今週の心療内科診察で池尻大橋へ。いつもと違う道で病院まで行ったら、ちょっとした発見があった。

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コレ、フツウのクルマをタクシーにカスタムする整備工場。
●ミドリ一色の普通乗用車にペインティングを施して、都内を闊歩する「東京無線タクシー」の出来上がり!タダのミドリ一色のクルマは、ガンダムで言うトコロの「旧ザク (MS-05)」で、そこに様々なパーツを装填することで「ザクII (MS-06)」に仕様変更する、みたいな妄想がアタマをよぎった。だから、無造作に天井からぶら下げてある「東京無線」ロゴペイントパーツは、ボクの目には「ザクII (MS-06)」の右肩にあるシールドに見えるのであった。(←すいません、ガンダム知らない人100%意味わかんないですね。知ってる人でもついてこれないか…)


あと、ナイスなカフェを発見。オーガニック風味。

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「ALASKA」
●場所:目黒区東山2ー5ー7。ザックリいうと、池尻大橋駅と中目黒駅の中間地点。渋谷駅〜大崎駅を運行する東急バスの「菅刈小学校」バス停(山手通り沿い、246との合流地点近く)で降りた所からイチバン最初に目に入る横断歩道から脇道にトコトコ入った場所にひっそり存在。2階は普通の人が生活してるらしい古い日本家屋の一階部分をカフェに改造。窓が広くて外の光が気持ちイイ。女性スタッフの人たちがキッチンで賑やかに作業しているのが楽しそう。ディナーの準備でレタスを切りながら、冗談の言い合いをしてる。隣の古着リメイク屋さんとトイレの部分で連結しており、そっちのおミセも興味津々。ヴィンテージのパンツを裁断してジャケットに作り直しちゃったヤツとかユニークだった。この前行った時は雑誌の撮影が入ってたな。有名スタイリストさんがオーナーらしい。


ここで、とってもオモシロい本を見つけた。洋書だけど、頑張って読みまくった。

Rough Trade: Labels Unlimited (Labels Unlimited)Rough Trade: Labels Unlimited (Labels Unlimited)
(2006/10/30)
Rob Young

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「ROUGH TRADE: LABELS UNLIMITED」
●イギリスのインディシーンを代表するレーベル「ROUGH TRADE」の栄枯盛衰の物語を、当時の写真や激レア音源のジャケとともに描いたルポタージュ。特に、最終章の、レーベル創始者 GEOFF TRAVIS さんのインタビューがオモシロい。1970年代末のパンク革命から、2000年代のガレージロック爆発までのロックシーンの歴史を常に最前線で目撃してきた、いやシーンを切り拓いてきたオトコ。

●まずは、「ROUGH TRADE」って一体なんだよ?って人のために、このレーベルに関わっていったアーティスト、バンドの名前を挙げてみよう。あらら、このバンドが関わってたの?と思える名前を見つけられるように。とても全部はムリだからホンの一部ね。うーんと、最近活躍してるバンドからあげるとするか。若い人にはソッチの方がイメージしやすいでしょう。

BABYSHAMBLES、THE LIBERTINES、THE STROKES、THE LONG BLONDES、1990S、SUPER FURRY ANIMALS、BRITISH SEA POWER、BELLE & SEBASTIAN、ARCADE FIRE、JARVIS COCKER (PULP)、SURFAN STEVENS、THE DECEMBERISTS、CORNERSHOP、PUSSY GALORE、GALAXIE 500、CAMPER VAN BEETHOVEN、BUTTHOLE SURFERS、JAMES、THE SUNDAYS、THE FALL、ROBERT WYATT、THE RED CRAYOLA、THEY MIGHT BE GIANTS、THE SMITHS、AZTEC CAMERA、SCRITTI POLITTI、THE MONOCHROME SET、YOUNG MARBLE GIANTS、TELEVISION PERSONALITIES、JONATHAN RICHMAN、THE GO-BETWEENS、ARTHUR RUSSELL、DIE KRUPPS、CABARET VOLTAIRE、THIS HEAT、THE POP GROUP、PERE UBU、THE RAINCOATS、HORACE ANDY、STIFF LITTLE FINGERS…。

●これでピンと来ます?つまり、この名詞の羅列が示しているのは、70年代末のパンク革命から、その直後から動き出したニューウェーブ/ポストパンク、80年代ネオアコースティック、90年代オルタナティブロック、ブリットポップ、00年代のガレージロックリバイバルまで、「ROUGH TRADE」はほぼ一貫してこの30年のロックムーブメントに全て関与してきたインディレーベルだ、っちゅーことなんですわ。つまり、スゴいヤツらなんです。

●で、ついでに突っ込んで言うと、イギリスのインディシーンそのものをデザインしたのがこの「ROUGH TRADE」だ、って所もスゴい。コレについては、この本で知った知識も含めて、ご説明いたします。

ラフトレード

●1975年、若造だった GEOFF TRAVIS というヤツが、世間を知ろうとちょっとした旅に出た。彼はイギリスから大西洋を渡り、カナダ〜アメリカを巡り、花の都サンフランシスコに到着した。60年代末〜70年代初頭のシスコ〜ベイエリアは、ヒッピーカルチャーと最新の音楽シーンの爆心地だったわけで、音楽好きだった GEOFF は少々盛りを過ぎたこの街に、そんなサブカルチャーの残り香を嗅ぎにいったのだと思う。
ほんで、彼は発見した。アメリカの中古レコード屋は、ホントにレコードを二束三文で投げ売りしまくってるコトを。ボクも90年代のシスコで一枚2ドルコーナーから何枚LPを抜いたことか。アメリカ人のレコードの扱いは実に最悪で、盤面はスレスレ傷だらけ、ジャケットは破れて底が抜けたりしてて、平気で自分の名前をマジックで書き込んだりしてあったりする。お気に入りの曲タイトルにホシマークとかね。
●でも音楽好きの若者は必ずこう思う。「聴ければイイ、音が鳴ればイイ」と。どんなにクソ音源だろうと激安なら買っちまう。GEOFF はこの大発見に大感動して、ホントに超大量の買物をした。そしてソレを全部船便で母国に送り、その激安で仕入れたレコードで、レコードショップを開く事にしたのだ。このザックリ勘定な仕入れ感覚がそのままお店の名前になった。「ROUGH TRADE SHOP」だ。1976年、ウエストロンドンでの出来事だった。

GEOFF のお店はスグに街の新しモノ好きの話題になり、街のヒップなヤツらがイッパイ集まるようになった。GEOFF は自分のセンスの赴くままに音楽を仕入れ店でプレイした。レゲエもかければ、当時勃興しつつあったパンクにも反応した。THE CLASH にインストアをお願いしたら超満員になった。一方 TALKING HEADS にもお願いしたら、客は一人も来なかった。DAVID BYRNE らメンバーは「お茶飲みながらイイ音楽聴いて、イイ買物出来て、ナニもしないで仕事になるなんて最高」といって笑ったという。

