「写真』とはなにか。-「20世紀の巨匠たち」- 美を見つめる眼 社会を見つめる眼。

20世紀の巨匠たち


●この前、フルモデルチェンジした大丸東京店の併設美術館「大丸ミュージアム・東京」にて、20世紀の写真美術を一気に俯瞰する展覧会が行われた(昨日でおしまい)。メル友のヨーコさんがこの展覧会の企画に参加しているということで、会社の帰りに東京駅まで足を伸ばしたのであった。1900年代の古い作品から80年代の作品まで、一気通貫な勢いで20世紀の時空を駆け巡る展覧会。「写真」とはなにか。というコピーの通り、色々なことを考えさせられた。
●14人の写真家を取上げて、その代表作を展示する内容。文字通り写真史を代表する大物ぞろい。中には初めて知った写真家も。特にシビレた作家さんについてコメントを。


ルイス・ハイン LEWIS HINE(1874~1940)アメリカの少年時代。
写真が持つジャーナリズムの機能を証明したオトコ。20世紀初頭のアメリカで活動したハインは、工場や鉱山で重労働に携わる子供たちの写真を撮った。この写真が当時蔓延していた児童の不当労働を、社会問題として浮き上がらせたという。しかし、彼の写真に写る子供たちは眼をキラキラさせてて、貧しくはあるが悲壮感はない。ボクは、うちのコドモに見せたDVD世界名作劇場「トムソーヤーの冒険」を思い出した。はだしで、着たきりの小汚い服を着て、ホコリっぽい頭を揺さぶって、どこまでも走っていくかのような、野蛮なガキども。この時、アメリカはまだ少年時代で、冒険時代だったんだ。
Lewis Hine and the Crusade Against Child Labor
(「KIDS AT WORK: LEWIS HINE AND THE CRUSADE AGAINST CHILD LABOR」)


マン・レイ MAN RAY(1890~1976)前世紀のハイテクアート。
●新しく幕開けたばかりの20世紀。当時最新の芸術潮流「シュルレアリスム」にやはり当時最新の写真技術を導入。これって現代音楽にエレクトロニカ機材を導入して未知の表現を切り開く感覚と同じだよね。ソラリゼーション(白黒反転とか)を用いた作品など、撮影現場でなく現像過程で写真に加工を施す感覚は、生素材音をPCで編集するポストロック~エレクトロニカの手法に通じるモンがある。そして若き日のダダイスト、マルセル・デュシャンの肖像写真がクール。作品は有名でも顔は初めて見た。イヤミな皮肉屋で、ハッタリだけの詐欺師で、スカシたキザ野郎がニヤついてる。これが1900年代のトリックスターか。カッコいいじゃないか。

Man Ray [Illustrated](「MAN RAY (ILLUSTRATED)」)



ロバート・キャパ ROBERT CAPA(1913~1954)「悲しいけど、コレって戦争なのよね~」
人が撃たれて死ぬ瞬間を撮って名を挙げたオトコ。スペイン内戦、ファシストに対して立ち上がった民兵が目の前で銃弾に倒れる。その有名過ぎる写真、今一度冷静に見ると、キャパは撃たれた民兵のすぐ隣を走ってたわけで、下手すりゃ撃たれて死ぬのはキャパだったかも知れないんだよね。命を張る戦争写真家だ。昔見た写真集。ヨーロッパ戦線の市街戦、バルコニー脇で頭打ち抜かれて床を真っ黒に染める兵士の写真が忘れられない。そしてノルマンディー上陸作戦。「プライベートライアン」で壮絶血みどろの激戦が再現されてるが、ここでも度胸一発見事な写真を撮ってる。ちょっとピンボケの写真に、記者は「キャパの手も震えた」とキャプションしたが、震えたのは現像スタッフの方で、ちゃんと撮れてたキャパのフィルムを台無しにしちゃったらしい。
一方で、キャパは生き生きとした生命力も見事に切り取る男なんだなと、今回実感。パリ解放を祝う市民の素晴らしい笑顔。ナチ協力者を囲む人々の顔。晩年のピカソがガールフレンドにデレデレしてる顔。キャパは、ただの戦争ゴロでも、死体マニアでもない。躍動する生命力を一番見出せるのが、この時代ではたまたま戦場だったというわけだ。ハンガリー出身のキャパは、田舎育ちはオクビにも出さず、一流のパリジャン気取り、一流のプレイボーイで、女優イングリット・バーグマンとラブラブだったっつーからカッコいい。チャラチャラしてるけど根性座った伊達男、ボクは「機動戦士ガンダム」に出てくるスレッガー・ロウ中尉とイメージがダブるんです。「悲しいけど、コレって戦争なのよね~」スレッガーはそういって重モビルアーマー・ビグザムに特攻して死ぬ。キャパもインドシナ戦線で地雷を踏んづけて、死ぬ。

