古本屋にタップリ本を売りに行ったのに、100円にしかならなかった。
●一軒目の古本屋では30円と言われたし、3倍以上と思えばイイかと妥協した。もう本を入れた紙袋が重くて、アタマがおかしくなりそうだったし。体力面で無理すると、パニックっぽくなるのはボクの病気の症状の一つ。

●そんで、手に入れた100円で、その場で目についたとある本を買ってしまった。一時期は映画化され話題にもなったが、もはや今さら感タップリの流行遅れの本。でもある意味ではタイムリーでもある本。


プラトニック・セックスプラトニック・セックス
(2000/10)
飯島 愛

商品詳細を見る

飯島愛「プラトニック・セックス」
去年のクリスマス、彼女が遺体で発見されたのは、皆さんご存知でしょ。あのニュースで意外だと思ったのは、彼女とボクは年齢が一つしか変わらなかったということだ。もっと年上だと思ってた。なんでだろ。彼女は若い頃からテレビや雑誌を賑わせてた存在だったから?でもこの本を読んで少し意見が変わった。彼女は早くから大人の一番トゲトゲしい部分と戦わなくてはならなかったからだ、と今は思う。

個人的には、彼女のAVも見た事もないし、単純にフツウの一芸能人としか認知してなかった。
●が、ボクと年齢も離れてない彼女が、ナンで渋谷の高級マンションで孤独死しなくちゃいけなかったのか、とても気になった。テレビ引退直前の出演番組では、明らかにヤバい雰囲気、つまりボクら病人の醸し出すダメなオーラが見えちゃってたし、彼女のナニかがドッカで崩壊してしまった感じがヒリヒリ伝わって来てた。だから、あえてこの本を読んでみる。


「プラトニック・セックス」、この本に描かれる彼女の人生を簡単にまとめてみる。


1978~1985年(小学生時代)幼い頃の彼女は内向的で、学校でも先生とコミュニケーションできないほどだったらしい。一方で父親はしつけに大変キビシく、体罰も辞さない強圧的なタイプ。毎日習い事に通わされ「姿勢が悪い」と長刀まで習わされていた。母親は夫の機嫌や世間体を極端に気にするタイプで、決して飯島の味方をする訳ではなかった。少なくとも彼女はそう思っていた。本当に幼い少女時代から、飯島は両親に極端な恐怖と不信、愛情の欠如を感じていた。
 小学4年生の頃、アニメ映画を友達と観に行きたいと思ったが、両親は絶対に許可しないだろうと考えた飯島は、無断で映画を見に行った。結果、両親から体罰を含めた激しい叱責を受けた。「中学になったら絶対に家出しよう」と誓った。

1985~1988年(中学校時代):受験勉強を強いられるが、志望校に彼女の希望は汲まれなかった。結局、区立中学校へ進学。1年生の頃は一生懸命勉強するが、どんなに努力しても好成績をとっても両親からほめられる事がなかった。

「私は、ただほめてもらいたかった。父に、母に、一言「がんばったね」といってもらいたかった」


1985年(12~13歳)新宿・歌舞伎町で遊ぶ事を覚える。500円ほどで朝まで踊れるディスコに入り浸り、家庭や学校に居場所のない少年少女たちと群れて遊んだ。万引き、カツアゲも常習だった。父親の体罰があろうと歌舞伎町へと繰り出した。家族の中で唯一の理解者であった祖父がこの年ガンで亡くなると、飯島の非行はさらにエスカレートした。

1987年(14~15歳):度々警察に補導され、両親に迎えに来てもらっていた飯島だが、とうとう母親は迎えに来るのを辞め、彼女は初めて留置所での宿泊を体験する。コレをキッカケに少年保護センターのカウンセリングを受ける。父親の激しい体罰は過激化し、彼女の家出癖も増々ヒドくなった。
 体罰/虐待で顔が膨れ上がった飯島に同情して、当時付合っていたボーイフレンド「タカちゃん」の両親が、同居を許してくれた。彼とラブホテルに毎日のように入り浸るようになるのもこの頃。

