釈で実験的(で奇妙キテレツ)な音楽が作られた。そして80年代後半のレアグルーヴ運動。DJたちが独自の解釈でジャズを再構築、今まで評価されなかったタイプのジャズに、新しい意味と楽しみ方を見出し、ダンスフロアでスピンする。アメリカ白人よりもかなり前のめりで黒人音楽に入れ込んできた、って見方が出来るでしょ。


少年、アシッドジャズにやられる。
●場面は変わって1992年、大学1年生になってたボクにフォーカスをあわせる。ボンクラ大学生のボクは、ある深夜番組に夢中になってた。フジテレビの週末超深夜、3時くらいだったかな?「BEAT UK」という番組があったのだ。UKのヒットチャートを完全英語ナレーションで紹介していく(現地制作で日本語ゼロ)番組で、最新のシーンの空気をテレビから感じることが出来る、稀有な番組。そこで何週間か連続で一位をとり続けた新人のシンガーがいた。ヒョロリとしたそのオトコのアタマにはでっかいフサフサの帽子が。もう誰のことだかわかるでしょ。JAMIROQUAIJAY KAY だ。「TOO YOUNG TO DIE」がその番組ではヘビロテだったのだ。STEVIE WONDER のように伸びのあるその高い声と楽しそうにくねくね踊る立ち振る舞い、童顔のその顔は同世代の親近感を感じさせたし(実際に4コ上程度)、冷戦終結で世界地図がどんどん変わっていくワサワサした90年代初めの気分に「死ぬにはまだ早ええ!」というメッセージは、目が覚めるほど新鮮だった。速攻でシングル2枚を買った。イントロにディジリドゥーを使ったデビューシングル「WHEN YOU GONNA LEARN ?」も最高だった。生意気なメッセージをガツンとかました最高にクールなこのシングルに、この時代を代表するレーベルの名がカッチリ刷り込まれてた。その名は「ACID JAZZ」

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(JAMIROQUAI「WHEN YOU GONNA LEARN ?」1992年)


アシッドジャズ。
アシッドジャズはジャンルを指す言葉であると同時に、そのシーンを牽引したレーベル「ACID JAZZ」の名前そのものでもあった。この「ACID JAZZ」とその創設者の1人だったDJ GILES PETERSON が独立して立ち上げた「TALKIN' LOUD」こそが、新時代のブラックミュージックを発信していた。レアグルーヴDJだった GILES たちは、自分らが発掘した過去音源を、ヒップホップが採用したサンプリングという手法や、テクノ・ハウスが採用したリミックスという手法で再構築し、90年代型のジャズにサイボーグ改造した。ヒップホップ、テクノ/ハウス、レゲエなどなどを全部ゴッタ混ぜにしてで、完全なハイブリット音楽を作ったのだ。その後バラバラに分化進化するジャンルミュージックが、未成熟がゆえに幸福な合体をすることができたのだろう。そんな総花的クラブミュージックに、ボクは感動しまくったのであった。

この時代を象徴するアーティストの音源5枚。

Road to FreedomRoad to Freedom
(2006/08/14)
Young Disciples

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YOUNG DISCIPLES「ROAD TO FREEDOM」1991年
●ヒップホップ感覚あふれる躍動感と、きらびやかなサンプルコラージュ、ソウルフルなバンドサウンド、そして CARLEEN ANDERSON の奔放なボーカルが、新しいムーブメントが巻き起こっていく時に吹く清々しい風を感じさせる。トラックメイキングの感覚は鮮烈で、ジャズの古ぼけたイメージを刷新した。これが新時代のジャズ!まさしく若々しい理想!キラキラしてたんだなー、コレが。
●ボーカル CARLEEN の母親は JAMES BROWN のレビューで大活躍したファンキー女傑 VIKKI ANDERSONソウルの血脈を正しく受け止めてる。モチお母さんのアルバムも探してくださいね。コッチもスゴいから。フェンダーローズをプレイしてるのは、THE STYLE COUNCILPAUL WELLER の相棒を務めた MICK TALBOT。一曲ラップを披露しているのは、NYから参加の MASTA ACE。残念ながらこのユニットはアルバム一枚出しただけで、CARLEEN の独立脱退で解散。その後の彼女はソロで活動しつつ、PAUL WELLER の90年代ソロに参加したり、やはりアシッドジャズの重要バンド THE BRAND NEW HEAVIES に参加したりしている。