●時代は1978年。GEOFF はレコードショップの経営だけじゃ飽き足らなくなり、レーベルを起こすコトを決意する。第一弾アーティストはパリのポストパンクバンド METAL UNBAIN。音聴いた事ないからわかんないけど、GEOFF はパンク革命の最中にいながら、そんなにパンクに固執してなかった。パンクでもパンクじゃなくても気に入ったモンを世に出す。それが彼のスタンスだった。

で、次の段取りが超革命的だった。彼はレーベルを立ち上げ、レコードを一杯プレスした。しかし売る店が自分の所しかない。大手メジャーレコード会社が独占する流通経路に、こんな商品は乗っからない。
●それじゃダメだ。そこで彼は独自の「インディ流通ネットワーク」を構築するのだ。全国の志あるレコードショップ一軒一軒と交渉して、お互いのインディ音源をお互いに流通させる枠組みを3〜4年かけて作り上げたのだ。後世の人はこの草の根的ネットワークを「CARTEL(カルテル)」と呼んでる。
GEOFF「オレはグッドアイディアだと思ったんだ。地方地方の特色を生かして、ロンドン中央に依存しない流通網を作り上げて、志ある連中に全国流通のチャンスを与えて次のステップに進むのを応援するってわけだよ…。流通にこそスゴいオモシロさを見出したんだ」
GEOFF「その頃は大手流通から拒否されるような音源がイッパイあってさ、例えば STEVE ALBINI のバンド RAPEMAN とか(筆者注:名前がレイプ男じゃねえ…)。実際そんなのコドモっぽいハナシよ。そりゃ人には言いたい事を言う権利がある、でも間違える事もある。結局だれかがそのオトシマエを引き受けることになる。でもそんなアリナシの議論には実は大した意味はないのよ。オレはそんなの気に留めた事はなかったし、そんな議論はオレのいない所でやってたらしいから、オレは気の向くまま立ち回っただけさ」彼はそうやって国内外の認められないアーティストにチャンスをどんどん与えていったわけだ。

ラフトレード

●彼の新しいスタイル、制作から流通まで全部インディという、真のD.I.Y.精神は早速デカイリアクションをゲットした。1979年、初めてリリースしたアルバム(それまでは7インチばっかのリリース)STIFF LITTLE FINGERS「INFLAMMABLE MATERIAL」がいきなり全国区チャートインしちゃったのだ。イギリス史上初のインディバンドのチャートインだ。

Inflammable MaterialInflammable Material
(2001/11/30)
Stiff Little Fingers

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STIFF LITTLE FINGERS「INFLAMMABLE MATERIAL」1979年
●コレはいわば初期パンクの古典の一枚になってる。当時は IRA のテロが吹き荒れてた北アイルランドのベルファスト出身の4人組。同時期のベルファストからは THE UNDERTONES も登場している。どっちもキャッチーなメロディを備えながら確実にパンクな、優れたバンドだ。
GEOFF「あん時は、バンドもオレらレーベルも、見事ポップカルチャーに食い込んだと思ったし、ちょっとしたメインストリームの仲間入りしちゃうんじゃないかと思ったよ、アート純粋主義みたいなイケスカナイ連中とは違ったやり方でね」

●一方で、彼はパンクムーブメントとは一見関係ないニューウェーブバンドともどんどん契約を結んでいった。インタビュアーが注目したのは、その中にガールズバンドが沢山いたことだ。当時のパンクカルチャーはマッチョ主義が幅を利かせてて男尊女卑みたいな空気もあった。なのに「ROUGH TRADE」は従業員にもオンナノコを多く採用し、THE RAINCOATS のような女性バンドをフックアップした。「ROUGH TRADE」はフェミニズムと関係があったのか?
GEOFF「70年代末から盛り上がっていったフェミニズム思想は確かに無視出来ない影響力があったし、性別の問題を考えないでデカくヒットを当てるコトはできなかったと思う。でもソレもあんまり重要と思ってなかった。ホントにあの頃は、商売というより「遊び」の感覚で動いてたんだ。オレがオモシロいと思ったら、それでオーケー、男も女も関係ない」

The RaincoatsThe Raincoats
(1993/09/01)
The Raincoats

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THE RAINCOATS「THE RAIN COATS」1979年
●やはりガールズバンドだった THE SLITS のメンバーが合流して女子だけになったニューウェーブバンド。やはり「ROUGH TRADE」と契約してたスイスの女子バンド KLEENEX と一緒にツアーとかしてた。ジャケもカワイいけど、ヘタウマ感丸出しのサウンドもカワイゲがあります。特にショボイバイオリンの音が最高にマヌケでカワイイ。90年代にこのアルバムが再発された時には、あの NIRANAKURT COBAIN が本人たっての希望でライナーを書いている。下に KURT の言葉を一部引用。
KURTレインコーツはアメリカじゃ全然無名だ。UKやヨーロッパじゃどうなのかってのはオレにはわからない。実際オレ自身もこのバンドの事は、彼女らが残した音源以外ナニも知らない。でもその音はオレに強い影響を与えた……オレの人生の中でも一番どん底の哀しみ&孤独&退屈にまみれてた頃に、コレを聴いてたんだ。この一枚目を聴いてる時だけ、わずかな平和を感じられた。ちょっとでもこのバンドの歴史とかを調べときゃとも感じるけど、それよりもオレがどんな気持ちで彼女たちの音を聴いたか描き出す事がずっと重要だと思ってるんだ…」そこまで KURT が惚れ込んだ音楽…。

ラフトレード

その後、80年代の「ROUGH TRADE」は次々と80年代を彩る才能を発掘しては世に送り出した。
AZTEC CAMERA や、SCRITTI POLITTI はメジャーシーンにすぐに進出し、商業的にも大成功した。一方で「ROUGH TRADE」側としては、発掘してやったのに、すぐにバンドはメジャーに移籍してしまう現実にジレンマを感じ始めていた。バンドはデカくなっても、置いていかれたレーベルは経済的にもしんどくなるだけ。メジャーと張り合うだけの競争力はやっぱナイし、バンドもいい条件を求めて外へ出て行くわけよ。むーん…。
●そんな時に出会ったのが、80年代に圧倒的な存在感を放ち、90年代いや今日まで大きな影響を及ぼすあのバンドだった。その名は THE SMITHS。

