このDVDは、メル友ヨーコさんに借りっ放しの物件。
●もう返さないと…と思ってるんだけど、既に何回も見てしまっている。コドモたちにも見せてしまった。なんてキレイなドキュメンタリーだろう。スゴく幸せな気持ちになる。それは、このDVDの主人公、画家・奈良美智さんという人物が、スゴくキレイな人だからなのだろう。

NARA:奈良美智との旅の記録 [DVD]NARA:奈良美智との旅の記録 [DVD]
(2008/02/22)
展示会に携わったボランティアのみなさん奈良美智

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●DVD「NARA:奈良美智と旅の記録」
目つきがワルい、チビッコのオンナノコ。何度も何度もこのモチーフを描き続けているこの画家は、90年代末以降、日本の現代美術を村上隆らと共に全世界へ発信した「巨匠」だ。日本のマンガチックなデフォルメ感覚を現代美術のフィールドに高めて世界に知らしめた功績は、まさしく「スーパーフラット」村上隆と同じだが、制作のスタンスや手法は全然違う。その事もこのDVDでとてもよくわかる。


初めて奈良美智の画を見たのは、もうカレコレ十年以上前になると思う。
●その画風から、当初ボクは勝手に自分とほぼ同世代の人かちょい年上くらいかと思った。ところがどっこいよく調べたら、グーッと年上のオッサンなんですよ。だって、今年この人50歳だよ!村上隆なんてボテボテのオッサンだけど、この人より年下よ!
そんなイイ年コいたオッサンが、なぜ、いつまでも子供の画にコダワリ続けているのか?そしてなぜカレの描くオンナノコは、コチラを敵意むき出しに睨みつけているのか? 長く長くギモンに思ってたし、理解が出来ないと思ってた。


村上隆の、強烈にアイロニカルな作風、次から次へと登場するニューキャラクターに愉快さを感じていたボクが、基本的にいつも同じ画ばっか描いている奈良美智の方に関心が移っていったのは、娘ヒヨコの誕生がキッカケだ。彼女が育つにつれ、どんどん奈良美智のオンナノコにソックリになってきたからだ。あのシモブクレで目つきがワルくて、時に無愛想で、ナニ考えているのかわからないイキモノに、娘が近づいてきた。

ひよこ&なら

3歳当時の娘ヒヨコと奈良美智の作品の一枚。どうだろう、ボクには他人に思えなくなっていった。

言葉もおぼつかない頃の幼いヒヨコは、確かにエイリアンだった。しかし6歳になった今のヒヨコは、十分に自分の感情を日本語で表現し、ある意味で「言葉の通じるニンゲン」になった。だから、既に「奈良さんが描くオンナノコ」の時期は通過してしまったと思う。

奈良の描くオンナノコたちは、今だ「言葉の通じないエイリアン」のようなモノ。あのワルい目つきは、どうしようもないコミュニケーション不全と相互理解への不信感、そしてなりよりも「孤独」を示していたのだと思う。そして画を見るボクら側も、あの作品に、理解の及ばないモノとしての奇妙な不安を感じさせられてた。作家・奈良の胸の中には、50年もの人生の間、一貫してそんなエイリアンが住んでいるのだろうか…。
●ボクはそんなギモンを抱いてこのDVDの世界へノメり込む………。



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DVDでハニカんだ表情を見せる作家・奈良美智は、若い!
●黒目ガチの二重の瞳に、柔和な笑顔、モジャモジャなクセっ毛、故郷・弘前のイントネーションを隠さずに、静かにゆっくり言葉を選んでモノを語る彼は、「巨匠」という言葉とはかけ離れた、謙虚で慎ましい印象を感じる。一方で、いつも趣味のイイロックTシャツを着てて、ストレートのジーンズをすとーんとはきこなしている。自分が50歳になった時、こんなであったらウレシいな、と素朴に思った。

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●結婚もせず、スカスカで寒そうなプレハブ二階建てのアトリエで制作に打ち込む彼の生活は、まさしく美大生のノリのママで、20代の青年がそのまま時計を止めてしまったような未成熟さが残ってる。たった一人で壁に貼った大きな紙に立ち向かい、刷毛を握って制作に取り組む。その現場、その息づかいがこのDVDでは剥き出しに記録されている。「画家」という生き物を初めて見せつけられたような気分だ。年齢が先入観になって、彼の個性を屈折させてたボクが浅はかだったと反省させられた。



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そんな彼の作品に、実際に幼いオンナノコが「自分の味方」の匂いを嗅ぎ取っていた。
●ソウルでの展覧会のエピソードに、心が締め付けられる気持ちになった。夜バーで行われたファンミーティングでは、若い女性が憧れのアイドルに会ったかのように奈良を囲んでいた。「結婚の予定は?」などの質問に苦笑する奈良に、ハッとするような内容の手紙が読み上げられた。