In Pursuit of the 13th NoteIn Pursuit of the 13th Note
(1996/09/02)
Galliano

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GALLIANO「IN PURSUIT OF THE 13TH NOTE」1991年
●レアグルーヴDJの GILES PETERSON がレーベル TALKIN' LOUD を立ち上げて一番最初に契約したユニットが、この GALLIANO だ。レアグルーヴの華麗なコラージュがゆったりと滑らかで心地よく、そのトラックに訥々と乗ってくるラップは、むしろポエトリーリーディングといった趣、ジャズの湿り気と艶が香ってくる。個人的には翌年のアルバム「THE JOYFUL NOISE UNTO THE CREATOR」の方をよーく聴き込んだ。よりファンク度が上昇しているから。しかし1996年には TALKIN' LOUD から離脱、なんと音楽的傾向をガラリとモデルチェンジし、ドラムンベースに変身する。この時期には TALKIN' LOUD自身もアシッドジャズからドラムンベースに大きくシフトチェンジ。コレはコレでフューチャージャズ的な試みの一つとして重要な実験だったのかな、と今は思いたい。

The Penthouse SuiteThe Penthouse Suite
(1999/06/01)
James Taylor Quartet

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JAMES TAYLOR QUALTET「THE PENTHOUSE SUITE」1999年
●ハモンドオルガン奏者 JAMES TAYLOR を中心としたバンド。デビューは1986年。JAMES はその前からも THE PRISONERS というバンドで活動していたので、アシッドジャズというよりも、むしろ70年代末ネオモッズの気分に絡んでいた、筋金入りのモッズだ。洗練されながらも疾走感あふれるハモンドプレイは全盛期のモッズシーンを連想させ、ボクは彼らの音楽をキッカケに60年代ののモッズオルガンの魅力に没入していった(BRIAN AUGER & THE TRINITY、GEORGIE FAME、GRAHAM BOND ORGANIZATIONなど)。また ソウルシンガー NOEL MCKOY の伸びのある声をフィーチャーしたシングル「I HOPE I PRAY」「LOVE THE LIFE」アシッドジャズを象徴する名曲で、12インチでメチャメチャ聴き込んだ。このCDは、そんな彼らの80~90年代の活躍を集大成したライブ音源を集めたものらしい。モテモテぶり全開のジャケ写は、今だに彼が現役のモッズであるコトを誇示してる。モッズは一生モンの業である。NEW JERSEY KINGS という別名義でもリリースがあるのでソチラもチェックを。

海外に波及するアシッドジャズ。

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GROOVE COLLECTIVE「WHATCHUGOT / BUDDHA HEAD」1994年
●イギリスから見て大西洋の対岸、アメリカ N.Y.でもアシッドジャズに共鳴する者が現れた。1990年から活動を始めたパーティオーガナイザーチーム「GIANT STEP」が仕掛けるイベントの中で、ジャズを新解釈したバンド、アーティストが集まり、新しい才能が数々発掘された。そんなシーンから発生したのがこのバンド。この音源はシングルなので、ハウシーなサウンドのリミックスという性質を帯びているが、基本的にはこのバンド、とっても生演奏真性ジャズ体質。「GIANT STEP」はその後レーベル機能も備えるに至る。

もう一枚、日本人アーティストを。

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ULTRALIVING「ZOONOMIA」2007年
日本人の二人組ユニットであるこのバンドを、アシッドジャズとくくっていいのかというと、多分明らかに違うと思う。でも敢えてご紹介。彼らは、日本のシーンをいきなりすっ飛ばして1998年イギリスのレーベル CREATION からデビューしてしまったアーティストだ。良心的インディーレーベルとして、UKのロックシーンをにぎやかしていた CREATION はこの頃、OASIS 人気の大爆発でアゲアゲ状態になってた。そんなタイミングで、完全ジャズ志向の日本人ユニットのデモを聴いて即座にフックアップしたというからビックリ。ロック色の強い CREATIONが、ジャズな彼らに関心を示したのも意外だし、無名の日本人をいきなり一本釣りしたのもビックリだった。
●ファーストアルバムは、ヒップホップ~トリップホップ的なキャッチーさを供えていたが、2枚目ではトゲっぽいフュージョン魂が垣間見え、3枚目ではもっと抽象的な世界に突入してしまう。4枚目の本作は、ボーカル曲をたくさん搭載して難易度がぐっと低くなったが、臆面なくジャズ。ジャズに対して全くブレがない。あらゆる手法や技術を通過して、結果本質的なジャズへ突き抜けた感じがする。90年代的クラブミュージック的なハイブリッド感覚を克服昇華して、00年代のリアルなジャズに到達した観がある。現在は CREATION を離れて久しい彼らだが、もっと高く評価されるべきだ。ちなみに、ライブもすごくカッコいい。最近は全然見れてないけど。


●その他、この時代に活動したアシッドジャズアーティストを列挙。
●ジャズファンクバンドとして活躍した INCOGNITO、THE BRAND NEW HEAVIES。陽気なオルガンインストの CORDUROY。70年代ロックをソウルフルに鳴らした MOTHER EARTH。UKソウルの重要人物になる男性シンガー OMAR。B級レーベル「DORADO」で活動した D*NOTE、OUTSIDE(このユニットがボクは大好きで、間違って同じ12インチを3枚も買ってしまっていた)。BLUE NOTE 所属で HERBIE HANCOCKをサンプルした US3。クールなジャズギタリスト RONNY JORDAN。アメリカ組では JAZZHOLE、BROOKLYN FUNK ESSENTIALS。日本発では UNITED FUTURE ORGANIZATION、MONDO GROSSO、KYOTO JAZZ MASSIVE が注目された。