1988年(15~16歳):一応高校に籍は置いたが一ヶ月も通っていない。「タカちゃん」とアパートを借りて同棲生活を始める。セックスとシンナーに浸る日々。しかし、「タカちゃん」の父親が二人の暮らしぶりに業を煮やしアパートを解約。再び「タカちゃん」の実家で暮らすようになるが、ある日父子の諍いで警察が出動。実家に連れ戻されるのを恐れた飯島は、「タカちゃん」の家から姿を消した。
 「タカちゃん」の友人を頼るがレイプされかける。住む場所もないので友人宅を点々とするが、誰からも執拗にカラダを要求される。この頃から強い男性不信も芽生え始めた。
 湯島のカラオケスナックで3ヶ月ほど働く。初めての水商売体験。源氏名として「愛」と名乗るようになる。

1989年頃(16~17歳):謎の金持ち「石川さん」と出会う。彼は30歳代の男性だったが職業不明、しかし外車やショルダー携帯電話を持ちゴールドカードで豪遊をする金持ちだった。世田谷の自宅マンションに非行少女を集めていた彼に、飯島は接近して金ヅルとして利用していた。
 「石川さん」が保証人になり、目黒にマンションを借りる。そして六本木のクラブでホステスに。水を得た魚のように勤勉に働き、稼いだ金を存分に物欲へ注いだ。クラブの同僚で、その後親友となる「明美」に出会う。少し年長の彼女は飯島の憧れであり、彼女から、水商売の世界や高級ブランドの知識を得ることになる。

1990年(17~18歳):未成年である事がバレ、六本木のクラブは解雇、銀座のクラブに勤める。この頃彼女が使っていたお金は一ヶ月100万~180万円。しかし銀座のカルチャーには馴染めずほどなく離職。新宿のキャバクラの一日入店で食いつなぐ日々。
 「石川さん」経由で「信一」と出会う。「信一」は新宿二丁目でカラダを売る男娼だった(「石川さん」はバイセクシャルだった)。彼に惚れ込んだ飯島は「信一」が二丁目から抜けるために、絶対しないと戒めていた売春を始める。しかし「信一」に裏切られた事を知ると、二丁目でオトコを買う生活に。愛情に飢えながらその度に裏切られ、より人間不信に陥って行く悪循環。
 友人を訪ねニューヨークに一週間滞在。現地で知り合ったレズビアンの「麻理子」の案内で、ニューヨークの最先端のゲイ/クラブカルチャーに触れ、強くこの街に憧れを抱く。この街に留学する資金を得るのが、彼女がAV女優になる第一の動機になった。

1991年(18~19歳):男友達経由で、AV女優の吉村理沙に出会い、AV出演を薦められる。結果、AV女優としてプロダクションと契約。契約金は1000万円。豊胸手術も受ける。最初は3ヶ月だけの契約だったし、本人も「いつでも辞めてやる」というツモリだったので、撮影現場ではヒドいワガママで周囲を困らせた。実は彼女はビデオの中で「本番行為」はしていない。コレも彼女の要求を周囲が呑んだ結果だ。この頃、テレビ東京のプロデューサーに紹介される。飯島同様、ニューヨークに憧れていたディスコのDJ「トシ」と交際、同棲を始める。

1992年(19~20歳)テレビ東京の深夜番組「ギルガメッシュないと」にレギュラーとして出演。Tバックを売りにしたタレント活動は順調に推移した。契約金2000万を提示され、AV女優契約をさらに3ヶ月延長。「トシ」との同棲生活で、妊娠/中絶を経験。しかし多忙な仕事のため、ニューヨーク行きを強く望む「トシ」とのスレ違いが大きくなり、関係が破局。生放送すらスッポカすほど絶望する。そんな彼女を慰めようと家を訪れた友人に、さらに彼女は痛めつけられる。

「男友達は、私の彼が出て行ったことを知ると、当然のように覆い被さってきた。「やめて」といおいとする私の唇を強引にふさぐ。一瞬、信じられないと相手を疑ったけど、彼に一途だった私が、そんなことを忘れていただけで、私はそういう環境の中にいたことを思い出した。今までこうやって生きてきたのだ。
 …きっと今までだってそうだった。寂しさを埋めるために体を求めた。体だけでも求められている実感が欲しかった。愛する人に満たされぬ想いを、愛する人が彫った溝を、他の誰かで埋めようとしていた」