The SmithsThe Smiths
(1993/11/10)
The Smiths

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THE SMITHS「THE SMITHS」1984年
●ボク自身のハナシで恐縮だが、この一枚を聴き直そうと思って家中探し回ったのに結局発見出来なかった。THE SMITHS のアルバムは全部持ってるつもりだったのに(しかもこの捜索で「QUEEN IS DEAD」「MEAT IS MURDER」の2枚をダブり買いしてる事が判明。ショックでクラクラ〜)、この重要なデビュー盤を持ってなかったのだ。若い頃のボクはカセットにダビングして何回も聴いてたんだな。ああ、ちなみに編集盤の「LOUDER THAN BOMB」もかなり聴いた。もちろんさすがにリアルタイムでは聴けなかった……ボクは THE STONE ROSES 経由からこのバンドの世界に入っていった、後聴き組だ。それでも初めて聴いてから十数年。ボクも年取ったな。

●さてTHE SMITHS。直訳して「スミス一家」。イギリスに沢山いそうな超平凡な名前。日本で言えば「佐藤家」みたいな感じだろう。売れる気がしねえエー。もちろんメンバーにスミスさんなんていないんだよ。だからお笑いコンビ「中川家」とも違う。
●80年代のマンチェスター。NEW YORK DOLLS のファンジンを書いてたヒョロイ文学青年 MORRISSEY に、これまた根の暗いギター青年 JOHNNY MURR が声をかけて、このバンドは生まれた。彼らはハッキリ言ってカッコ悪い。当時の流行りだったのか思い切りハズしていたのか、髪型はいわゆる「テディボーイズ」だった。イギリスではモッズロッカーズが出現する前に流行った50年代の若者のスタイル。オールバックが基本で、そんで前髪を少し垂らす。ああ、そうそう、光GENJI っぽい感じ!THE KING エルヴィスのスタイルが源流のはずだけど、どっかズレテル。MORRISSEY のあのリーゼントっぽいアタマって、どうみても変でしょ!広義においては「めざましテレビ」軽部アナのオールバックも「テディ」的なモノに見えるらしく、ドコかの外タレに「今どきそんなアタマしてるヤツがいるとは、たまげたもんだ」と思い切り笑われていた。軽部氏本人はナニがおかしいのか理解出来てないようだったが。
●その後に続くマンチェスターのロックバンド(THE STONE ROSES から OASIS そして今の若い連中全部)とまるきり同じで、THE SMITHS もカネのない連中だった。従って衣装もないから、普段着のケミカルウォッシュのスリムジーンズにシャツを几帳面に入れて、テレビで歌った。あげく「DR.SLUMP アラレちゃん」かのようなセルフレームの大きな眼鏡までかけて、かっこ悪いコトこの上なしだった。さらにスゴいのは、歌詞の内容だった。ネクラ少年のボヤキに皮肉をタップリ盛り込んだウタを、あのヘロヘロした独特の節回しで歌ったのだ。しかも「ネアカとネクラ」カルチャーの80年代でだ。そんでバンド名は日本語で「佐藤家」。勝ち目は普通ならゼロだ。
が、彼らは当時の若者から絶賛を浴びた。キッズは、ニューウェーブから発展したニューロマンティクス系のバンド、バカみたいに派手な色のソフトスーツに奇妙奇天烈な髪型、タップリ塗り込んだファウンデーションと奇抜なメイク、そして聴き飽きてしまったピコピコの打ち込みポップスには、もうお腹いっぱいウンザリだったのだ。THE SMITHS の音楽、つまり MURR がつま弾く繊細なギタープレイと打ち込みゼロのスタイルが、パンク革命以来断絶していた60年代の古き良きUKロックを回顧させたし、バンドメンバーの飾らないフラットなスタンスが新鮮だった。歌詞で取り上げるテーマも、パンクの過激なメッセージより親近感が持てるものだった。オマケに MORRISSEY はジーンズのオシリのポッケにグラジオラスの花を差し、時にそれを振り振り歌うのだ。ウジウジした青春のクヨクヨした思いを歌ってくれる彼らを時代は支持したのだった。

ラフトレード

ハナシはちょっと戻って、「ROUGH TRADE」と THE SMITHS の出会いを。
●音源のリリースなぞ夢のまた夢だったマンチェスターの若造だった彼らと、GEOFF が初めて会った時の事を、GOEFF はこう回想している。「地下のスタジオで連中とあったんだ。そこでいきなり JOHNNY MURR『HAND IN GROVE』のギターフレーズを完璧な状態で弾きこなした。もうそれで契約を決意した。この曲は彼らのデビューシングルになった」
●パートナーとして付き合い始めてみると、なかなかこのバンドはメンドクサイヤツらだった。彼らと釣り合うマネジャーがいないのだ。非常に神経質な連中はマネジャーの言う事なんて聞きゃしない。最初はバンドの友達がマネジャーを務めたが、スグに降参してただの友達に戻っていった。で、どうしたか?フロントマンである MORRISSEY 自身がマネジャー業務を始めたのだ。音楽面の事は真夜中に JOHNNY が作業して、マネジメント業務は昼間 MORRISSEYGOEFF と毎日顔を突き合わせてこなした。彼らは、徹頭徹尾自分たちの美学を貫いた。この本 「ROUGH TRADE: LABELS UNLIMITED」には、THE SMITHS の7インチシングルのジャケが見開きでバッと並んでるページがある。ウットリするほど美しい。昔の女優や、古い映画のワンシーン、ピンナップの一部を切り抜いて、2色刷りにプリントする。アルバムのジャケにも一貫してこの手法がとられてる。ファーストシングル「HAND IN GROVE」のジャケは、オシリ丸出しの男性ヌードでイキナリビビるが、その冒険精神は立派だ。

Hand in Glove [7 inch Analog]Hand in Glove [7 inch Analog]
(2008/11/10)
Smiths

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 (ね、オシリ丸出しでしょ)

こんな連中なので、THE SMITHS は実質上の活動期間である5年の日々を「ROUGH TRADE」と共に歩んだ。
●多くのバンドを発掘しながら、スグにメジャーに移籍されてしまうコトに限界を感じていた GOEFF にとって、THE SMITHS との仕事は大きな勉強だった。もちろん完全手探り状態での格闘の日々だった。「さあ、この先の五カ年計画だ、このプランで行こう、そんなんじゃなかった。マジでホントその日その日の勝負の連続だった」GOEFF はこうも言う。「連中は、ほとんど動かずにして成功を収めたバンドだ。連中はツアーをほとんどやってない。アメリカだってちょっとしか行ってない。なのにアソコまで登り詰めた」プロモーションビデオ撮影には、若き日の DEREK GERMAN を起用した。DVDが出てるからその映像もチェック出来る。死ぬほどダサイテレビ出演も収録されてる。

