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2008.04.30
写真家、ロバート・フランクの世界に浸る。泣ける。
●またまたグッドなカフェを発見。
●GWのお休み。昨日は、夕方からシモキタザワの街を一人で散歩。ビデオ屋でDVD借りて、安売りバーゲンでアディダスのスニーカー買って、古本屋「ほん吉」で息子ノマドの好きそうな宇宙の本を買って、そんでお茶でも飲もうと思って、知ってるカフェへ向かって歩いていた。そしたら、気になるカフェを発見。写真集がイッパイ置いてあるのが店の外から見えたのだ。

●「CAFE ZINC」
●場所:下北沢駅井の頭線側西口改札を左側(西側)に歩いて1分。世田谷区北沢2ー22ー23。
●メニューを見たら、「フェアトレード珈琲」という文字が目を引いた。フェアトレードって? 低開発国から正当な価格で輸入する行為で、搾取的新植民地主義への抵抗思想&実践とのこと。店員さんに聞く。フェアトレードって書いてますけど、どちらの国から輸入してるんですか?「えーと、東ティモールです。ご存知ですか?」ああ、インドネシアから独立したばっかりのチッコい国ですね、そんな程度のコトしか知りませんけど…。「酸味のあるコーヒー豆が穫れるんですよ」へー。確かにフェアトレードした方が良さそうな国ですねえ…。
●で、写真集をタップリ眺める。ロバート・フランク。
●たくさんの美術書や写真集がある中、一番気になったのが、ロバート・フランクの写真集だ。ボクはこの写真家が学生時代から好きで、以前展覧会も行ったし写真集も持ってる。でもこうジックリ作品を眺めるのは数年ぶりだ。ペラペラページをめくっているウチに、なぜロバート・フランクに興味を持ったのか、思い出した。ビートニクスの代表的作家ジャック・ケルアックとフランクは友達だったんだ。高校生のボクは、ビートニクスに夢中になった時期があった。マリファナでフワフワした頭で、ポンコツシボレーを時速160キロでぶっ飛ばし、アメリカの大地を行ったり来たりの放浪の旅。時に中南米へ飛んでヘンなサボテンから採れる強烈なドラッグを探す冒険へ。ニューヨークのカフェで詩の朗読会、BGMは危険な香りのビバップジャズ。仏教にハマったり禅にハマったり。ビートニクスは、その後のヒッピーカルチャーを準備した本物のヒップスターで、戦後世代が発信した本物の文学運動だった。ビート文学の金字塔「路上(ON THE ROAD)」の著者ジャック・ケルアックは、まさしくビート中のビートで、彼が序文を書いたという写真集「THE AMERICANS」もケルアック経由で知った。この写真集がロバート・フランクの代表作だったわけだ。
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●ビートニクスは「ぶん殴られた世代」。
●ビート・ジェネレーションとも言われますが、「BEAT」はココでは「ぶん殴る」という意味じゃなくて「ぶん殴られる」に近いっぽいです。超一流のビート、ウイリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグはゲイだったので、その疎外感たるやハンパなモンじゃないでしょう。社会のハミダシものとして、虐げられる立場。そこと近い位置にいたロバート・フランクの写真も、ぶん殴られたような、悲しげな空気が漂っています。泣けます。
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●「COME AGAIN」
●ロバート・フランク、90年代の作品集みたい。方眼紙のノートにセロテープで写真を無造作に貼っつけた構成(をそのまま丁寧に印刷)。風景写真は数枚の写真を繋ぎ足してます。ぶっちゃけヨレヨレです。……写ってる風景も、廃墟、廃墟、廃墟……。ん、途中で気付く。この廃墟は戦争の跡では…? 予感は的中、中盤からイスラム風建築が出てくる。中東の戦火に巻き込まれた街なんだ。暗いモノクロに人の気配はなく、市街ならぬ死骸の風景が続く。最後のクレジットで判明。この街はレバノンのベイルート。クチャクチャのレイアウトにクシャクシャの街…。

●「THE LINE OF MY HAND」
