ぜんそく発作で寝込んでます…。
●梅雨が近づくにつれ、呼吸器の調子がおかしくなってきた。ぜんそく持ちは、気候の変化にスゴく影響されるのです。キッカケはコドモに風邪を伝染されたコト。咳止まらない。鼻水止まらない。気管支が縮まって声も出なくなり、意思の疎通にも困る始末。微熱、下痢、めまい。ケチョンケチョンです。病院に色々行ってたら、クスリが21種類にもなった。無理せずにソッコー寝る。

クスリの量がスゴいでしょjpeg

 
「週刊ヤングサンデー」潰れちゃうらしいね…。雑誌メディアの存在価値ってホントに危うくなってきたな。ネット広告が雑誌広告の市場規模にとうとう追いついちゃったというし。
●新聞が「メガ文字」とか言って文字を大きくしたのは、読者が高齢化して小さい字じゃ読めないから、って理屈になってるけど、理由はもう一個あると思う。最近の日本人は長い文章が読めなくなってきているんだとボクは思う。ネットニュースのようなバラ打ち単品記事や、行間の大きいブログ文体、またはケータイ小説文体に慣れてしまうと、長文記事が集まってる新聞は読むのがシンドクなってくる。字がデカくなれば文章は短くなるからね。
●雑誌編集に関わってるトモダチがぼやいてたね。「みんな字読まないね~。ちょっとでも長いと途中で読むの止めちゃう。だから、表とかイラストとか箇条書きとか、バラバラにするんだよね。ホント雑誌は今売れないわ」今の日本人に読める文章の分量って、結局「R-25」程度がちょうどイイってコトか。でもあれは雑誌じゃなくて完全に広告だからな。


「広告批評」までなくなっちゃうらしい。
●あの天野祐吉さんの「広告批評」来年4月で休刊するという。この雑誌には随分勉強させてもらったなあ。
休刊の動機付けが非常に興味深い。ネットやケータイなどウェブ連携展開が常識になるなど、広告表現が急激に多様化していく中で、天野さんの慧眼がザクリと状況をえぐってる。以下「NIKKEI NET - IT+PLUS」5月19日号でのインタビューを引用抜粋。長いけど、ここは一つ我慢して読んで下さい。

広告批評

 
――休刊を決めた理由を改めて教えてください。
 「広告が大きく変わろうとしている今、ひとつの区切り時を迎えているということです。『広告批評』と言う時の『広告』は、マスメディアとしての広告を指してやってきました。テレビCMが全盛期を迎えて、今は30年くらい経ったところにきています。時代の終わりを告げて、やめるとしたら今かなと思っていました」


――マスメディア広告の時代は終わったということでしょうか。
 「ええ。マスメディアの広告が「万能」の時代は終わったということですね」


――ウェブ広告が伸びることで何が変わったのでしょうか。
 「テレビ広告は視聴者が見たくなくても見せられちゃうところを暴力的と言っているわけです。すべてが暴力的だとは思わないけれど、テレビのCMは見ないではすまない。そのたびに消すわけにもいかない。暴力性を内包しているメディアと言ってもいいのかな。クリエーターは、面白くいい広告を作ることで暴力的であることを避けようとしています」
 「それに対してウェブ広告は、見ようという意思がなければ誰も見ない。向こうから押しかけてくるメディアではありませんからね。僕なんかは、数年前からそういうメディアへの移行が始まったなという感じがしていました」


 「メディア状況の変化と同時に、消費社会の成熟度が行き着くところまでいったということもあります。創刊した当初は、マスメディアが発達して、大量生産、大量消費、大量流通という20世紀の巨大な歯車がぐわーと回り出した頃。今は巨大な歯車がどこか引っかかって止まり気味になっているわけでしょう。もう以前のようにがーがーと音をたてて大量消費が実現している時代ではないですよ」
 「今は物を買い揃えることが豊かな時代じゃなくて、物を買わないことが豊かさへの道だという逆説が出てくるような時代ですからね。広告批評は20世紀という時代に対する批評行為をしていたメディア。21世紀になってちょうど変わり目を迎えたという感じがあります