コンプリート・ピクチャーコンプリート・ピクチャー
(2001/11/07)
スミス

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THE SMITHS と「ROUGH TRADE」との蜜月の終わり。
●活動5年の中で、次第にバンドの核である MORRISSEY JOHNNY MURR の連携が食い違うようになってきた。次第に険悪になるバンドの空気。そんな中、楽曲の歌詞か取材での発言か(何分英語の本なんでよく分からんかった)で、バンドがレーベル批判をした。GOEFF はコレを裏切りと感じたという。ほどなくバンドはメジャーレコード会社 EMI に移籍したが、そこでは1曲もリリースするコトなくバンドは解体した。
JOHNNY MURR はテクノミュージックに興味を持ち、ELECTRONIC というエレポップユニットを、NEW ORDERBERNARD SUMNER と結成、2枚ほどアルバムを出した。その一方さすらいのギタリストとして様々なバンドに参加しては脱退し乗り換えている。最初は MATT JOHNSON THE THE。自分のバンド JOHNNY MURR & THE HEALERS なんてのも作ったけどいつのまにか消滅し、この前は アメリカのバンドMODEST MOUSE に参加、そんで今は UKの若造バンド THE CRIBS に入っちゃったという。しかし、THE SMITHS 時代のリリカルなギターはもう聴こえない。
MORRISSEY は淡々とソロキャリアを積み上げている。芸風はハッキリ言ってあんま変わんない…。英語はワカランから、歌詞は変わってるのかもしれないけど…。GOEFF との付き合いは復活していて、お互いにハナシもする仲だ。GOEFFJOHNNY ともウマくやれている。ただし GOEFF は言う。MORRISSEY は、オレが今のヤツより THE SMITHS の頃の方が素晴らしかったと思ってるコトを感じとっている。その上で話し掛けてくるんだ…」MORRISSEY MURR の関係は雪解けムードらしいが、THE SMITHS の再結成は可能性はゼロに等しいという。MORRISSEY「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが(MURRは)終わらせたかったんだ」1982年から1987年、バンドは素晴らしい5年間を駆け抜けた。

●マジ蛇足なんだけど、SANDIE SHAW という60年代のアイドルさんが、THE SMITHS「HAND IN GLOVE」を、THE SMITHS 自身をバックにカバーしている音源があります。MORRISSEY が彼女の大ファンだったらしくて。このバージョンもマジカッコいいです。10年くらい前、国分寺のレコ屋でオリジナル12インチを1400円で見つけたんだけど、迷って買わなかったんだよね〜。今でも悔しいと思うよ。

ラフトレード

えーと、THE SMITHS と違って、とっとと「ROUGH TRADE」を卒業したバンドもちょっと紹介。

High Land, Hard RainHigh Land, Hard Rain
(1991/07/09)
Aztec Camera

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AZTEC CAMERA「HIGH LAND, HARD RAIN」1983年
●バンドっぽいけど、本質的には RODDY FRAME というオトコのオレユニット。コイツ以外はバンドメンバーが常に入れ換わってる。独自の音楽文化を発信しているスコットランドのグラスゴー出身で、当地のシーンを代表してた POSTCARD RECORDS から81年に初音源をリリース。その後「ROUGH TRADE」に移るんだけど、あっという間に、大手ワーナーに去っていった。95年までこのユニット名で活動してたけど、イイ加減オレの名前でイイじゃんかと思ったのか最近は RODDY FRAME 名義でしか活動してない。
●音楽としては、これぞド直球、王道の「ネオ・アコースティック」サウンド。つーか「ネオアコ」という表現を切り拓いた最初の世代かも。アコースティックギター主体のバンドサウンドなんだけど、パンク以前はそのテの音楽はフォークロック/カントリーロックって言われてた。「ネオアコ」の音はアコギ主体でも、フォーク(民俗)の匂いは全然感じられない。あくまでパンク以降のロック/ポップ感覚でメロディが作られている。だから「ネオ」。新しいアコースティック表現というわけ。
●グラスゴーは、その後も独自のインディ文化を花開かせ、様々な「ネオアコ」バンドを輩出した。ORANGE JUICE、THE PASTELS、THE VASELINES、TEENAGE FANCLUB、BELLE & SEBASTIAN……。で、その影響は海を越えて東京にも伝播し、FLIPPER'S GUITAR のファーストや BRIDGEなどのギターポップバンドといったフォロワーまで生んだ。かつてこう言ったグラスゴーのバンドを「アノラック系」とも呼んだっけ。単純に THE PASTELS のメンバーが上着にアノラックを着るのがスキだったから、つーのがその由来らしいけど。え、アノラックってナニって?じゃ写真貼っときます。

アノラックです。(ナイロン素材系もポピュラーだよね。なんせグラスゴーは北国だから。)

もう一組、スグに卒業したバンド。

Songs to RememberSongs to Remember
(2001/09/19)
Scritti Politti

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SCRITTI POLITTI「SONGS TO REMEMBER」1982年。
●随分ヘンテコな名前のバンドが「ROUGH TRADE」に残した最初で最後のアルバム。イタリア語っぽいなーと思って調べたら、イタリア人共産主義理論家アントニオ・グラムシに敬意を表しての名前だった。グラムシの政治的著書「SCRITTI POLITICI」と、LITTLE RICHARD の古典ロックンロール「TUTTI FRUTTI」を混ぜたそうな。つまりバリバリの左翼。ジャック・デリダなどのポスト構造主義哲学にまでハマってたらしい(だって「JACQUES DERRIDA」って曲があるんだもん)。サッチャー保守党政権下の80年代イギリスの中で、このテのアート系左翼は「ポストパンク」系シーンの中で過激な活躍をした。…売れたりはしないんだけど。
「ポストパンク」シーンは、様々な実験の時代だった。パンク革命によって旧来のロックと完全に決別した若者たちが、自分たちの音楽を深化させようという時、まず着目したのはダブ、レゲエ、ファンク、アフリカンビートなどの第三世界の音楽との合体の可能性だ。THE POP GROUP とその分派(>RIP RIG & PANIC、PIG BAG など)や、A CERTAIN RACIO、GANG OF FOUR といったバンドは、独自の感覚で「コールドファンク」とも言われるような暗黒ビートを開発した。SEX PISTOLS を抜けた JOHN LYDON ですら新バンド PUBLIC IMAGE LIMITED で非ロックビートのグルーヴを探求するようになる。
●ほんで、この SCRITTI POLITTI は、やっぱりレゲエやファンクの躍動感をタテノリ解釈で取り入れた奇妙な音楽を作るんだけど、他のバンドと違ったのは暗黒系じゃなかったこと。リズムは奇妙でノリヅライんだけど、メロディはポップで声も優しい(他の連中は凶悪)。これにメジャーレーベル、ワーナーが目をつけてフックアップ。バンドサウンドは「コレが左翼かよ」ってほどこなれてチャーミングでダンサブルなブルーアイドソウル風になり、大ヒットする。「ROUGH TRADE」はあっという間にフラレル…。