Capa,_Death_of_a_Loyalist_Soldier



ウィン・バロック WYNN BULLOCK(1984~1985)カメラというメカの質感と詩情の共存。
●この人は、この展覧会で初めて名を知りました。よって予備知識なし。けど、光の力がビキッと画面の隅々までに行き渡ってて、その鮮明さにハートを奪われました。丁寧に絞りを調節して、ガツーッ!とシャッターを長めに開く。フワ~~っと光がカメラの中に吸いこまれていく。そして画面の隅々までにフォーカスがキまった奥行きのある画像が出来る。そのメカニカルな質感を前提に、そんな仕組みとはウラハラな詩情あふれる世界観構築にため息。シダ植物の生い茂る薄暗い林の中、裸の少年が横たわる様子。遅めのシャッタースピードで、ドライアイスの煙のように軽く舞い上がるモヤとなった波と、その波に洗われる岩の安定感。写真というメディアが持つ重厚な迫力を感じました。

Wynn Bullock The Enchanted Landscape Photographs 1940-1975

(「WYNN BULLOCK: THE ENCHANTED LANDSCAPE PHOTOGRAPHS 1940-1975」)


アンセル・アダムス ANSEL ADAMS(1902~1982)モノクロの大巨人
●ヨセミテ自然公園など、アメリカ西部の大自然をガキーンと撮り収める巨人というイメージ。モノクロ写真の繊細なグラデーションが鮮やか過ぎて若かったボクには大ショック。岩肌や木の幹の濃淡をあれだけ雄弁に表現するためには、カラーでなくモノクロしかない、って確信させる迫力。彼のおかげで学生時代のボクは、マトモなモンなど撮れもしないのに、お古の一眼レフにモノクロフィルムを突っ込んでガシャガシャ写真を撮ってた時期がある。今回の展覧会に、大自然の大巨人というようなビッグな風景写真はなかったけど、枯れた鹿の角の骨に、慎ましやかな詩情が漂ってた。

Ansel Adams Our National Parks(「ANSEL ADAMS: OUR NATIONAL PARKS」)



ヘルムート・ニュートン HELMUT NEWTON(1920~2004)年を重ねて滲み出たフェチ心。
●ボクはこの人を若い写真家と勘違いしていた。斬新なファッション感覚で80年代に大活躍してたというイメージがあったから。でも80年代にはもう還暦オーバーの大ベテランだったのだ。ショック!SM趣味や、ボンテージ、退廃的ヌード、ピンヒールなどのフェティッシュなイメージ、これだけ尖った感覚が、オッサンパワーによって出力されていたとは。即座に荒木経惟を連想した。50年代からファッション誌で洋服の写真を撮ってきたニュートンが、洋服じゃなくて洋服の内側(つまりヌード)、そして内側の内側に隠されてるフェチ心を、写真に写そうとしたのはナニがキッカケだったんだろう。モノの本によると、70年代後半から、ファーのコートの下は全裸にした女の子を地下鉄に乗せて写真を撮り始めたという。うわ、企画モノのAV寸前ですぜ。「女の子を見るときはまず足から見る。ハイヒールは高い方がいい。高いヒールはセクシーだよ」こまったオヤジだ。彼の中では、服を着てるモノ/着ていないモノの対立概念も重要らしく、なるほど確かに展示作品は、スーツをパリッとキメた紳士と豊満なボディを晒すレディのペアって構図が多かった。

lesmoking2.jpg



ロバート・メイプルソープ ROBERT MAPPLETHORPE (1945~1989)ジェンダーを越境するパンク
●エイズの悲劇で失われた才能として、キース・へリングなどと並び称されることが多いけど、ボクの中ではNYパンクの目撃者。PATTI SMITH のデビュー盤「HORSES」や、TELEVISION 「MARQUE MOON」メイプルソープがジャケ写を撮ってる。ことPATTI SMITH とは同棲生活を送ってたくらいで(その頃の PATTI の写真も素晴らしいんだな~。半裸だけど色気ゼロの、ザラリとしたあの目つき。)、ゲイだっていうけど女の人も大丈夫なんじゃん?とか思うのです。展示されてたのは、女性ボディビルダー、リサ・ライオンのポートレイト。両性具有的な肉体美が、ジェンダーの境界を無効化する美学を象徴してた。PATTI「HORSES」でもわざわざ彼女にメンズのシャツを着せてる。境界を揺さぶり、世間の常識を転覆した。彼はパンクなのさ。

[Horses]パティ・スミス(PATTI SMITH「HORSES」1975年 ジャケット)



「写真」の出現が、近代アートのスイッチを押したのかな?
●写真技術が普及するにつれ、つまり20世紀初頭、大きな絵画運動が起こった。印象派に始まる近代美術の革新ですわ。ただ画像を記録するだけなら写真で十分。手書きで画像記録する必然はなくなり、そのための訓練も意味がなくなっちゃった。で、画家の皆さんは、写真には描けない世界を描くことになった。印象派、シュルレアリスム、フォービズム、キュビズム、ダダイズム、イタリア未来派、抽象絵画…。写真の登場でアートの世界観に構造改革が起こり、みんなが裏ワザ荒ワザ反則ワザを繰り出して、この世をヘンテコに眺める方法を今の今までズーッと追求している。悪ふざけ現在進行形。写真は業深いね。静かな美術の世界をシッチャカメッチャカにしたんだから。