1995年(22~23歳):芸能人としての生活も軌道に乗っている頃、突然母親から連絡が。家を出て9年が経とうとしていた。コレをキッカケに、年に1~2回は実家に帰るようになる。
 過去の恩人であったが、金銭のコトで関係が破綻した「石川さん」が変死したことを知る。
 六本木時代以来の親友「明美」がこの頃結婚/出産。しかしほどなく離婚。主婦/母親になった「明美」と飯島との関係も微妙になる。

「欲しいものは何でも手に入れて華やかな生活を送っていたかに見えた明美。彼女が残した言葉は深く私に突き刺さった。『一番欲しいものは手に入らなかった』」


1996年(23~24歳)両親と和解。彼らも、自分の娘との関係をどうしたらイイか悩み苦しんでいたことを深く理解する。物語はココで終る。


●2000年に「プラトニック・セックス」は出版。翌2001年にはドラマ/映画化。一方、ゴーストライターの存在が雑誌などで取沙汰され、アッケラカンと本人も認めている。当然、書かれた事実の美化、都合のイイ解釈が入っているコトを織り込んで読まないといけない。

●しかし、本文には若き日の飯島が書き留めていた日記の断片のようなモノも紹介されてる。コレはさすがにライターのねつ造じゃないだろう。ここのフレーズが、彼女が死の直前まで更新していたブログの気分と全然変わらないのが、とても痛々しい。
●物語は肉親との和解で幸せに終わるのだが、実際の彼女は自分の抱えた問題を、結局最期まで解決できなかったのではないか? 今や故人となってしまった飯島の運命を知りながら読むと、この本はまるで遺書のようにも見えてくる。


「だれか、私のために涙を流せる男の人はいないですか
 みんな遊びで終っていく。
 愛してくれているのは、そのときだけ
 すごく寂しいよね。
 でもこの人なら、それでもいいって思える日、どこかにいませんか」

(1989年11月13日の文章)

「愛情ってどういうの。 愛してるってどういうことなの。
 愛してるからそばにいたいの。 愛してるからだかれていたいの。
 あの人は何を考えてるの。 あの人の瞳にはだれがうつっているの。
 好きな人のためなら何でもできるの。 好きな人のためなら何でもあげられるの。
 大人の男ってどういうの。 大人の男って何を考えているの。
 男の人ってだれでもいいの。 男の人ってだれでもだけるの。
 愛されたいからゆるせたの。 きらわれたくないからゆるせたの。
 遊びなんかで愛されたくないの。 遊びなんかでだきしめられたくないの。
 あなたにふりまわされたくないの。 あなたのことふりまわしたいの。
 どうして平気で泣かせるの。 どうして平気で笑ってるの
 どうしてふりむいてくれないの。」
   
(1990年2月8日の文章)

「時々、急に、寂しくなったりしませんか?
 理由は、恋をしているからとか、男に振られたからとか、
 忙しない毎日に身を委ね、ふと気がついた瞬間とか
 なんか空虚感が突然襲ってきたり、、、
 大好きな曲を懐かしく感じた時とき、思い出に縛られちゃって動けない事とか、、、
 ない?
 非日常でなく日常の中にポカンと穴が空いちゃっている感じ。
 ない?
 そんなときに、PCに向かう傾向有り、、、心配しないで、
 わたくし、かなり元気にやっております。
 ただ、もの凄い寂しがりやであります。だって寂しくねーか?
 一人じゃ生きていけないんだモン。」

(2008年11月30年ブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」より)


自分の中にある空虚感に苦しんで、それを埋めてくれる人を必死に探している。誰かと繋がりたいという強烈な願望とソレが裏切られる壮絶な痛みにモガキ苦しんでる様子。あれだけ芸能界で成功し、金銭的にも成功していた人なのに、結局いつまでもこの呪いのような感情から自由になれなかったようですね…。「愛」という名を水商売の世界からもらいながら、結局本当の愛情に恵まれなかった人。なんか可哀想…。