●コレが縁なのかよくわからんけど、GEOFF は大手ワーナーと手を組んでメジャー内インディレーベル「BLANCO Y NEGRO」の設立に参加する。このレーベルの名を聞いてイチバン最初に連想するアーティストは THE JESUS & MARY CHAIN だ。フィードバックギターの轟音をまき散らしてナニ歌ってるか全然ワカンナいバンド。いわゆる「シューゲイザー」の元祖だ。コレはまた長い話になるのでまた今度。

ラフトレード

さてさて、その後の「ROUGH TRADE」。アメリカ進出とかします。でも……。
●80年代末から90年代頭にかけて、オルタナティヴロックの匂いに誘われてアメリカのバンドと積極的にアプローチする GOEFF。しかーし!なんかわからんけど、91年「ROUGH TRADE」一度倒産しちゃうのです。あやや。
●………ここで、ボクに一つのギモン。かつて90年代の西新宿レコ屋地帯(旧・新宿ロフト方面)には「ROUGH TRADE」日本店なるものが存在してたはず。ボク、そこで ST. ETIENNE とか買ってた覚えあるし。確か今も健在の「VINYL JAPAN」の近所とかだったような。91年の倒産と、あのお店の存在は矛盾してない?
●英語の本だから細かい事はよく読めなかったんだけど、当時「ROUGH TRADE」は、レーベルとしての「ROUGH TRADE RECORDS」、レコ屋チェーンとしての「ROUGH TRADE SHOP」、インディ流通業者の「ROUGH TRADE DISTRIBUTE」の三つに経営が分かれてたらしい。ほんで、ココで倒産したのはレーベルとしての「ROUGH TRADE RECORDS」だけ。後は生き残ってたと思われる。
●しょうがないので、この90年代を GOEFF は奥さんの JEANETTE LEE さんと一緒にマネジメント会社「ROUGH TRADE MANAGEMENT」を起こして、THE CRAMBERRIES とか PULP(とそのリーダーの JERVIS COCKER)のマネジャーをしてたという。

Different ClassDifferent Class
(1996/02/27)
Pulp

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PULP「DIFFERENT CLASS」1995年
●あらあら、70年代から始まったオハナシが、90年代の「ブリットポップ」の時代まで辿り着いちゃったよ。でもこのバンドもデビューは83年。長い長い下積みを重ね10年目にしてやっとメジャーデビューしたのは1993年。GOEFF「ROUGH TRADE MANAGEMENT」の連中と関わったのもこの頃だろう。で、この1995年のCDが彼らの全盛期の作品。あんまり聴かなかったCDだったんだけど、久しぶりに引っ張り出してクレジットを見たら、GOEFF JEANETTE の名前があった…。
●何分、リーダーの JERVIS COCKER の声と動きがキショイのよね…。カリカリにヤセっぽっちなのに、なんかクネクネ踊りながら歌うわけよ。大分ナルシストっぽいし。でもこのCD収録の「COMMON PEOPLE」は確かに「ブリットポップ」シーンを代表するアンセムになった。「ギリシャから美学校に彫刻を学びにきた大富豪のお嬢さんが言いました、アタシ、フツウのヒトみたいに暮らしたいの、フツウのヒトがやるような事はみんなやりたいの、フツウのヒトと一緒に寝たいの、ちょうどアナタみたいな人と…」階級社会を皮肉るこの曲は大ヒットしたのでした。
「ブリットポップ」時代を回顧するドキュメンタリーDVD「LIVE FOREVER」では OASISGALLAGHER兄弟や BLURDAMON ALBARN とともに JERVIS はインタビューに答えている。インタビュー場所は、なんとキタナいラブホのベットの上。ヤク中のようにゲッソリ痩せて、あの頃の熱狂を淡々と語る。最近はソロ名義で活動を始めたらしい。

ラフトレード

復活!「ROUGH TRADE RECORDS」!そして速攻で大ブレイク!
●2000年。イギリス最大のインディレーベル、SANCTUARY RECORDS から GOEFF に声がかかった。「カネがある。出資するから ROUGH TRADE を復活させないか?」このレーベルは「ROUGH TRADE」とほぼ同時代1979年の設立。IRON MAIDEN をデビューさせるために作られたレーベルで、ドッチかってとヘビメタ方面の方々ということ。ボクには縁が薄いが、とにかく巨大なので色んなトコロでその名前は見る。しかしこんな絶好のハナシはない、GOEFF はスグに飛びついてレーベルを復活させた。

Iron MaidenIron Maiden
(2002/03/26)
Iron Maiden

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IRON MAIDEN「IRON MAIDEN」1979年
●メタルはダメなボクが、今回生まれて初めて聴いてみたIRON MAIDEN。この露悪的なキショイジャケからもう苦手〜だった…。しかし、この SANCTUARY はこのバンドに惚れ込んでレーベルを設立&大成功したというからご立派。聴いてみると、いわゆる「ヘヴィメタル」の権化と見せかけて、思ったよりカルい印象。カルくて速い。さすが1979年、ハードコアパンクの空気を敏感に察知したスタイルを切り拓いている。
ハードロック/ヘヴィメタルは、LED ZEPPELIN、DEEP PURPLE、BLACK SABBATH らによって60年代末〜70年代初頭に作られたフォーマットで、パンク革命以後はオールドウェーヴ扱いだったはずだ。しかしこの時代、パンクの影響を吸い込んだ新型ヘヴィメタルが生まれた。「NWOBHM」(ニューウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)という世代のバンドたちだ。IRON MAIDEN は実はそんな新時代の代表格で、スラッシュメタルなどその後細分化されるメタルシーンの先駆けになったっぽい。

あー寄道からハナシを戻して、復活「ROUGH TRADE」。00年代ガレージリヴァイヴァルに火をつける。
●つくづくスゴいなあと思うのが、復活「ROUGH TRADE」はあっという間に結果をたたき出し、00年代の新型ロックシーンのプラットホームを作っちゃったんだよね。ハッキリ言うと、あの2組のロックバンドを発掘しちゃったんです。そうそう、若いリスナーさんもご存知でしょう。THE STROKES。そして THE LIBERTINES。
●2つのバンドは大西洋を挟みながらも、同じような荒々しい原点回帰のロックを鳴らしていた。「ROUGH TRADE」は00年代のガレージロックリバイバルの発火点になる若者たちを見事掘り当て、シーンの最前線に返り咲いた。ここから「THE」がつく無数のバンドがワンサと世間に現れ、UK を中心にガレージロック旋風を巻き起こす。その勢いは現在進行形だし、ダンスロックエレクトロの推進力も引き込んでさらに膨張している。