●ロバート・フランクの生涯を俯瞰するような写真集。彼がキャリアを起こした1940年代から、70年代までを網羅してる。彼の放浪人生が、あてどなく転がるボールのように転がって行くのがわかる。彼の生まれは1928年、スイスのチューリヒ。ユダヤ系がゆえにナチの台頭と第二次世界大戦はしんどい経験だっただろう。1947年、23歳でアメリカ N.Y. へ移民。摩天楼を切り取るこの頃の彼の写真は、新社会への不安と希望で若々しく光ってる。でも放浪癖はココから本格化、ペルーからスペイン、パリなどにフラフラし続ける。1955年にアメリカに帰ってからはビートの連中とつるむようになり、今度はアメリカ国内を放浪。その成果が出世作「THE AMERICANS」だ。この頃からは映像も始めるようになる。放浪者の視点から見たアメリカという国の正体。
●1969年に最初の奥さんと離婚。1970年、愛人のアーティスト JUNE LEAF とカナダのノヴァ・スコシアへ移住。どこだよ?って人も多いでしょうから説明しますと、カナダのハジッコ、大西洋に突き出した島の一個で、昔サミットが開かれたハリファックスという街があります。まーとにかくド田舎で、メチャクチャ寒い場所のようです。この頃からのフランクの写真は、本当に寂しくて凍えるような気分になりますから。前妻との間に生まれた子供二人との関係も良くないようで、この写真集にはそんな苦みの伝わるようなキャプションもついています。「…息子パブロ、娘アンドレア、過去を振り返ることは3人にとって苦しいことだった…」。1974年、アンドレアはグアテマラでの飛行機事故で20歳の若さで命を落とします。フランクの写真は、どんどん内向的になって、「ぶん殴られた」ような哀しみが作品にどうしても滲み出てしまうのです。
●「BUS PHOTOGRAPH」
●この言葉は写真集の名前じゃなくて、彼が考えた写真コンセプトです。バスに乗って、窓から見える景色、人、街並を、機関銃のように撮りまくる方法です。アラーキーも似た手法で作品を撮ってます。アラーキーは彼流のダジャレで「クルマド」と呼んでます。タクシーの窓からやはり機関銃のように撮りまくるのです。このアイディアはボクには刺激的でした。写真なんぞ、考えて撮るモンじゃない。撮って撮って撮りまくって、そっから考えろっつーコトね、と解釈しました。学生時代から社会人になって7年目くらいまで常にカメラを携帯してナンでも撮りまくってました。あ、カメラはチープなモンを使ってました。一眼レフは重くて大変。IXYは軽いけどハードユースで壊れちゃう。最終的には工事現場の撮影に使うようなゴツい生活防水カメラを使ってました(ソレも最後には壊れましたが)。「写るんです」も大好きでした。写り方がチャチくてフラッシュがイイ加減だから。ロモも少し撮ってみました。でも残念ながらデジカメの時代になってからは、この習慣をやめてしまいましたね。デジカメはホントよく壊れる。液晶割れるとか。(←どんだけ乱暴な使い方してんだ?)
●ロバート・フランクの写真と、それをボクが眺めていた90年代のアメリカ。
●ビートニクスやロバート・フランクの写真に入れ込んでいた90年代のボクに、一番リアルに響いていたのは、この頃のアメリカのロックです。もうちょっと突っ込むと「グランジ」と「ロウファイ」です。この類いの音楽も、ボロボロにブン殴られ痛めつけられた心象風景を連想させるのです。80年代末のバブル経済崩壊が決定的になり時代がどんどん混迷して行く中で、虚飾を全部剥ぎ取って等身大の美学を誇った「グランジ」「ロウファイ」は、ハグレモノのような気持ちだったボクに一番しっくりきたのです。荒削りで、飾らず、シンプルで、自分のペースを崩さない。この生き方がとても潔く思えた。ロバート・フランクの写真を見て、あの頃の苛立ちや焦燥感、あきらめや失望の感覚が、ボクの舌に苦く甦ってきました。
●ロバート・フランクは、今だ健在で作品を撮っていますし、「グランジ」「ロウファイ」のアーティストたちも、マイペースにずーっと活動を続けています。その力強さはどこから来るのでしょう。近日、超極私的懐古録、90年代のアメリカンロック編、頑張って構成してみます。よろしくお願いします。
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(このドイツの雑誌のロバート・フランク特集もとても面白かったです。)
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