写真がアートになるためには。メディアが武器になるためには。
●この展覧会の目的は、写真というメディアが、芸術表現の武器に昇格する段階を歴史的に羅列したもんだ。ただ景色が写ればオッケーよ~の機械から、メッセージや美的感動を伝える表現を引っ張り出すのは人間の知恵。機械を操作するのはエンジニアだが、美しく操作するのはアーティスト。テクノロジーの制約の中で見出された限界の表現がこれだ、って目で見ると、写真技術の進化と表現内容の成長のツバぜり合いが火花を散らしてるのが見えてきて、ドキドキしてくる。技術に溺れ呑まれるか、メカがイマジネーションについて来れないか、キカイ対ニンゲンの勝負だね。
●現代においては、表現メディアの選択肢は無限にある。画像/映像/音楽/PC/ネット…。そのメディアを、使い手である人間は芸術表現の武器に昇華できているだろうか。ハッキリ言って新技術にコンテンツが追いついていないと思う。ソレが悔しい。写真が20世紀100年をかけて成熟したというなら、ネット世代の我々が焦るのは速過ぎるかも知れないが、昨今の状況はキカイにニンゲンが完全に呑まれてる。
●一方で、その無限の選択肢の中で、今やオールドメディアのグループに入った写真技術、特にフィルムを使った撮影技術を自分の武器に選ぶという必然性も、表現者一人一人に問われていると思う。なんでわざわざ写真撮るの?なんで携帯の写メじゃダメなの?なんで動画じゃダメなの? ……21世紀の「写真とはなにか」がこれから問い直されるのだなと、感じ入るのであった。


カメラにまつわる個人的な思い出。
●大学時代にタムロしてたサークルの部室の隣に、写真部の暗室があった。ボクは友達から一眼レフを譲ってもらい、同じ学科だった写真部のヒヤマにモノクロ写真の現像の仕方を教わった。オリンパスのカメラは50ミリのレンズ搭載で、今までボクが見てきたカメラとは全然違う写り方をした。シャッターを押す音はキカイ仕掛けのカラクリに直結してる固い耳ざわりで、バシャっと金属のボディの中で何かが動く感触が楽しかった。小学生が「学研の付録」みたいな日光写真の現像を楽しみにするみたいに、ボクは色んなモノを撮影し、ソレがどんな風に写ってるのかが楽しみで、暗室の中に潜り込んでた。トモダチの顔を撮るのが好きだった。50ミリってレンズがそういう用途に向いているような気がしたから。カラーもイッパイ撮った。とはいえ、ボクの写真の腕がイイとは露も思えないけど。

写真部のヒヤマは大学3年の時に、姿を消した。
ヒヤマは、高校時代を空手一筋で過ごした硬派を絵に描いたオトコ。その鍛えられた筋肉と同じように、性格もカチンコチンで頑固一徹、曲がったことがダイキライ。でも普段は温厚で、体育会系ならではのメリハリの良さが気持ちイイ奴だった。あの暗室がなければ、フニャフニャ文化系のボクとは接点がなかっただろうな。確かセブンスターを吸ってた。
●しかし、ある頃から大学で奴の姿が見えなくなった。「フリーのカメラマンになりたい」と言って大学をドロップアウトしたのだ。奴の夢のコトは、そりゃ散々聞いてたけど、そんな方法で実行するとは思わなかった。その頃のボクは別の活動(音楽関係)に夢中になってたので、ヒヤマの変化には全く気付かなかった。奴と最後に交わした言葉も覚えてない。ヤツはスッといなくなってしまった。ドッカのイタリア料理屋でバイトして専門学校に行くつもりだってウワサをチラリと聞いた。暗室の外にあるソファでタバコを吹かしてたアイツは突然いなくなってしまったのだ。

その後、大学を卒業して今の会社に就職、それから3~4年した頃だったろうか。
●たまたま大学時代の仲間と夜メシを食ってた時だった。卒業以来一回も会ったことのナイ過去のクラスメートから電話がかかってきた。彼が伝えた内容に愕然とした。ヒヤマが死んだという。交通事故だった。ヤツはボクらが卒業した後大学にひょっこり戻ってきて、単位を揃えて5年目に卒業したという。そしてなんと代議士の秘書として運転手の仕事をしていたというのだ。地元から東京、東京から地元、移動の連続。その日は先輩秘書と真夜中に東京へ向かっていた途中だったらしい。
●写真家に憧れてたヒヤマが、どんなつもりで大学から姿を消し、そしてどんなつもりで大学に戻り、そしてどんなつもりで政治家の運転手になったのか。まるでさっぱりわからない。あまりに訳がわからなかったので、たまたま居合わせた仲間と二人で真夜中のドンキホーテに繰り出し、安物のエレキギターを一本衝動買いした。なんでそんなコトをしたのか今でもさっぱりわからないが、それがヒヤマを弔う儀式だったのだ。ギターなんて全く弾けないのに、その夜は明け方までゴリーンゴリーンと騒音をかき鳴らした。後日の葬式では肩の震えが止まらなかったのを覚えている。

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