ラフトレード

●まずは、アメリカはNYから出てきたバンドの方を紹介しようかな。

Is This ItIs This It
(2001/11/06)
The Strokes

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Room on FireRoom on Fire
(2003/10/28)
The Strokes

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First Impressions of EarthFirst Impressions of Earth
(2006/01/03)
The Strokes

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THE STROKES「IS THIS IT」2001年
THE STROKES「ROOM ON FIRE」2003年
THE STROKES「FIRST IMPRESSION OF EARTH」2006年
●恥をさらすようだけど、ボクはこのバンドの第一撃を完全に見過ごしてた。00年代のキッズにとって、このバンドはきっと90年代育ちのボクにとっての NIVANA や THE STONE ROSES のようなもの、または70年代末パンク革命の SEX PISTOLS、THE CLASH、60年代の THE BEATLES、THE ROLLING STONES だったのかもしれない。最近のバンドは「コレ聴いてオレ音楽始めました」って人も多いからね。でも、完全にスルーした。ナゼか?ココでボクの個人的な思い出に…。

2001年のファーストアルバムは、日本盤で8月22日、アメリカじゃ9月9日発売なんですよ。
●コレってつまりどういうタイミングだかって分かるでしょ。2001年9月11日「アメリカ同時多発テロ」の直前なんですわ。当時28歳になったばかりのボクは、この世紀の大事件によって見事に仕事を掻き乱され、週に3日朝3時出勤、残り2日は徹夜、もちろん休日出勤、という生活を余儀なくされた。偶然にも10月アタマ稼働のビッグプロジェクトの一翼を担ってたもんだから、ダブルの加重に死にそうになった。この大事件への対応でドタバタしながら、同時並行で40人規模の新設チームをデザインし、業務の新システムを構築してた。職歴6年目のボクにはマジでタフだった。8月もデカイ単発仕事で忙殺されていたから、ホントこの年はクタクタのボロボロにされたヒドい時だったと覚えている。
●ボクは、夏風邪を引きずったまま壮絶な9月&10月を通り抜け、いつのまにか気管支炎を通り越して慢性ぜんそくまで引き起こしていた。当時のボクはまだ愛煙家で、重いストレスから一日2箱くらいタバコを吸っていたんだけど、同時に血を吐くような咳に苦しめられていた。ほんで禁煙だ。スコンと辞められた。つーか「なんでこんな死にそうになりながらタバコなんて吸ってんだ?」とマジで思ったからだ。10月に入り、やっと初めて病院に行って「もはや慢性化して治りません」と宣告されて、思い切り脱力した。健康問題からせっかく自分で企画立案した新設チームからも外され、身も心もボロボロだった。そのまま翌月11月に第一子ノマドが誕生。「これが21世紀だ。ノストラダムスを通り抜けて到達した、テロと戦争の時代だ。そんな時代に子供を育てるなんて、ホントにマトモな行為なのか?こんなクソみたいな時代、生まれた子供は幸せになれるのか?」マジで悩んだ。

つーことで、個人的にボクは、ガレージロックに浮かれるヒマなどなかった。
●当時のロックシーンが受けたインパクトは、ボクには想像出来ない。もっとツッコンで言っちゃうと、このバンドの音楽に時代を変えるチカラが備わってるように思えない。重心が軽くて安っぽい。ガレージなんだから安くて当然だろ!という批判もあるでしょうが、同時代の THE WHITE STRIPES の方が100倍スリリングだと思う。ドラム&ギターのみの編成でありながら、あんだけ破壊力を持ってた THE WHITE STRIPES に比べて、ヨク言えば「洗練されてる」、悪く言えば「中途半端でブチ切れてもいない」バンドだった。正直今聴き直してもそう思う。彼らに責任はないが(だって制作はテロの直前だもん)、あの年に全世界が感じた戦慄を代弁する音楽とは思えない。ただの騒がしい若造だ。
●かと言って、全否定して聴きもしないのはフェアじゃないというのがボクの思想。3枚目までちゃんとゲットして、一応キチンと聴いてる訳よ。でもやっぱりイケナかったのか、CD扱いがないがしろで、今回聴き直そうにも一枚目しか発見出来なかった。どうしても部屋の中から出てこない。あー言い訳させてもらうと、ホントにテロの年のショックがデカクて、そんでボクのサラリーマンとしての仕事量も増えて、この年以降に買ったCDは未整理気味で発見出来ない事が多い。赤ちゃんノマド&ヒヨコが棚からCDブチ撒くとかするしね。
ただし、二枚目(三枚目かな?)の音処理はユニークだと思った。ワザと音域を上下狭く使って、中域をザラザラした感じに強調したプロデュースは一興に値すると思う。このアイディアは誰のモノか知らないが、日本の新進ロックバンド 8otto をプロデュースしてるヨシオカトシカズが、この二枚目のエンジニアを手掛けてるという話。8otto はイイ音ですよ。

ラフトレード

●さて、次はイギリスの大悪ガキの登場だ。

Up the BracketUp the Bracket
(2005/01/25)
The Libertines

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The LibertinesThe Libertines
(2004/08/19)
The Libertines

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THE LIBERTINES「UP THE BRACKET」2002年
THE LIBERTINES「THE LIBERTINES」2004年
●さっきとはうってかわって、ボクはこのバンドは絶賛する。スゲエと思う。最初は、PETE DOHERTYのゴシップ(メチャメチャなドラッグ中毒で、ツアーやレコーディングを次々とすっぽかし、ガールフレンドの KATE MOSS までも立派なヤク中にするわ、相棒 CARL BARAT の部屋に機材盗みに入って逮捕&6ヶ月収監などなどバンドメンバーとどんどん険悪な関係になっていく様々なイザコザ)ばかりが目立って、聴く気になれなかった。しかし、相棒 CARL BARAT のハイペースなギターサウンドにヨレヨレとついて行くようにズルズル歌う PETEルードなボーカルは確実にクセになる。
●こんな音源をすくいとったプロデューサーは元 THE CLASH のギタリスト MICK JONES。ファーストアルバムの内ジャケにドーンと写ってる、見事にツルッパゲた MICK に少々衝撃。BIG AUDIO DYNAMITE やってた頃は必死に帽子被って隠してたのに…。


