バラク・オバマ大統領誕生に、時代の希望を見る。

バラク・オバマ

テキサス生まれのボンボン大統領が、恐怖とヒステリーで起こした戦争と、強欲を正当化したグローバリズム資本主義は、急速に見直しが行われている。
●アフリカ系初の大統領として歴史に刻まれるだろう新しい指導者は、テロリストかどうかよく分からない人間をヒステリックにかき集め、合法的な裁判もなく拘束し続けたグアンタナモ収容所を早速解体する事を決定した。
「偏狭なイデオロギーによって歪められていた科学的事実を見据えて、この危機を現実のものとして受け止める」と発言し、二酸化炭素の排出量を2020年までに1990年のレベルまで下げると、ハッキリと数値目標を示して公約。「地球温暖化」を科学的根拠のナイ妄執とし、京都議定書に批准しなかったアメリカとしては、信じられないほど大胆な方向転換を行った。(ちなみに、日本は京都議定書以降での具体的な数値目標を挙げられずにいる…)
シュワルツェネッガー知事のカリフォルニア州が打ち出した厳しい自動車排ガス規制水準を、産業界に負担を与えると前大統領は認めかったが、オバマ大統領は一転コレを支持公認。フランス一国と丸々同じだけのGDPを誇るアメリカ最大人口の州が世界でも最高水準の厳しい規制を定めるというコトは、破綻に直面してる自動車産業ビッグ3には、まさに劇薬を飲まされる思いだろうが、そこまでしてでもアメリカの産業構造全体を作り変え、環境政策と経済政策を同じベクトルにまとめ上げてみせる(つまり「グリーン・ニューディール政策」)という強い意志が、この若いニューリーダーには感じられる。ボクは期待している。



オバマ大統領のパーソナリティは、彼の文化的アイデンティティに負うものが大きいと思う。
●テキサスの保守的なセレブ社会で温々と育った前任者と違って、オバマ氏は絶えずマルチカルチュアルな環境に晒されてきた。カンザス州出身の白人女性を母に持ち、ケニヤ人留学生を父に持つ。その後、インドネシア人学者と再婚した母とともにインドネシアで暮らす。就任式の宣誓で知ったが、彼のミドルネームは「フセイン」というのだ。彼はムスリムではないが世界最大のムスリム人口を持つインドネシアで暮らした事は無意味じゃない。

そして、最大の注目点は、彼の生まれと育ちが、ハワイイ州である事。
ハワイイ州の人口構成はアメリカの中でも大変ユニークだ。白人は約24%、アジア系が約42%、日系人だけでも約17%もいる。先住ハワイイ系は約7%、黒人は2%に満たない。ハワイイ州は英語の他にもハワイイ語というもう一つの公用語を持つ珍しい州でもある(英語以外の公用語を認める州は、他にはフランス語を採用しているルイジアナとメインだけ)。
●そんな土地で育ったオバマ氏自身はある意味で自分を黒人だと思っていないのでは? 肌の色こそ黒いのだろうが、少年時代のほどんどを白人の母親や祖父母と過ごし、マルチカルチュアルな場所で育った。学校で「黒人!」と罵倒された時には相手が鼻血だらけになるまで殴りつけたという逸話もある。彼は白人でもなく黒人でもなくラテン系でもアジア系でもない。ただ一人のアメリカ人なのだ。
●だからボクは期待する。頑な思想の違いに不寛容になり過ぎ、世界が硬直している今、新たな対話の軸になってくれる事を。原理主義の横行するイスラム社会や、流血を辞さない強硬なユダヤ人勢力、中国や北朝鮮の一党独裁体制、中南米の反アメリカ運動、アフリカの理不尽な独裁政権、やもすれば利害が衝突するEU諸国や旧ソ連世界、アメリカ国内の保守反動勢力、強欲な市場絶対主義者、そして政治的機能不全に陥った日本に、新しい対話のキッカケを作って欲しい。マルチカルチチュアルなアロハスピリッツで。