 「ウェブによって消費者自身が成熟したということもあるのかもしれないなあ。いちいち広告で踊らされる時代ではなく、自分から主体的に情報を得ようと思えばいくらでも手に入る時代になったということです」
 「例えばソニーパナソニックブルーレイ・レコーダーのどちらを買おうかなと思ったら、以前はカタログを両方から取り寄せるか、ビックカメラにでも行って、商品を見たりカタログをもらって検討したりするしかなかった。ところがウェブが発達したことで、家で簡単に比較情報が手に入るようになったわけです」
 「そうなってくると、別に広告はいらないと言えばいらない。新しい商品が出ましたよ、というニュースとしてのマス広告は必要かもしれませんが、それ以上の、商品の性能に関する情報はなくてもいい。ウェブが発達したことで、それまでは情報過剰社会ではなく情報過少だったということが分かったんじゃないですかね」


――そうなると、広告の役割は今後なくなっていくのでしょうか。
 「なくなりはしないけれど、マスメディア広告は変わらざるを得ないのではないかと思います。現にもう変わり始めていますね」
 「広告は基本的に商品についての『インフォメーション』と、その商品の仕様や性能を説明する『リポート』、企業の考え方や姿勢を伝える『オピニオン』という3つの情報で構成されています。このなかのリポートという部分はほとんどいらなくなっていくんじゃないですか。広告でどんなことを言っても、ウェブを見たら消費者にはよく分かっちゃう」
 「インフォメーションについても、企業がいくらで商品を発売したということが分かっても、他社と比べてどうなのかということは広告ではなかなか分かりません。その点でウェブの方が優れています


 「ただ、オピニオンについてはウェブでは分からないですね。もちろんウェブで探っていけば分かるかもしれないけれど、その会社がみんなに対してどういう姿勢で何を言いたがっているかという、一種のあいさつ機能かな。そこはマスメディア広告が一番強いところではないですかね
 「例えば、ブラッド・ピットが嵐の中を歩いてくるソフトバンクのテレビCMがありますね。あれは完全にソフトバンクの企業広告だと思うんです。もちろんちらっと出てくる商品の広告にもなっているのだけれども、それ以上に、車まで飛ばされてしまう嵐の中をブラッド・ピットがケータイしながら歩いてくるという、それが広告の本体でしょう。それは何なんだ、そんなものがいるのかということですよ」
 「そう考えると、従来の常識からは何の意味があるのかと言われるものが、これからの広告になるのかもしれないですね」


――オピニオンを伝える場としてテレビ広告が残るということですね。
 「そうです。最近、『詳しいことはwebでどうぞ』というCMがよくあるでしょう。あれはマス広告の正体を自分でうまく暴露していますね(笑)。『詳しいことはあちらでどうぞ、私たちは企業としてのごあいさつをしているだけです』というふうになっているわけです」
 「ただ、この感情的というか、冗長的なつながりというのも、人間社会では大事なことでね。同時代を生きている企業として、市民になんだかいやな会社だなと思わせるか、いいなと思わせるか。人間はよい悪いということだけで物事を判断していなくて、好き嫌いということで判断している。性能のよい悪いはウェブでしっかり探せば分かるかもしれないけれど、好き嫌いはウェブを見ていても分からないわけです」


――ウェブ広告は今後どんな役割を担っていくと思いますか。
 「僕が見ているところでは、ほとんどのウェブ広告はインフォメーションですよね。表現性は全然問題にならないレベルだと思います。今のところクリエイティブな広告情報はほとんどないでしょう」
 「例えばブログで話題にした本にアマゾンへのリンクをつける『アフィリエイト』がある。あれも広告でしょう。つまり、この本はここをクリックすれば詳しい情報が手に入りますよ、と教える完全なインフォメーションですよね。出し方に工夫がいるというものではない。むしろ、そんなところで工夫されたら、なかなか情報にたどり着けず、たまらないわけですよね」
 「グーグルは、そんな広告で儲かっちゃってしょうがないわけじゃないですか。『それってどの広告?』『その広告のベストテンってある?』と聞いてみたところで、一番儲かっているのは、そんなにクリエイティブを必要としない部分だと思いますよ


 「もちろん中にはクリエイティブな要素を必要としているものはあります。例えば電通は、バナー広告のクリエイティブ表現とはどういうものなのか、一生懸命研究していますよ。それはそれで面白いものが出てきてはいます。だから、クリエイティブの要素がゼロではないけれど、グーグルヤフーを潤わせている広告の大半はクリエイティブではないインフォメーションに過ぎないということです。消費者が『面白おかしい物売り芸なんかいらない』『必要な情報が欲しいんだよ』と思う時代になってきているんですね」