ジャズへの目線がオセロのように裏返ってしまった。
●個人的にいうと、少年時代のボクは「ジャズ」が大嫌いだった。実はボクの父親は大のジャズ好き。安いラジカセのカセット音源をガシャガシャ鳴らし、クルマに乗ればカーステで鳴らし、休日になればヘタクソなサックスをブカブカ吹く。もうコレでジャズに対して完全にアレルギー体質になってしまった。「ジャズ」という言葉に、洗練、クール、大人の落ち着き、というイメージを乗せる人は多いかもしれない。でも小学生の頃からバカバカうるさいチャーリー・パーカーや、かび臭いグレン・ミラーを聴かされてた子供のボクには、ゴチャゴチャやかましい、録音が古くて荒れている、野暮ったい、と最悪のイメージで捉えていた。
それが、一気に時代の最先端の音楽になってしまった。最新の手法を備えたクールな音楽。当然、本来の「ジャズ」に対する考え方も変わる。父親のレコード棚を漁り、改めて聴きなおした。今では、父親の音源は実家からむしりとられて、一枚残らずボクのレコードコレクションに入っている。父親のジャズ趣味と、今のボクのジャズ趣味は、必ずしも一致しないが、随分話が出来るようになった。アシッドジャズ以前のボクは、子供の反抗心でジャズを否定してたようなモンだった。「親の聴くものなんざ価値はねえ」とね。

でも…。アシッドジャズって「ジャズ」なのかな?
●ボクの中でのジャズ認識(ジャズ定義)は、少年時代から今にわたるまで、基本的に変わってない。プレイヤー一人一人がその技術を訓練と研鑽によって研ぎ澄まし、その音楽を剥き身でぶつけ合う火花のスリル。そこに予定調和はなく、高度なアドリブが誰も行き先の分からない異次元へ、聴く者そして演奏する者自身をも引っ張り挙げていく。でもでもでも、アシッドジャズの、サンプルや打ち込みで構成されたトラックには、不定形で未完成な部分はない。アドリブに解放されてる余地がない。これは果たしてジャズか?そんな疑問がすぐに浮かんだ。むむむ。アシッドジャズは、ジャズの表面をトレースしているが、ジャズの本質とはズレているのかも。一方、ボクのジャズ観が実は限定的なのであって、そのイデオロギーは70年代くらいにもう崩れたのかも。これは、00年代のフューチャージャズ、クラブジャズを聴いてても湧き上がる疑問だ。反対に、ジャズの体裁をとらずしてジャズの本質に到達してる音楽もあるってことも分かってきた。とにかくこの問題は難しい。


●それから。それから。


イギリスに「レイヴカルチャー」が花開く。
●新型ドラッグ「エクスタシー」に加速されたハイテンションで、ダンスミュージックが活況を呈す。「アシッドジャズ」の呼称の元となった「アシッドハウス」エクスタシー対応型のダンスミュージック(「アシッド」そのものがエクスタシーを示す隠語)で、ダンスフリークはクラブを飛び出し、野外や廃屋でゲリラ的な違法パーティを繰り広げた。
●そんなダンスミュージックが自らを理論武装し、その表現を深化させる。今もシーンの最前線に立つテクノレーベル WARP「ARTIFICIAL INTELLIGENCE」というキーワードを旗頭に、享楽的なイメージだったテクノを最新型最前衛の先鋭的表現フォーマットに進化させた。APHEX TWIN こと RICHARD D. JAMES、THE BLACK DOG PRODUCTION(現 PLAID)、THE ORB ことALEX PATERSON、AUTECHRE がシーンに紹介された。
●UK のテクノシーンは、テクノを闘争の武器と位置づけたアメリカ・デトロイトテクノ(UNDERGROUND RESISTANCE、JEFF MILLS、DERRICK MAY など)や、東西統合を果たしたばかりのドイツのハードなテクノシーン(HARDFLOOR など)、日本のシーン(電気グルーヴの1STはマンチェスターにてレコーディング)と共振して、グローバリズムな文化として全世界に浸透する。

Artificial IntelligenceArtificial Intelligence
(1992/07/09)
Various Artists

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●マンチェスターのテクノユニット 808 STATE1992年のライブ@渋谷 ON AIR は最高に楽しかった。マンチェスターの他のロックバンド同様、彼らもとってもカッコ悪く(完全にただのオッサン)、それが最高にカッコよく見えた。中心人物 GRAHAM MASSEY は70年代末から活動していた元パンクスで、メタボな腹に「PIONEER LASERDISC」のノベルティTシャツを被せて踊りまくっていた。ボクが今でもノベルティグッズが大好きなのは、この原体験に由来してる。
●彼らがクールに思えたのは、自分たちの楽曲に工業製品のような型番をつけて(「PAFCIFIC 303」とか)リミックスを量産しまくってた事だ。ダンス衝動へ機能を特化された楽曲は、ロマンも情緒も剥ぎ取られてターンテーブル上でスピンされる音声の一パーツになる。どんなパンクよりも、どんなハードロックよりも、清く正しく美しく、潔く過激でアヴァンギャルドだった。彼らの前に、ロックは全て陳腐な芝居となった。