「オジさん、ワタシはセヒです。ワタシは七歳です。どうやってそういうことをおもいついたのですか?…ホントにスゴいです。ヨシトモアジョシ、ヨシトモアジョシ、カナしい時はオジさんのなまえをよびます」


●その少女セヒは、家族の事情で5歳になるまで両親と一緒に暮らせなかった。両親と暮らす今でも、都会暮らしを窮屈に感じているよう…。そんな彼女がこのイベントをキッカケに、我慢強く胸に秘めていた想いをハッキリと母親に明かす。「おかあさん、ワタシ実は、画家になりたいです」離れて暮らす母親に対する恋しさを何年も黙って堪えてきた子供の、絞り出したような言葉。イベントで奈良に気持ちを打ち明けたコトに驚いた母親は、初めて娘の気持ちと素直な気持ちで向き合えるようになったという。…イベントの後で呟く奈良

「アソコでボクの画を純粋に見ていてくれたコは、あのちっちゃいオンナノコだけだよ…本当に」


国境すらを超えて「孤独」に沈んだ少女に響いた、彼の純粋なメッセージ。
●彼自身にとっても、自分の子供時代、そしてその時に感じた「孤独」が創作の根本のようだ。外国メディアを相手にしたインタビューの受け答えが象徴的。たどたどしい英語でゆっくり答える奈良


ーあなたの原点はなんですか?ドイツに留学に行っていますが…
「日本で美大を卒業した後、海外、日本の外へ出ようと思ったんです。」
ードイツの学校で何か影響を受けましたか?
「な、ないです。ガッコウは…」
ー先生の名前は?
「ボクにとっては重要じゃない……教授には8年間で4回しか会ってません……自分にとって重要だった事は、孤独な時期を過ごしたということです。まるでボクの少年時代のように。空は灰色で…寒くて…ひとりぼっち。言葉はうまく話せないけど、考えている事はイッパイいっぱいある。それを言葉で表現できない、まるで子供のときのように…」



彼のキャリアをウィキでさっと調べる。
●生まれも育ちも青森・弘前市。彼がどんな少年だったかはこのDVDでは具体的には語られない。しかし、きっと内気で誰にも理解されず打ち解ける事のできなかった子供だったに違いない。彼の初期の作品は常に他者に牙を剥いていた。時にロックのチカラも借りて「孤独」を抱きしめ「孤独」に怯えていた。たとえ見た目がカワイく見えても。

武蔵野美術大学を一年で中退し、その後愛知県立芸術大学で、学士/修士課程を終了。1988年、29歳にてドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに留学。海外で12年を過ごすうちにジワジワと評価を高め、帰国したのは2000年、41歳の事だった。ソレまでは、遠い異国でたった一人、「孤独」な世界を生き、「孤独」な作業で作品を描いてきた画家。若い青年のような無垢な印象は、自分の少年時代の根源を、それだけをずっと長い時間をかけて見つめてきた、その証なのだと思う。

●日本に帰ってきた時、自分の画が意外なほど知られている、美術の世界の人たちだけじゃなく、ソレ以外の人、若い女の子たちまでが知っている、奈良は感じた。それに気付いたときはウレシいと思ったが、だんだん知られている事、美術の専門以外の人に知られている事、それがプレッシャーを感じるようになったという。


その時思いついたアイデアが、「小屋」だ。
ギャラリーの中に小屋を作って、まるでアトリエのような空間を作る。落書きのような無数のスケッチが壁を埋め尽くす。「人から見られるもの」「人に見せるもの」という場所から、「自分のいるべき確かな場所」へと帰りたかった、という思いに気付く。それを象徴するのが「小屋」だったのだ。小屋の中は、ホンモノの奈良の居室のように作業テーブルがおかれ、制作のための道具がブチ巻かれてる。(息子ノマドはそれを見て「セイトンしてるつもりでもグチャグチャしてる、パパのヘヤみたいだ」と言いやがった)

●それ以降、彼はギャラリーの中に、数々の小屋を作るようになった。小屋作りのためのパートナーも出来た。大阪を拠点とするデザイン集団「graf」のメンバーたちだ。彼は、たった一人の制作から、仲間との共同作業へと、一歩足を踏み出していく。共に目的を達成する喜びを知るに至る。「孤独」な少年が仲間を得た瞬間だ。


「小学校とか中学校とかで、初めてトモダチが出来たコトを思い出して欲しい…完成した喜び一人の時よりも倍増する。みんなで分かち合える。みんな知ってる事かも知れないけど、ボクはそれを知らなかった。そんなうれしさがあった。」