――広告ではクリエイティブの余地が少なくなっていくのでしょうか。
 「この50年ほどはテレビのようなマスメディアにしか広告の舞台がなかったわけです。だからそこでクリエイティブが言われてきたわけだけれど、メディアが変わっても広告は何らかの形で続きます」
 「今はマスメディアからウェブ広告に主軸が移っていると言うけれど、そうなるとイベントを広告のメディアにしていく方法はないかとか、様々なところでメディアが模索されるんだろうと思いますね。本当の意味でメディアの多様化時代に入るんだと思います


 「優れたクリエイティブの能力を持っている人はいつの時代でも儲かるんですよ。困るのはテレビ局と新聞社。テレビの危機、新聞の危機ということは言われるけれど、広告の危機ということはあまり言わない」
 「今後はテレビや新聞のようなマスメディアを一切使わない広告計画があってもいいわけでしょう。例えば自動車メーカーが新しいクルマを発売する時に、今までだったら、こういうコンセプトでやってテレビではこうやって――というふうに説明するんだけど、その中にマスメディアは全然出てこない、というようなね。むしろそういうものでないといけなくなっていきつつあるんじゃないかと僕は感じます」


――ウェブ広告のなかで心に残っているものはありますか。
 「まだないですよ。ウェブ広告ですごい広告なんていうのは、僕は見ていないですね。第一、インターネットをやっていない人にはそんなの分からないよね」
 「まあ、話題になるものも出てくるんだけど、そういう話題になるものを世の中に跳ね返していくメディアがないんだよね。メディアはある意味で鏡ですから。広告批評を読んでいれば、いまどんな広告が面白くて話題になっているかが分かるでしょう。そういう意味で、日本中がひとつの広告で笑うっていうようなことはなくなっちゃうんじゃないかなあ


 「糸井(重里)さん自身は現にコピーライターというよりは、ウェブを使ったアイデアにすべてを向けていますよね。それで世の中を動かしているし、自分が書いた本もそこで売っちゃう。広告メディアとしてのインターネットについて、いま本当のことを言えるのは糸井さんかもしれないね。現にあそこはウェブの上に『ほぼ日刊イトイ新聞』というメディアまで作っちゃったんだから。マス広告のヒーローだった人が、いまやウェブ広告のヒーローになっているというふうに言えなくもないですよね。時代の変化というのはそういうことです」


――次の時代の広告批評を用意することは考えていますか。
 「僕にその気はないですけど、世の中に若くて優秀な人はいっぱいいるから、ウェブ時代の広告批評がどういうものかを考えて、面白いことをやってくれる人が出てくれば、僕らがやってきたことも無駄じゃなかったなあと思いますね」

――広告批評がなければCMの作り手も見えませんでした。
 「放っておくと暴力になりかねないような広告が、消費者に役立つ面白いものであってほしい。そういうことを見張るジャーナリズムとして広告批評を創刊したわけです。当時はやはり『広告の批評なんて成り立たないだろう』『金をとってスポンサーがやっている仕事を批評するなんて意味がないんじゃないか』と言われました」
 「でも、表現という部分をとれば、批評は成り立つわけです。例えば、うなぎをもっと売るために、平賀源内さんが『土用丑の日にうなぎを食べると夏バテしない』というアイデアを考えた。それはすごいクリエイティブでしょう。うなぎ屋さんの存在とは関係なく、それ自体がすばらしい表現なのかつまらないのかというのは批評の対象になり得るはず。そういうふうに僕は思っていたし、曲がりなりにも広告の批評が成立するんだなということを分かってもらえたことで、この雑誌の役割がかなり果たせたと思っているんです」
 「だから今度はウェブ広告を中心にした批評雑誌が出てきてもおかしくないし、もし出てくるとしたら、僕らは多少はそのための地ならしができたのかなという満足感があります」


●配色による強調はボクの判断です。実に興味深いハナシだ。天野さんは、自分が展開してた批評対象の質/構造が変化したのを見て取って、今までの批評姿勢は有効じゃなくなったと潔く判断した。時代はスゴいスピードで変化してて、なんだか怖いほどだ。早くカラダを直して最前線に立ちたい。フロンティアは目の前にイッパイ広がってるのだから。

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