Utd. State 90Utd. State 90
(1990/06/11)
808 State

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●今のは寄り道。今日はブラックミュージックのハナシだから。UKテクノは白人に片寄ってる。
アシッドジャズも、英国伝統のモッズ趣味から発生したムーブメント。支持者もクリエイターも白人がメインだった。白人と黒人の共闘というべきかな。しかし、それとは全く別の文脈、イギリス国内のジャマイカ移民が全く新しい音楽フォーマットを作り上げた。次はそんなハナシ。


「ドラムンベース」。
イギリスはジャマイカの宗主国とあって、1967年にジャマイカが独立しても関係は実に深いままだった。ジャマイカ移民は継続してイギリスで増え続け、独自のコミュニティを生み出して行った。そんな彼らは故郷の音楽をイギリスに持ち込んできた。レゲエだ。70年代以降は UK産レゲエが、独自のダブサウンド、独自のルーツ観を展開した。パンクやニューウェーブにも大きな影響をもたらした。
●1985年頃から、ジャマイカのレゲエは、コンピュータライズドと呼ばれる打ち込み主体のスタイルに移行した。この影響がイギリスにも伝播し、90年代初頭には、テクノ、レイブ、コンピュータライズドダンスホールレゲエが同時に楽しまれるようになった。ここから、新らしい音楽が生まれる。「ジャングル」だ。ダンスホールレゲエのリズムを超高速化し、これにDJがトースティングしていく(ヒップホップ的にいえばMCがラップを乗せる)。
「ジャングル」が徐々に洗練される事によって、この音楽の本当の破壊力が明らかになった。打ち込みトラックに依存するリズムパターンは超高速&超複雑になって、もはや人力では再現不可能なレベルまでに到達した。そしてヘヴィーなベースライン。大きくバランスを逸脱した強力重低音。白人のキッズは、高速ビートに合わせて痙攣的に踊り狂ったし、黒人のキッズは、重低音に合わせて腰を大きく揺すらせた。「ドラムンベース」の完成である。
●イギリスの港湾都市ブリストルから出現した RONI SIZE / REPRAZENT は独特のファンク感とロックのダイナミズムを取り入れて、一気にシーンのヒーローになった。GOLDIE もそのギャングスタなルックスとスペーシーに洗練された音楽でカリスマを放つ。4 HERO は生演奏やジャズ、クラシックのフレーヴァーを取り込んで芸術的奥行きをドラムンベースに与えた。PHOTEK は特殊な変拍子や音響的実験を通して「武士道」までその奇妙な美学を発達させた。DJ ZINC はじめ NO U-TURN というレーベルから発信した連中は、ダークで凶悪なベース音でロンドンの闇をさらに濃くする。そして APHEX TWINSQUAREPUSHER。偏執狂的な超超高速痙攣ビートが分裂病のように予想のつかない方向へ展開して行く狂気を表現。彼らの過激な音楽は「ドラムンベース」ならぬ「ドリルンベース」と呼ばれるに至った。

New FormsNew Forms
(1997/09/08)
Roni Size & Reprazent

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Feed Me Weird ThingsFeed Me Weird Things
(1996/06/01)
Squarepusher

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「H JUNGLE WITH T」とドラムンベースとの出会い。

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●1995年、日本の歌謡界でジャングル旋風が吹き荒れた。「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」というウタが流行ってしまった。ダウンタウン浜田雅功小室哲哉のユニットだ。年末には紅白歌合戦にも出てしまった。イロモンだと思った。
●翌1996年、大学4年生になったボクは、仲間と一緒に池尻大橋の小さいクラブを借り切ってDJをしようと企画してた。仲間に呼びかけてライブパフォーマンスの出来るヤツや、DJの出来るヤツを集めてた。そんな時、早稲田の友達が1人DJを連れてきた。彼が言うには「ドラムンベースをかけたい」という。正直まだそのテの音楽に馴染みのなかったボクは「ジャングル」なら勘弁と、一回はそのDJの申し出を断った。でも彼が食い下がる。「小室哲哉やエイベックスが売ろうってヤツをしようって訳じゃないんだ。聴けば絶対納得する。このシーンはこれからなんだ、ドラムが歌う、ベースがうなる、最高にクールにキメる」ボクは、渋々このDJの参加を承諾したが、イベント当日のプレイには衝撃&驚愕&完全降参、「ごめん、ドラムンベース、最高だった」と彼に詫びた。
●96年以降には日本にもドラムンベースは大々的に紹介され、都内のアチコチで有名アーティストが来日、クラブでスピンした。ボク自身も一番活発にクラブ遊びしてた時期。最高にたのしかったね。下のアーティストは、2回くらい聴きに行ったと思う。