ちなみに「LIBERTINE」って言葉を辞書で引くと「放蕩者、道楽者」と出て来る。
JOHNNY DEPP の映画にも「リバティーン」って映画あるよね。ここからちょっと全然カンケイないハナシに脱線します。当時頻繁にお付き合いしてた独立系メジャーレコード会社の専務さんと、ある若手アーティストの路上ライブを観に行った時、その専務さん(50歳手前?)がズボッと着てたスウェットの背中に「THE LIBERTINE」とデカくプリントされてるのが印象的だった。専務さんというと堅苦しいイメージがあるが、そんなガラじゃない。もっとフランクで飄々としてて、いつも子供のように無邪気にニコニコしてる。この人のキャリアを詳しく聞くと、この人はある意味ホンモノの「THE LIBERTINE」な人なのではないかと、感心したもんだ。
●この人のキャリアは波瀾万丈で、80年代の半ば、とある弱小レコード会社でムリヤリ、オレ主義貫徹型たった1人のソロ部署レーベルを立ち上げ、伝説のパンクバンド、ラフィンノーズを世間に引きずり出した人だ。その後レーベルごと独立して大ヒットを連発、親会社から株を全部買い上げて完全独立系の会社になって久しい。初めて会った時はとある交渉事のツモリだったのに、100%この専務さんの「ユメ」を語り尽くされてお終いになった。「この人自身がアーティストじゃないか!?この打合せはまるでアーティストインタビューではないか?!」やっぱ天才アーティストを惹き付けるのは天才じゃないとダメなのねと思った…。
●ボクが休職する少し前に、専務さんは社長さんになった。つーか、実権は全て最初から創業者であるこの専務さんに集まってたんだけど、あまりに「アーティスト」な人なので、サポートとして実際的な人が社長をやってたってことだろう。彼の会社の名前は日本語で「おもちゃ工場」。社長さんの人柄を象徴しててオモシロい。スゴいセールスを上げるアーティストがゴロゴロ所属してるが、完全に音楽至上主義で中途半端な宣伝戦略でアーティストを安売りしない。リスペクト。


ごめんなさい、ハナシを元に戻そう…。実は BABY SHAMBLES の方が先に聴いたのよね。

ダウン・イン・アルビオンダウン・イン・アルビオン
(2005/11/14)
ベイビー・シャンブルズ

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ショッターズ・ネイション(スペシャル・エディション)(DVD付)ショッターズ・ネイション(スペシャル・エディション)(DVD付)
(2007/12/12)
ベイビーシャンブルズベイビー・シャンブルズ

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BABY SHAMBLES「DOWN IN ALBION」2005年
BABY SHAMBLES「SHOTTER'S NATION」2007年
●00年代が始まっての音楽シーンは、ボクの目には明らかにヒップホップ/R&Bが熱かった。スゴい勢いで多様化&先鋭化(サウス勢やチカーノ系の台頭で発信地が多極化し、メジャーでもアングラでもあらゆる実験が行われた)してて、ロックは停滞ダメダメだった。唯一注目してたのは NY のクラブシーンを賑わせていた「エレクトロクラッシュ」というムーブメント。そしてその周辺から出現したダンスパンクという発想。THE RAPTURE「ハーウスお〜ぶジェラスラヴァァァァああああす!!!!」とかね。
PETE DOHERTY をタダのゴシップ野郎と信じて疑わなかったボクは、彼の新バンドを聴くまでは1ミリも興味を引かなかった。ただ「DOWN IN ALBION」は、いいアルバムだった。つーか「ヤベエ、大失敗した、今まで無視してたのは間違いだった」と思い知らされた。THE LIBERTINES の持ち味はある意味風切る疾走感だし、その疾走感がヨレヨレボーカルの PETE をフォローしているとも言える。トコロがどっこい、そのヨレヨレ具合を全面に押し出している BABY SHAMBLES の方がボクにはズッとスリリングに聴こえるワケよ。脱線するものを脱線させるがママにさせる感覚、でも千鳥足の酔っぱらいがコケそうでコケないように、絶妙な均衡で PETE はバンドサウンドに乗っかっていく。ある意味曲芸、ある意味ヘタウマ、しかしガレージの疾走感を排除した結果、メロディメーカーとしての彼の才能は引き立たされてるし、詩人な彼も見出せる。6ヶ月のブタ箱生活で知り合ったナゾの黒人 THE GENERAL に1曲レゲエ風を歌わせてるというオフザケもまた一興。後追いで聴いた THE LIBERTINES より絶対コッチの方がオモシロいと思った。この崩れる寸前のバンドサウンドも MICK JONES が銀盤に焼き付けた。
●モチ、BABY SHAMBLESROUGH TRADE のアーティストですよ。2枚の先行シングルを出して前評判も十分。なのに、ライブじゃ PETE が泥酔してステージに立ってられないもんだからバンドがステージから降りてしまったり、PETE が最後まで出てこなくてライブの後に暴動が起こったり。メンバーの入れ替わりも目まぐるしい。よっぽどの難物なんだな〜。
●しかし最新アルバムでは、ギタリストが10歳以上年上のオッサン MICK WHITNALL に交替してる。一時期の LOU REED のように苦みばしった顔のシワが印象的な渋いオッサンだ。プロデューサーは STEVEN STREET というオトコ。THE SMITHSBLUR を手掛けたカッチリ仕事の職人。そんな強化でバンドサウンドはカッチリしてきた。依然 PETE酔いどれ詩人としての持ち味がコアになってるが、DVDでのライブを見ると実は真人間になったんじゃないかと思うようなパフォーマンス。まだまだ聴ける、このバンドは。ちなみにタイトルの「SHOTTER」ってのはヤクの売人を示す隠語だそうな。早く100%クスリを抜きなさい。


Waterloo to AnywhereWaterloo to Anywhere
(2006/08/08)
Dirty Pretty Things

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Romance at Short NoticeRomance at Short Notice
(2008/06/30)
Dirty Pretty Things

