「微妙スクール」のビミョーな社長たち。


「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES - HIP HOP」

「微妙スクール」という言葉を、ぼくは「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES 30 - HIP HOP」という本の「微妙スクールの醍醐味」というコラムで知った。著者は浦田威さんという方。ヒップホップの歴史の中で1996年以降のシーンを差して、この「微妙スクール」という言葉を使っているのだ。この時代認識がとっても的を得ているように思えて(ボクには目からウロコ「確かにビミョーだったわ」的な発見!)、この言葉の説明を、ちょいと原文から引用させてもらいます。


ナズのデビュー・アルバム『ILLMATIC』(1993年)に代表されるロウなビートが主流となって数年、シーンが程良く発酵された96年以降とは、ウータンクラン、ブートキャンプクリックといった東海岸ハードコア勢のフォロワーたちが世に溢れつつも、同時にパフダディー、トラックマスターズ「やり手プロデューサー」たちが従来の美意識を覆す派手なサンプリングを武器にポップ・フィールドへと歩み寄り、それに伴って商業化されたヒップホップに嫌悪感を示したヘッズたちの一部がアングラへと傾倒、あるいはインストの表現へと流れ、現在にも繋がる「ヒップホップ」というジャンルそのものの細分化の兆しが目に見え始めた特筆すべき時期でもある。


●け、結構長かったな…。「。」が全然出てこないんだもん…。…とにかく、1996年という年が、ハードコアからベタベタのセルアウトまで、一気に美学が多様化した時期だっつーことで、それを「オールドスクール」「ミドルスクール」「ニュースクール」みたいな時代の区切れ目を示す言葉で言い習わすならば、「微妙スクール」が一番シックリくるという訳だ。

で、なんで「微妙」なの?
●……コレはリアルタイムな個人的実感なんだけど、ホントにこの時期のヒップホップは「微妙」だったんです。93年は東海岸的な美意識を規定した NASDJ PREMIER の登場した年だったが、同時に G-FUNKDR.DRE らによって開発された年だ。で、東西両海岸抗争が激化して 2PAC が殺されたのが1996年だ。ご存知の通り、翌1997年に THE NOTORIOUS B.I.G. も殺された。「シャレになってねーよ。ホントに殺し合ってどうするんだ?」ボクはそう思った。ビミョーな気分になった。

さらにビミョーな気分にさせたのは、その後の関係者の行動である。
THE NOTORIOUS B.I.G. という東海岸最大のヒーローを失った所属レーベル BAD BOY RECORDS の社長 PUFF DADDY(現 P.DIDDY)は、「I'LL BE MISSING YOU」という追悼歌を発表してシコタマ儲けた。トリプルプラチナ売れちゃった。自分でラップして、ビギーの彼女の FAITH EVANS にサビを歌わせた。しかもコレが POLICE「EVERY BREATH YOU TAKE」のベタベタ大ネタ使い。 身内が殺された事件につけこんだ内容で、しかも超ポップスに日和ったヒップホップを、レーベル社長が自分で歌ってる。コレが「ビミョー」じゃなくてなんなの? うさん臭えええー!
●一方、2PAC を失った DEATHLOW RECORDS の社長 SUGE KNIGHT も恐ろしいほどの人徳のなさで所属アーティストが続々離脱。生前の 2PAC 音源を切り売りしまくった。一時期は PUFF DADDY を皮肉って「自分のPVにレーベルの社長が出たがってお困りのアーティストさんはコチラまで」とか言ってたが、同じだけタヌキで「ビミョー」な奴であることがわかった。
●でも、ハードコアなヤツらが追いやられて、こうした成り上がり社長の商売が大当たりしてビルボードチャートを席巻していったのも事実。コレに追い打ちをかけたのは EMINEM の登場。1999年デビュー。一気に若い白人リスナーがシーンに流入して、ヒップホップ産業はどんどん巨大化する。

●コラムの著者、浦田威氏の意図は、そんな時代に埋もれてしまった隠れ名盤を今こそ再評価すべきではないか、という問題提起なのだか、ボクには浦田さんのようにマニアックな12インチ掘りの技術も知識もナイので、ひとまずこの時代を見つめるために、敢えてビミョーな社長たちの音楽をジックリ聴いてみる事にする。