Progression Sessions: LiveProgression Sessions: Live
(2002/10/15)
LTJ Bukem、MC Conrad 他

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LTJ BUKEM FEATURING MC CONRAD「PROGRESSION SESSIONS - JAPAN LIVE 2002」2002年
LTJ BUKEM と彼のレーベル「GOOD LOOKING」のクルーが東京 LIQUID ROOM でスピンしたイベントの実況盤。BUKEM も前述したドラムンベースアーティストと同じだけの影響力を持ったシーンの巨人だ。特に彼の美学はDJからレーベル運営まで完全徹底している。透明感のあるキラキラしたサウンド、明快なビート感覚は、ブラックミュージックを宇宙空間へ解放するようなスケールの大きさを感じさせた。4 HERO がジャズを志向し、RONI SIZE がファンクとロックを志向したとすれば、LTJ BUKEM AOR 的なフュージョンミュージックを志向していたような気がする。
●未来世紀の宇宙空間から響いて来るような BUKEM のトラックに、人間存在はチッポケすぎて介入するスキマがない。しかしダンスフロアでフィーチャーされる MC CONRAD のシャウトは、この広大な音楽に人間のソウルを注入してくれる。このCDにはスタジオ音源と、ライブ音源の2CD構成だが、彼がフィーチャーされることで場の気分が一変する。ボクが生で味わった BUKEM のプレイには2回とも彼がブースのサイドに立ち、オーディエンスを煽ってた。西麻布イエローの入り組んだフロアの中、DJブースを見下ろす階段から彼らのプレイをずっと眺めてた覚えがある。CONRAD はマイクで客を煽りながら、もう一方の手で細かくエフェクターのツマミやボタンを繊細に操作し、自分の声にディレイやリバーブなど様々な効果をその場で施していた。スゲエ職人芸。
BUKEM がこのCDでプレイしている音源で注目すべきは、MAKOTO ってアーティスト。3曲もスピンされているが、彼は日本人だ。日本での評価を通り越してイギリスで評価された人物だ。あと一つ、HERBIE HANCOCK も一曲収録されてる。ジャズ巨匠の彼もこの90年代にはドラムンベースに挑んだのだ。HERBIE HANCOCK はスゴい。MILES DAVIS の元に学び、60年代には新古典派と呼ばれるほどの保守的な作品を作りながら、70年代には「HEAD HUNTERS」で強力ファンクに挑戦、80年代には GRAND MASTER DST のターンテーブルスクラッチをフィーチャーした「ROCK IT」ヒップホップに挑んだという前科がある。機を見るに敏。時代と寄り添う感覚が優れている。


●それから。それから。


UKソウルの成熟。
アメリカのR&Bに比べて、UKソウルは物足りない。アクが足らない。渋みがない。味が薄い。オシャレだけどスカスカしている。そーんな偏見をお持ちの方、いらっしゃいませんか。はーい。ワタシがそうです。90年代のニュークラシックソウルの時代には、ソレのテイストに準じた音源がイッパイ出てた気がしたけど、なーんかモノマネっぽくてダメなんです。
でも00年代に入ってから、独自のテイストを持ったシンガーが大勢出てきた気がする。正直まだ研究中なんですけど。独自のレゲエ解釈で現代的なソウルを歌う FINLEY QUAYE を発見した時から、あ、アメリカのモノマネをしないシンガーが現れたんだ、と感じたのです。

Introducing Joss StoneIntroducing Joss Stone
(2007/03/20)
Joss Stone

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JOSS STONE「INTRODUCING JOSS STONE」2007年
イギリスの女子力は今スゴい。アメリカの白人シンガーはチャラチャラしたお子様向けのポップロックばっか。一方イギリス白人女子には、自分のハラワタを切り開いて自分のソウルを握り出してきたかのような根性のある娘が多い。AMY WINEHOUSE しかり、ADELE しかり、そしてこの JOSS STONE も。まだみんな若いのに立派。この音源リリース時で20歳、でももうアルバム3枚目だよ。プロデュースは RAPHAEL SAADIQ。モータウンや60年代R&Bを連想させる気分がむしろ新鮮。アメリカの流行り廃りの激しいR&Bのトレンドを追いかけるより、ずっと地に足がついているパフォーマンス。キチンと自分のルーツに正直なのがわかる。MARK RONSONAMY WINEHOUSE も近作では60年代R&Bに注目しているみたいだし、この辺の動きは今目が離せないかも。