同じ病人として飯島にシンパシーを感じつつ、二児の父親でもあるボクは、彼女の両親にも憐れみを感じる。
●飯島の両親は、内向的な少女だった彼女が、中学生になった途端に非行に走ったコトをどう思っただろう?突然の変貌と思っただろうか? しかし彼女の中では、親への絶対的不信感は小学校を卒業するまでの12年間、時限爆弾のように炸裂するのをジックリ待っていたワケだ。
●両親は、彼女に「正しく生きるスキル」を与えるために厳しく接していたはずだ。それは善意から出発していたのは間違いない。しかし、体罰を含めた指導は、結果的に彼女から「自尊心」を奪ってしまった。彼女は本来両親から感じるはずの「親しい者から大切にされる」という実感を、知ることができなかった。結果「自分を大切にする」コトも知ることも出来なかった。だから自暴自棄にオトコからオトコへ体を預けて毎日を過ごしたし、躊躇なく売春やAV出演へ突き進む。しかも大金で得たブランド品や取巻きの男の数で武装しなくては「自尊心」を保てなかった。
基本的には利発な彼女は、そんなコトは百も承知の自己分析済みだったはず。だからひたすら「愛してくれる誰か」を探し続け、それでも埋まらない「空虚感」に苛まされている自分の感情を書き残した。…これは医者が診断する意味で病気の名前がつくモノではないけども、でもやっぱり病んでいると思うのです。

●彼女の死後、ワイドショーのインタビューに応えた彼女の父親は、最後に娘に会ったのは2月のことだったと語っていた。彼女の実家は江東区とすぐ近く、財産はあっても芸能界引退/失業状態だった彼女、オマケに重い腎臓病まで患っていたのに、会う頻度はその程度のモノなのか……。「プラトニックセックス」に描かれていた親子の和解は、ライターがオチとして仕立てたフィクションなのか…。自分たちの「正しく生きるスキル」の外側で成功した彼女を、結局両親は理解してあげられなかったのか…。ボクは彼らを憐れむし、自分が自分のコドモに対してそういう親にだけはなりたくないと思った。




●ディスコカルチャーの中で、ユーロビートを浴びるように聴き、朝まで踊り狂っていた彼女が、そのイメージからはちょっと意外なアーティストの名前を挙げていたのが印象的だった。1990年、ニューヨークへ行った時に知り合った女性「麻理子」が愛聴していたというバンドだ。帰国してからも彼女はよくこのバンドを聴いていたらしい。

Heaven Or Las VegasHeaven Or Las Vegas
(2007/04/09)
Cocteau Twins

商品詳細を見る

COCTEAU TWINS「HEAVEN OR LAS VEGAS」1990年
「プラトニック・セックス」からの一節。ソーホーにあった「麻理子」の部屋を飯島が訪れた時のことだ。

「ふと、縦長の窓に目をやると横にはチューリップが生けてある。意外だったので気になった。それ以上にシーンとした部屋で薄く流れていたBGM。踊り狂っていたクラブ系の音楽とはかけ離れた、清らかで美しい曲。ー「こんな趣味があるんだ」
 『COCTEAU TWINS』
 優しく心地よいその曲のアーティストは私のお気に入りとなりこの時間を思い出す。刺激的なニューヨークで唯一の静かな瞬間だった。」


COCTEAU TWINS はスコットランド出身の女性ボーカルバンド。繊細なギターサウンドに ELIZABETH FRASER の澄み切った声を幾重にも織り重ねていくスタイルは、確かに心が浄化されるような美しさを備えている。北国の頬を切るような冷たい風に、ダイヤモンドダストが煌めくような景色。音が結晶しそしてくだけ散る。
●キャリアの最初期こそゴス路線を突き進んでたバンドは、80年代中盤からは音のレイヤーを丁寧に積み上げて、可憐な景色を織り上げることに専心した。飯島愛が渡米した1990年に彼らが発表したこのアルバムは、この路線の最終形態であり、商業的成功の最高点でもあった。
●その後、彼らは所属レーベル 4AD と関係が悪化、メンバーのドラッグ/アル中問題を抱えて低迷、2枚のアルバムを制作したが1997年に解散。飯島愛は、一番いい時代の COCTEAU TWINS を聴くことができたといえるだろう。
●80年代の COCTEAU TWINS は聴くべき音源がまだたくさんあるので、どうぞ皆さんもチャレンジして下さい。このバンドはジャケもとってもキレイだし。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://unimogroove.blog4.fc2.com/tb.php/567-b4309e86