最近色々なテレビ番組がエコ特集を組むので、息子ノマドが立派に感化された。
●飲み終えたペットボトルをボクに渡して「パパ!これにムギチャいれてつかってね!エコだから!」だそうだ。なので今日から麦茶を自分で入れてカバンに入れている。最初は重いが、飲み干せば軽くなる。

エコボトル



サウス系ヒップホップの重要都市、アトランタ。
アトランタと言えば?1996年にオリンピックがあったよね。あと、CNNコカコーラの本社がある。でも実はそんなにデカイ街じゃない。アトランタ市単体では48万人程度。郊外周辺地域を含めると500万人くらいの都市圏を形成する。無理矢理日本に当てはめると……千葉県の人口が600万人弱、その中の市川市が47万人ほど。イメージつく?
●しかしアメリカ南東部を代表する都市であるアトランタには独自の音楽シーンがあった。今日はちょっとソレを覗き見する。

アトランタの有名なヒップホップアクトで、早くに有名になったのは、3人組のオンナノコ TLC だ。


Ooooooohhh...On the TLC TipOoooooohhh...On the TLC Tip
(1992/02/25)
TLC

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TLC「OOOOOOOHHH... ON THE TLC TIP」
1992年
●女性がラップする事自体は多くの前例があるが、1992年段階で、彼女たちほどの大きな商業的成功を上げた娘はいなかったと思う。メインボーカルの T-BOZ、ラップとリリック担当の LEFT-EYE、コーラスの CHILLI、当時二十歳そこそこだった彼女達をフックアップしたのは、LAFACE RECORDS だ。ANTONIO 'LA' RAIDKENNETH 'BABYFACE' EDMONDS が二人のニックネームを文字って名付けられたレーベルは、1989年に設立されたばかりだった。二人はすでに業界の中で実績のあるプロデューサー/ソングライターであったし、その後の活躍も目覚ましい。BABYFACE BOBBY BROWN への詞曲提供でニュージャックスウィングの成立に大きく寄与したし、その後ソロアーティストとしても活躍する。LA REID TONI BRAXTON USHER が世に出るのを手伝っている。
●ほどよいR&B感覚とラップ、カジュアルなファッション(コンドームをアクセサリーに使う)は注目を集めたし、ボーイフレンドの家に火をつけるなどのヤンチャぶりも話題を呼んだ。LEFT-EYE のストレートなパッツン前髪は、当時大学生だったボクのクラスメート、シンガポーリアンの留学生リムさんと同じだったので、是非彼女に「キミの髪型は TLC の LEFT-EYE にそっくりだよ」と伝えたかったのだが、結局言わずじまいだった。今週112円で買った彼女たちのファーストアルバムのジャケットを見て久しぶりにその事を思い出して悔しくなった。LEFT-EYE はソロを一枚出した後交通事故で死んじゃうから、今リムさんに会ってこの話題を出しても全然盛り上がらないだろう。そしてリムさんもいい加減にヘアスタイルを変えているだろう。

まーそんなことはどうでもいい、このCDのクレジットをよーく見てみる。
●エクゼクティヴプロデューサーは、そのまんま LA REID & BABYFACE だ。彼ら自身も楽曲を提供している。注目はその後のアトランタで大活躍する若きプロデューサーの名前がもう登場している事だ。DALLAS AUSTIN JERMAINE DUPRI だ。DALLAS AUSTIN は半分近く手をつけているぞ。それぞれニュージャックスウィングなトラックをカマしてきている。アトランタの若き才能は92年段階ですでに稼働準備オッケーだったってわけだ。
●一方時代の過渡期だったんだなーと思わすのが、2曲のトラックを手がけているのがミドルスクール期の大トラックメーカーで JUICE CREW 総帥の MARLEY MARL。ミドル大好物のボクとしてはウレシいッス。彼っぽくないシンセループも導入した新味を見つける事が出来る。


FanMailFanMail
(1999/02/23)
TLC

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TLC「FANMAIL」1999年
●さてさて時は流れて3RDアルバム。制作体制は LAFACE の二人と DALLAS AUSTIN がメイン。DALLAS は メンバーの CHILLI(一番おっとりさん)に1997年子供を生ませちゃった。コラ!商品に手を付けたな!アルバムはバカ売れで全世界で1000万枚売れる。ヒットシングルは「NO SCRUB」とか。聴いた事あると思う。聴いた事なくても特に損もしないけど。ぼくは100円で買ったから、聴きたい人は冷えたエビアンを一本我慢すればイイ。
●ポイントとして押さえたいのが、一曲だけ JIMMY JAM & TERRY LEWIS が制作を手がけていることだ。JAM & LEWIS として知られる鉄壁のプロデュースチームは、元を正せば PRINCE 一派からはぐれた脱走兵だが、その後 JANET JACKSON を20年近くプロデュースし続けたR&Bの達人だ。


DALLAS AUSTIN と JAM & LEWIS には一つの共通項がある。日本人アーティストをプロデュースしてることだ。
DALLAS AUSTIN安室奈美恵「SOMETHING 'BOUT THE KISS」1999年を手がけてる。レコーディング中に TLC CHILLI が突如スタジオに遊びにきて、言葉も通じないのに一緒にトランプして過ごしたと、安室ちゃんはテレビ番組のトークで語ってた。CHILLI はメチャイイ人だったそうだ。
●一方 JAM & LEWIS が手がけたのが宇多田ヒカルだ。「ADDECTED TO YOU」1999年と「WAIT & SEE ~リスク~」2000年を手がけている。後者は超高性能なR&Bだ。「AUTOMATIC」の退屈なトラックからは、ネアンデルタール人がホモサピエンスに進化したくらいに激変したし、ボクはココから宇多田に超ハマった。JAM & LEWIS のおかげか翌年 JANET JACKSON が来日時「ヒカルウタダは知ってるわ。スゴい娘だって聞いてる」と会見で発言してた。
●この事は、2000年前後という時代に、ジェイポップの成熟が臨界点を迎えたことを意味していると思う。海外クリエーターを導入してジェイポップは更に進化しようとした。洋楽的な邦楽ではなく、洋楽と変わらない邦楽になろうとしたのかもしれない。

ExodusExodus
(2004/10/05)
Utada

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●しかし、その幻想は、宇多田ヒカル改め UTADA アメリカ進出失敗で破られた。「EXODUS」2004年は日本でこそキチンと売れたけど、アメリカではボチボチだった。その後の宇多田ヒカルはR&B路線から自由になって、邦楽に接近した曲作りを始めた。UTADA が成功してたらジェイポップはどんな風になってたろう?
●この「EXODUS」の制作を務めたのも、アトランタの重要人物だ。彼の名を忘れて20世紀末のヒップホップは語れない。UTADA の制作体制はホンモノだったんだ。その男の名は TIMBALAND。今もって最前線のシーンで活躍するアトランタの顔役だ。彼は、MISSY ELLIOTT という希代のパフォーマーを得て、20世紀末からのシーンで大暴れする。次回はこの男と MISSY に焦点を絞ってアトランタの音楽を考えてみたい。

ちなみに、その後の TLC を。
●2002年 LEFT-EYE はホンジュラスでパジェロを運転中に自損事故を起こし命を落とす。メンバー達は残された音源を用いてラストアルバム「3D」を発表。 TIMBALAND、MISSY ELLIOTT、THE NEPTUNES、そしてやはり宇多田ヒカルの楽曲「FOR YOU」をプロデュースしたNYのプロデューサー RODNEY JERKINS が制作に参加した。そして2003年実質上の活動を休止した。

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