Set the ToneSet the Tone
(2006/06/12)
Nate James

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NATE JAMES「SET THE TONE」2006年
●チャーミングなアフロ頭と童顔フェイスが人なつこい印象を与える彼の、ファーストアルバム。その顔つきがそのまま音楽に現れているのか、素直で爽やか、ポップ感あふれるストレートさが却って潔くさえ思える。レコード会社は「第二の JAMIROQUAI」と宣伝したが、その気持ちはわかる。ディスコっぽい疾走感と STEVIE WONDER のような高くよく伸びる声が JAY KAY にカブると言えば言えなくもない。でも多分 JAY KAY よりもずっと育ちが良くてイイヤツですよこの人。JK はちっと狂ってるから。ボクがこの人に注目したのは日本のジャズバンド PE'Z が初めてコラボしたボーカリストだったからだ。このシングルが最高で、PE'Z の音楽性自体を拡大させたほどのモンだった。で、PE'Z 関係者に聞いた所、ボクの予想通り、NATE は超イイヤツだったそうな。

トゥルー・カラーズ~スマッジ・デビュー・アルバムトゥルー・カラーズ~スマッジ・デビュー・アルバム
(2005/07/27)
スマッジ、シモーン 他

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SMUJJI「TRUE COLORS」2005年
●ジャマイカ生まれ、完全にレゲエカルチャーの人なんだけど、ロンドン育ちでR&Bテイストが完全にイギリス風味。ダンスホールレゲエの高速トラックにシルキーなファルセットが響く。つまり KEVIN LYTTLE のようなソカの最新型なんですな。イギリスのジャマイカンコミュニティは、常に UK のシーンに新鮮な刺激を供給している。前述のドラムンベースも、後述するダブステップも、ジャマイカの影響なしでは生まれ得ない音楽だ。


●それから。それから。


00年代。UK ガラージ~グライムの登場。
ドラムンベースのシーンが一段落する90年代末期から、また UK 発の音楽言語が登場しようとしていた。ドラムンベースが持つ、変則ビートの可能性をマニアックに追求するブロークンビーツ4HERODEGO が立ち上げた 2000 BLACK といったレーベルが、より複雑なビート実験を続けた。でもこれはチトマニア向け。
ドラムンベースのポップな面を、よりオシャレに昇華させたのが2ステップ。粗暴なダンスミュージックだったドラムンベースの角を切り落として、音楽に丸みを持たせたモノ。ウタもの中心に進化したのもポピュラリティーを獲得する上で重要だった。MJ COLE、ARTFUL DODGER、CRAIG DAVID などがこのシーンから巣立った。日本でも TEI TOWA がこのスタイルにのめり込んでた。
●一方でトランス/プログレッシブハウスも UK で爆発的な支持を集めていた。「GARAGE(ガラージ)」とは本来80年代末~90年代初頭の N.Y.発のハウスミュージックを差す言葉だったが、UK のハウスシーン拡大の中、この言葉が「SPEED GARAGE/UK GARAGE」という名前で復活した。
2ステップ UK ガラージは、アメリカならばヒップホップにたどり着くであろうゲットー育ちの若者たちに、表現様式を与えた。アメリカ音楽とは全く関係なく UK の中で進化した、2ステップと UK ガラージが合体したようなハイスピードの変則リズム。これに自分たちの鬱憤や憤りを乗せて歌いラップした。これが「グライム」GRIME とは「しみ込んだ汚れや垢」という意味。代表的なアーティストは、SO SOLID CREW、DIZZEE RASCAL、WILEY、THE STREETS……。APHEX TWINRICHARD D. JAMES が主宰するレーベル REPHLEX までもがグライムのコンピを編んだ。

●王道のグライムとはズレテルんだけど…この一枚。

Welcome to the Best Years of Your LifeWelcome to the Best Years of Your Life
(2007/03/26)
Ben Westbeech

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BEN WESTBEECH「WELCOME TO THE BEST YEARS OF YOUR LIFE」2007年
●UK ガラージの発展型の一つのカタチ。クラシックの教育を受けていたが、10歳でブートのミックステープでドラムンベースにハマってしまったのが運の尽き。オリジナルジャングリスト(最初期ドラムンベースのカリスマ)SHY FX の元で修行、ロンドンの大学もドロップアウト、 RONI SIZE らを輩出したマルチカルチュアル都市ブリストルに移住。そこで、ドラムンベース、UK ガラージ、2ステップ、R&Bまで飲み込んだダンスミュージックを一人編み出した。過激さエキセントリックさが目立つドラムンベースグライムのビート感覚を、チャーミングなセンスで洗練させて、陽気なメロディを甘く乗せて歌う。これまた新時代のR&Bの一形態かも知れない。
●そんな彼に光を当てたのが、TALKIN' LOUD 主宰の GILES PETERSONアシッドジャズレーベルだった TALKIN' LOUD は90年代半ばにはドラムンベースレーベルに変身し、RONI SIZE / REPRAZENTを発掘、4 HERO の大傑作「TWO PAGES」もリリースする。2ステップの貴公子 MJ COLE も彼の元でファーストアルバムを発表。GILES ある所、最新型のサウンドあり。80年代末からそのアンテナが全然狂ってないんだな、スゴいよ。そんな彼は2006年に新レーベル BROWNSWOOD を創設。その第一弾アーティストが BEN となった。実は当時の BEN はニート寸前のダメ人間で、友達に借金してPC買って音楽制作してたくらいの逆境だった。そんな貧乏小僧に才能を見出す感覚は見事としかイイようがない。BEN も自分の音楽にそんな生活苦など1ミリも感じさせないハッピーなテイストでまとめててスゴいと思うけど。ちなみに、BROWNSWOOD は日本のジャズバンド SOIL & PIMP SESSIONS とも契約してる。