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その経験の果てに企画されたのが、彼が故郷で取り組んだ大型プロジェクトが「A to Z」だ。
●自分の中の全て、つまり A から Z までを全て出力し、アルファベットの数、26棟(またはそれ以上)の小屋とその中を埋め尽くす作品を作る。故郷・弘前にある赤レンガ倉庫に、架空の街が出来上がるのだ。当然今までで最大規模。地元・弘前大学の学生にボランティアを募り、いつしか全国からボランティアが集まるようになってた。奈良にとっても巨大な挑戦だ。


「例えばこうやって「A to Z」という仮にゴールを決めることで、ボクらも全力を出すことが出来ると思う。ここまで大掛かりなのはナイと思う……ここまでみんなで協力して作るのはもうナイと思う。」


奈良の画風が徐々に変わっていくのがわかる。
あのキツい目つきの生意気なオンナノコたちは、澄んだ瞳を大きく丸く開いて、シッカリと前を向くようになっていた。世界と正面から対峙する事を選んだのだ。

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「やっぱ人と関わる事が多くなって来てさ最近……そしたら、昔みたいな、なんかあんまりヒネクレタ子供とか描かなくなっちゃったんで……なんかもっと、孤独は孤独でも…あんま刹那的な感じじゃなくて、深い…ちょっとは深い感じの画とかになってきたかなと思ってて。」
「それって自分の作品が作品として進化したんじゃなくて、ジブンが人間として人と関わる事を覚えていった、からそうなったわけで……なんかそれが、作品としてイイ方向なのかどうかってのは、わかんないけど。」
「ただ、昔描けなかったものが描けるようになって来てるようになってきているのは確か。でも、昔描けたものが描けなくなってるのも確か。でも、いつまでも同じのを描いているよりはさ…」




奈良美智、50歳にして今だ子供であり、思春期を生きてる。世界と自分の距離感を、ジックリと測りながら居場所を探し続けてる。実は彼は現代を生きるピーターパンなのかも知れない。が故に、彼の画は無垢で、純粋で、どこか脆く儚い。ソレに人は、そしてボクは引き寄せられる。

そんで、ウチのコドモたちも、もう彼の熱烈なファンになった。
●ヒヨコが「ナラヨシトモさん!」とか口走るようになったから。一枚一枚の作品を観ながらイチイチ反応する。「あ、このコ、ないちゃってるよ……このコはケガしちゃってる。このオンナノコのおニンギョウもナラさんがつくったの?」一つ一つの作品に、まるでトモダチのような親近感を感じてる。包帯でぐるぐるになってる少女のモチーフはボクから見れば彼の常套パターンの一つだと思うのだけど、ヒヨコはまるでトモダチのコトを慮るように、細かく心配する。「ナラさん」は幼いオンナノコの味方だが、ヒヨコのようなオンナノコも「ナラさん」の良き味方、仲間になれるのだ。



奈良美智がロック好き、とくにパンクが好きなのはほぼ間違いない。蛇足のようだがここにも注目。ほら、ボクは音楽の趣味で人のコト測るトコロもあるから。新人スタッフとかにはボクに「で、どんな音楽聴くの?」と聞かれたヤツ多いと思う。
●彼は創作の時もロックをステレオで鳴らしてたし、壁には RAMONES のポスターも張っていた。ダイノジのエアギターとコラボしたガレージバンド JET のトレーナーを着てる時もあった。音楽好きのボクとしては、この映像に乗せられたBGMもチェックせずにはおれない。エンドクレジットから拾ったアーティストの名前を最後に列挙しておく。

少年ナイフ :言わずと知れた大阪出身の女子3ピースロックバンド。SONIC YOUTH にフックアップされて世界的知名度を得る。ジャケットに奈良を起用している。
bloodthirsty butchers  :北海道出身のオルタナティブロバンド。90年代には積極的にアメリカツアーを敢行し、国内外で高い評価を得る。やはり奈良がジャケを手掛けている。
・eastern youth :やはり北海道で結成されたハードコアバンド。独特の日本語詞で日本のエモシーンの先駆を担う存在
ANN ARBOR :芝ちえこという女性のソロユニット。チャーミングな声とメロディが印象的なポップスでくるりなどに影響を与える。大阪を拠点にライブを行っていたが現在は活動休止。
ogurusu norihide :京都を拠点とする、ピアノを基調としたエレクトロニカ・アーティスト
DIE GOLDENEN ZITRONEN : ドイツ・ハンブルグで、1984年に結成されたオールドスクールなハードコアパンクバンド。映画のオープニングチューン。

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ギタリストを殺さないでギタリストを殺さないで
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