PUFF DADDY  THE FAMILY「NO WAY OUT」

PUFF DADDY & THE FAMILY「NO WAY OUT」1997年
●前述の追悼歌「I'LL BE MISSING YOU」を収録した、PUFFY DADDY のデビューアルバム。まずアルバムの中身に行く前に、この人の事を知っときましょう。
PUFF DADDY(現 P.DIDDY)こと SEAN "PUFFY" COMBS という男。N.Y.のハーレム生まれ。大学でマーケティングやプロモーション技法を学び、無給のインターンとして N.Y.のメジャーレーベル UPTOWN に潜り込む。ところがソコでメキメキと頭角を現し MARY J. BLIGE の発掘プロデュースを手掛け、一気に重役にまで成り上がっちゃう。
●そして1993年独立。24歳で BAD BOY RECORDS を立ち上げる。THE NOTORIOUS B.I.G.、GRAIG MACK、CARL THOMAS、FAITH EVANS、TOTAL などと契約、MARY J. BLIGE のプロデュース業務などは引き続き続行、売れっ子プロデューサーとして活躍する一方、お抱えトラック制作集団THE HITMEN も組織。その後は映画やアパレルまでに進出、マルチなトップアーティスト&企業家として今なおセレブ道まっしぐらである。
●このアルバムは BAD BOY 一派を従えてのリーダー作。BIGGIE 殺害の前から制作されてたので、リリース時には死人になっちゃった BIGGIE もガンガン出演、MASE、CARL THOMAS、BLACK ROB、FAITH EVANS、112、THE LOX など配下は当然、JAY-ZPUFF と同い年、やはり1996年に ROCK-A-FELLA ROCORDS を立ち上げその後栄華を極める)や、LIL' KIM、TWISTA、KELLY PRICE を招集している。
●サウンドのスタイルは、先のコラムで浦田氏が憂いたような 「従来の美意識を覆す派手なサンプリングを武器にポップ・フィールドへと歩み寄」った内容。POLICE「EVERY BREATH YOU TAKE」のまんま大ネタ使いだけじゃありません。DAVID BOWIE「LET'S DANCE」のまんま大ネタ使いも鮮烈でゴザンス。ちなみに直属制作部隊 THE HITMEN がほぼ全てのトラックを制作。サンプリング文化の衰退を招いたサンプル使用許諾費高騰問題をモノともせず、湯水のように大金をぶち込んで思う存分超有名曲をザックリループする手法が取られた。翌年の映画アメリカ版「GODZILLA」サントラでは、LED ZEPPELIN「KASHMIR」をドップリ使った「COME WITH ME」が収録され、ヒットした。
●既存のヒップホップ文化を転覆し、一気に時代の寵児になった若者。確かに彼の音楽は大ヒットしたわけで否定批判もしきれず、それが故に反感もイビツなモノ、つまりビミョーになってしまった。とにかく彼の立ち振る舞いは「微妙スクール」そのものだったのだ。


●もうひとり、ビミョーな社長を。

「IRV GOTTI PRESENTS THE INC」

VARIOUS ARTISTS「IRV GOTTI PRESENTS THE INC」2002年
●プロデューサー IRV GOTTI が率いるレーベル MURDER INC RECORDS の顔見せコンピアルバムですね。この IRV GOTTI って人もややビミョーな人なんですわ。QUEENS 生まれで PUFFY の一年下とほぼ同世代。1997年に MURDER INC RECORDS を立ち上げるが、「MURDER INC(殺人会社)」じゃマズいでしょってツッコミから「THE INC」にケロッと改称する身の軽さ。このジャケでもど真ん中に来ちゃう出しゃばり根性が妙に気になる。
●ただし、仕事は結構できるかも。この人の功績は JA RULE、ASHANTI の発掘。JAY-Z DEF JAM と契約するキッカケを作ったり、DMX 率いる RUFF RYDERS が世に出るキッカケを作ったり。BOBBY BROWN の復活にも手を貸してる。このCDを出す頃はまさに THE INC の天下の時代。BAD BOY ROC-A-FELLA を凌ぐチカラを持っていたとな。
●ボクは、このアルバムで JA RULE を初めてちゃんと聴いた。ガラガラ声で吠えるようにザックリラップする彼のスタイルは注目。……言い訳するようだけど、この頃は JA RULE、JOE、JADAKISS、JAY-Z、JAHEIM、JAGGED EDGE、JUVENILE などなど、「J」の字がつくアーティストがいっぺんに沢山登場したもんだから、JA RULE は自分の中でチェック済みだと思ってたんです。したら、別のシンガーと混同してたと今回発覚。家の中一生懸命探しても JA RULE 出てこないぞ~と思ってたら、最初から一枚も持ってなかった!そんでまた「J」つながりでややこしいけど、J-LO(A.K.A. JENNIFER LOPEZ!)と JA RULE の合体曲「AIN'T IT FUNNY (REMIX)」がコレまたイケル。やっぱ全米で一位獲得。


●さてさて、ともかく1996年という時期を区切りとして、ヒップホップ業界は体質を変え、シーンの多様化、細分化という事態を迎える。SOUTH 地区のヒップホップが注目を浴びるのもこの時期からだ。以前はマイアミベースという南部産サウンドをこのブログで取り上げたが、今度はその後のサウス系レーベル、アーティストに焦点を当ててみたいと思うのでありました。お話はまだまだ続く……。

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