●それから。それから。


UKにヒップホップはなぜ根付かないのだろうか?
●全世界にヒップホップというフォーマットは広まっているのに、日本でも韓国でもブラジルでもドイツでもフランスでも、ありとあらゆる場所でヒップホップは聴けるのに、世界第三位の音楽市場を誇るイギリスの中で、純正のヒップホップは存在感が薄い。なぜだろう?そしてグライムシーン。彼らグライムアーティストは、アメリカのヒップホップとの距離感を微妙に行ったり来たりしててどうも落ち着かない。傾向としてヒップホップに接近しすぎると音楽がつまらなくなる。グライムの持ち味を失ってしまう。でもヒップホップに対する関心がないわけじゃない。微妙なコンプレックスがあるような気がする。


UKヒップホップを地下で支えたレーベル BIG DADA。

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●設立は1997年、ロンドンを拠点にするレーベル BIG DADA。独自のアブストラクトヒップホップ世界を展開してきたレーベル NINJA TUNE の傘下にある。なぜUKにヒップホップが深く根差さなかったのか、今だにボクには理由が分からないが、そんな状況の中でこのレーベルは実にユニークなヒップホップアーティストを育ててきた。ROOTS MANUVA はジャマイカ移民2世として独特のダブ感覚とヒップホップセンスを結合してアメリカ人にはマネできない音楽を作ってきている。UKエイジアンの超新星 M.I.A. の強烈なバングラビートをプロデュースして一気に時代の寵児となった DIPROグライムシーンの裏番長、WILEY もこのレーベル所属だ。グライムの影響がアメリカに伝播して起こったボルチモアブレイクスというシーンで活躍するSPANK ROCK もココと契約した。……そしてココに、UKヒップホップの闇将軍がいる。

Universally DirtyUniversally Dirty
(2006/08/08)
New Flesh

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NEW FLESH「UNIVERSAL DIRTY」2006年
●このアーティスト、前は NEW FLESH FOR OLD という名前だったのです。この頃のCDを発見したのがフィンランドの首都ヘルシンキのレコード屋。2000年。まだコドモが生まれてなかった頃、夫婦で巡ったフィンランドツアー。8月頃、ほぼ白夜状態で夜11時でも夕暮れ感覚だった。旅の目的は、ヘルシンキから特急とバスを乗り継いで半日くらいの小さな町ナーンタリにあるというムーミンランドに行く事。コレも最高に楽しい経験だったが、ボクはここでもレコード屋を探してモシャモシャCDを漁ってた。
●フィンランドという国は、日本のようにアメリカ&イギリス偏重主義ではなく、この二大国とヨーロッパ諸国とが等距離に意識されているらしい。だからレコード屋さんの在庫もフランス、ドイツやデンマーク、スウェーデンの音楽などがまんべんなく揃っててユニークだった。そこで色々な国のヒップホップを探して買ったもんだ。そんな中 UK のヒップホップとして発掘したのが NEW FLESH FOR OLD「EQUILIBRIUM」1999年。彼らの1ST アルバム。メンバーが沢山いるようで、まるで WU-TANG CLAN のようなマイクリレーがダークでアブストラクトなトラックの上で踊ってる絶品だった。

EquilibriumsEquilibriums
(1999/09/13)
New Flesh for Old

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●そんで時は流れ、名前が短くなった彼らの新譜に、日本のシモキタザワにてボクは出会った。名前も短くなった分、メンバーも減って3人くらい?矢継ぎ早なマイクリレーがなくなり、スモーキーだったトラックもフルモデルチェンジ、エレクトロな骨格と強いキックが剥き出しなった、グライム型ヒップホップに変身してた。そのつんのめるようなビート感は確かにグライム、しかしロウテンポな質感はヒップホップ。ここにまたヒップホップ進化の芽がひっそりと顔を出している、そんな風に感じ取れたのだった。