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DIRTY PRETTY THINGS「WATERLOO TO ANYWHERE」2006年
DIRTY PRETTY THINGS「ROMANCE AT SHORT NOTICE」2008年
●もうココまで来たら、触れずには済まされないでしょ。THE LIBERTINES はボーカル PETE DOHERTYと ギター CARL BARAT双頭バンドTHE SMITHS で言えば MORRISSEYMURRTHE STONE ROSES で言えば IAN BROWN JOHN SQUIRE。そんでその揃い立つ2つのエゴってのはナカナカ緊張感を孕んでいるもんで、残念ながら長持ちしない。かつては激安アパートのベッドで寝食共にしてきた二人だったが、PETE のドラッグ漬け生活には我慢できなかった CARL BARATPETE を泣く泣く閉め出すカタチで THE LIBERTINES は短い寿命を終えた。比較的常識人に見える CARL なくして PETE が一人で自分のバンドなんて作れんのか、と誰もが思ったが(多分 CARL 自身もそう思ってた?)、意外な事に出来ちゃった。そんで、CARL も踏ん切りをつけたのか、自分のバンドを作った。コレがそのアルバム。
●すんません、あくまでこのオハナシは ROUGH TRADE のハナシなんだけど、コイツらはもはや ROUGH TRADE とはカンケイない。敢えて言えば、ROUGH TRADE 級に巨大な影響力をUKシーンにもたらしたインディレーベル CREATION の創始者 ALAN MCGEE がマネジャーを務めてる(THE LIBERTINES の末期あたりから関わってた)。CREATION といえば、PRIMAL SCREAMMY BLOODY VALENTINE、RIDE、そして OASIS を世に出したレーベルだ。一時期は「ALAN MCGEE が才能を見出したニューバンド」とPOPを書けばCDが売れる時代すらあったもんだ。しかし自分が見出した最大の才能 OASIS の津波のような大ブレイクに自分が飲み込まれて廃業せざるを得なくなっちゃった…。次に作ったレーベル POPTONE はスウェーデンのガレージ野郎 THE HIVES を発掘したがやはり倒産。そんで、いつの間にか、こんな事してたのかって感じ。
DIRTY PRETTY THINGS の音楽は、基本 THE LIBERTINESマッハなガレージロックを踏襲するスタイル……つーかマンマで意外性もナニもない…。THE LIBERTINES デビューの段階では有効であった音かも知れないけど、2006年段階ではもう耐久力がない。なんてったって彼ら自身のフォロワーが腐るほど世間にあふれてるんだモン。セカンドでは単純な勢い任せの楽曲からの脱皮を測ろうとしている努力も見られるが、今年9月にバンドは解散を発表。CARL「新しいコトに挑む事にした」とコメント。ソコに THE LIBERTINES の再結成は含まれているのかどうかはワカラナイ。PETECARL は最近ボチボチ接触はしてるらしいけど…。
THE LIBERTINES の残りの連中は YETI というバンドで再出発。つーか再出発したばっかで、まだ聴いてない。


ラフトレード

さて、「ROUGH TRADE」を縦糸に綴ってきたオハナシも、70年代から始まってとうとう今年の話題まで辿り着きました。
●創始者 GOEFF TRAVIS のインタビューに、THE STROKES THE LIBERTINES のことは出てこなかった。実際に彼が現場にタッチしてた訳でもないのかな? その後の ROUGH TRADE はザクザクババンドを発掘し、業績も伸ばした。スコットランドの名バンド BELLE & SEBASTIAN との長いパートナーシップも実は見逃せないハナシなんだけどね。
●復活の際に出資してくれたUK最大のインディレーベル SANCTUARY RECORDS が、2007年にドメジャーである UNIVERSAL MUSIC GROUP に買収される瞬間、系列下にいた ROUGH TRADE全然別のレーベル BEGGER'S BANQUET に売却された。このストーンズのアルバムから名前を拝借したレーベル BEGGER'S BAUQUET もロンドンの一レコード屋さんから出発したインディ体質の会社。ココの系列には、80年代イギリスにユニークな音を量産した 4AD、アメリカンオルタナティヴの名門 MATADOR、そして THE PRODIGY などの90年代ダンスカルチャーを支えた XL RECORDINGS がいる。UKインディの灯火を消さないという心意気のモト、自分がメジャーに飲み込まれる前に、SANCTUARY は最後に粋な計らいをしてくれた訳だ。 日本との提携関係では EMI JAPAN が契約を持っており、ROUGH TRADE JAPAN というレーベルが EMI JAPAN の中にある。


30年もの長きにわたって、ショービジネスの最前線にいる事はハンパな事ではない。
音楽のトレンドは目まぐるしく変わり、10年で購買層のキッズが全部入れ替わる。70年代末〜80年代のパンク革命を知らないヤツが90年代のダンスカルチャー/ブリットポップを作り、90年代を知らないヤツが00年代のガレージロックリヴァイバルを作る。若者は「新しい」と信じて流行に飛びつくがオッサンから見ると「ムカシの焼き回しだよ」と見えるモノがある。「ガレージロックリヴァイバル」という言い回し自体が「焼き回し」前提のフレーズだよ。それでもオッサンは最前線に立つ。自分の耳を信じて。
THE STROKES THE LIBERTINES をスルーしてしまったボクは、音楽を聴き始めて初めての一巡目を体験したのかも知れない。90年代にボクが夢中になった音楽とは、異質なトレンドがやってきて、00年代という次の10年を賑わせた。それが最初理解出来なかった。そこでもうボクは音楽から卒業してもよかったのかも知れない。居心地のイイ90年代音楽だけを聴いていても十分だったのかもしれない。でも新しいバンドを聴くのを辞めてない。古い時代の音楽も聴いてる。自分の時代を振り返るような音楽も聴いている。未知の音楽から新鮮な刺激を受ける感受性はまだまだ衰えてないってコトを確かめるように。
さて、音楽は10年周期で新しいパラダイムに突入する。00年代の音楽もそろそろオシマイだ。次の時代、2010年代の音楽は、多分どこかで準備段階に入ってるはずだ。さあ、次はどんな連中が時代を湧かせてくれるのだろう。楽しみだ。



●今までボクは、自分の音楽遍歴を振り返る記事を「90年代聴き直しキャンペーン」としてシリーズしてました。今回の記事は、そのテーマからは逸脱してるかも知れないけど、ここ30年の音楽の歴史を俯瞰するにはイイ題材になると思います。過去に書いた関連すると思われる記事は下にリンクを貼っていきます。

2008.10.01 「90年代の伝説 NIRVANAとKURT COBAIN。ロックの神に捧げられた生贄」
http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20081001.html
2008.09.28 「成熟を避けて突き進む「音速の若者」SONIC YOUYH に今一度シビレル。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080928.html
2008.09.16 「SONIC YOUTH はドコから来てドコに行くのだろう?音速のスピードで。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080916.html
2008.09.08「PAVEMENT と STEPHEN MALKMUS にまつわるセイシュンの思い出」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-508.html
2008.05.18「00年代エレクトロを巡って、90年代80年代そして70年代まで旅をする」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-438.html
2008.04.20「80年代末から現在まで、UKのブラックミュージックを一気に俯瞰する」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-418.html
2008.04.05「放送室で溶け合った、60年代と90年代UKロック。ブリットポップの時代」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20080405.html
2008.04.29「ボクは「FREE SOUL」がダイキライ。でも許す(←ナニ様?)」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-425.html
2007.10.22「『渋谷系』とは何だったのか? 極私的に90年代を振り返って」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-240.html
2008.01.06 「平成20年から平成元年を照らし出す。「バンドブーム」の記憶」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-293.html
2007.12.14「1986年。少年がロックに目覚めた瞬間」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20071214.html


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