●それから。それから。


賛否両論。ダブステップ。


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VARIOUS ARTISTS「BOX OF DUB 2 - DUBSTEP AND FUTURE DUB」
●イギリスの好事家レーベル SOUL JAZZ がオハコの過去音源のコンピではなく、現在進行形のサウンドをコンピとしてまとめてきたと、実は個人的にな強烈な衝撃として受け止めた「BOX OF DUB」がもう第二弾射出となった。速い!動きが速いよ SOUL JAZZ!通常のザクの三倍のスピードだよ!
●てな具合に注目されてるダブステップなる新しいフォーマット。でも、まーだ日本では認知が浸透してない。先々月あたり、iTuneストアのフリーダウンロードサービスで BURIAL というダブステップのアーティストが紹介されたのだが、リスナーの評価が賛否両論の大激論。「陰気で最低」など酷評が相次ぎ、それに反論するアーティスト支持者が「コレはアンタ方が知らない、ダブステップって名の音楽なんだ」とやり返す。iTune のフリーダウンロードはサービス開始以来ほぼ必ずチェックしてるが、こんなに場が荒れたケースは初めてだ。「フリーなのにケチョンケチョンにこき下ろすとは図々しい」的な意見から、「タダだから聴くが、金出してまでは絶対に聴かない」などなど、スゴくヒステリックに反応している人がいてビックリ。「快眠できる」とか「夜のドライブ向き」とか「自分は北九州在住、これは都会の人の音楽でしょ」など多種多様で興味深い意見もあった。
ネットショップという業態の中、今までは特殊なマニア層にしか知られる事のなかった音楽が、そんな文化に興味も関心もない人々(例えば前述の「北九州」の人)の手元にすぐ届くという状況が偉大なわけで、関心興味のあるなしは別として、東京でも北九州でも利尻島でも八重山諸島でも機会均等の平等が与えられた事は素晴らしいと思う。そんで議論が深まり、そこから新しいスタイルが出来るのなら、どうぞケンケンガクガク議論して欲しい。……ちと、ハナシがズレタね。BURIAL はこのCDに収録されてないし。

UntrueUntrue
(2007/11/12)
Burial

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さて、このダブステップがどんな音楽か。考えてみよう。
●以前もこのブログで説明したが、ダブとはレゲエ用語。レゲエのインストトラックを電気加工処理して、別の曲に作り替えたりする手法。リミックスの元祖だよね。で、この手法がジャマイカからイギリスに渡ってどう変わったか。音のスキマを大きくしてエコーをタップリ響かせるってのは、常夏の国においては「涼しげでイイねえ」てな具合になる。しかし寒い北国でコレをやると「ココロが凍えるよ!」ってほどにカキンカキンに冷える。UKダブは、ある意味この氷点下絶対零度音楽を突き詰めて行く方向性を生む。JAH SHAKA とか ALPHA & OMEGA とか、突き詰め具合がキンキンですわ。そして90年代、トリップホップの登場。ヒップホップとダブ手法の結合で、抽象的でロンドンの深い夜霧を思わすような暗闇の音楽ができた。代表選手は、PORTISHEAD、TRICKY、MASSIVE ATTACK だ。
●そして90年代から00年代、ジャマイカ移民発の様々なダンスミュージックが生まれていった。人力では再現できない高速ハイハットと野太いベースが共存するドラムンベース。ソレを更に解体再構築したブロークンビーツ。グライムもひねくれたトラックメイキングで独特のエレクトロ感を開発した。それらの成果を吸収し、UKダブの伝統を正確に受け継ぎつつ、ハイハットでこまかくリズムを刻んで二重のグルーヴを搭載させたのがダブステップと言えばイイのだろうか。
●確かに、陰気です。ドス黒い闇の中を、重低音ベースがズズズズッとゾンビが足を引きずるように這い回ってます。その空間の上の方を神経質にピリピリ飛び回っているハイハットのビート。広大な地下室のコンクリート壁から響き渡ってくるエコー音。規則正しく気温は絶対零度、アナタの耳は凍傷寸前、ヘッドフォンを外して耳を温めないと壊死します。これを場末のクラブのドでかいスピーカーで聴いたらどんな気分がするだろう。下腹に響く重低音に腰は否応なく揺すぶられ、酒に酔っぱらったアタマにキンキンくるんだろうな~。



●長いお話はオシマイ。
●80年代末から00年代の中盤となった現在まで、なんとかUKのブラックミュージックを俯瞰してみました。くー、今回も難しかった。でも、ここまでジャマイカ移民のカルチャーが大きな影響を持っていたコトに、自分でも驚いた(冒頭に触れた「UK BLAK」CARON WHEELER もジャマイカ系だし)。そしてそれらを支持するモッズの心構えってのが、今の時代も生きているコトGILES PETERSON みたいな人のコト)にも感心した。いやー奥深いわ大英帝国は。この国のフトコロの深さを認めてくれる方は、下の拍手ボタンを押して下さいね。よろしくお願いします。

●あと、このシリーズは、これからアメリカ編に入ります。おーい、オマエ本当にやりきれるのかよ、と自分でツッコミ入れたくなりますが。

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