そんなこんなで、ココに来て、ボクの中で「ハワイイ」という文化圏が、注目の存在になっている。

●正直それまではハワイイという土地にボクは偏見を持っていた。正月に芸能人が休暇をとる島だろう、そんでワイドショーがそれを追いかけに行く島だろう。スミからスミまで観光化された、アメリカのリゾートの一番の典型だろう。しかしボクの偏見は一発で覆された。ボクがハワイイに行ったのはおととしのことで、その一回きりだけの旅だが、大きな文化の奥行きを感じる事ができたし、素晴らしい感動があった。

RIMG0107.jpg

ワイキキでは、ボランティアのダンサーたちが、フリーでフラを見せてくれるので、夕暮れのビーチにボクもコドモたちとその様子を見に行った。しかし、ダンサーはハワイイ系に限らず、まるっきり白人の少女や、アジア系、アフリカ系の人々も混じっていた。民族の出自に関係なく、この島に住む人は何からのカタチで古来の文化を継承しようとしているのだ。コレってスゴいコトじゃないか。土地が持つ魅力が民族の壁を乗り越えてる!
●…そして、音楽と踊りというメディアは実に浸透性が高いと実感した。当時4歳の娘ヒヨコがその場で身振り手振りを見たままにフラを踊り始めたからだ。ボクもその行為にビックリしたし、周りの観衆たちも微笑ましく娘の踊りを眺めてくれた。

RIMG0116.jpg
RIMG0115.jpg

●晩年のどんど氏(元ローザルクセンブルグ、ボ・ガンボス)もハワイイに傾倒し、「素晴らしいパワースポットだ」と語っていた。バンドをやめソロ活動に入ってからは、仙人の境地に達してしまったかのようだった彼が、人生の最期に嗅ぎ取ったハワイイのパワーとは何だったのか?ボクはこの島のヒミツに迫りたい。

ごまの世界ごまの世界
(1997/12/15)
どんと

商品詳細を見る




去年結婚した会社の後輩オダレナが、ハワイイでの新婚旅行のオミヤゲとして、CDをボクにくれた。
●つーか、ハワイイに行くっていうから、前もって注文しておいたわけだ。ボク「イズラエルってシンガー知ってる?」オダ「ああ、しってますよ。なんかスゴイおデブさんですよね。この前出張で行った時にCD見ました」ボク「知ってんのかい!そりゃよかった。『HAWAI'I '78』って曲が入ってるCDをゲットしたいんだよ」


Facing FutureFacing Future
(1995/03/14)
Israel Kamakawiwo'ole

商品詳細を見る

ハワイイ文化の危機と克服。
●この「HAWAI'I '78」という曲は、ハワイイの偉大なるシンガー ISRAEL KAMAKAWIWI'OLE の代表作、「FACING FUTURE」1993年に収録されている曲だ。愛称 ''IZ'' の名で知られる彼は、極度の肥満から38歳の若さで1997年に逝去したが、彼の遺した音楽は死後もずっとハワイイの人々に愛されていて、観光客の訪れるオミヤゲ屋さんでも容易に購入できる。ぼくも彼のCDは既に何枚か持っていた。しかし、ある本を読んで存在を知ったこの曲は、ボクのコレクションからもれており、どうしても手に入れたかったのだ。その曲の詞をボクの拙訳で紹介する。


「HAWAI'I '78」

ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…
ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…

もしボクらの王様や女王様が、今の島々にやってきて、いろいろなモノを見たら、
ボクらの大地の変わり様を、どんな風に思うだろう?
想像してごらん。彼らがやってきて、ハイウェイが聖なる大地を踏みにじるのを見る気持ちを。
この現代のシティライフを、いにしえの王様たちは、どんな風に思うだろう?
涙は両目からあふれ出て、大事なことがもう見えない。
そう、ボクらが今、大きな大きな危機にあることが。
彼らはどんな風に思うだろう?満足して微笑むだろうか?悲しむだろうか?

想像してごらん。彼らが帰ってきて、クルマの灯かりや鉄道の線路を見る気持ちを。
この現代のシティライフを、いにしえの王様たちは、どんな風に思うだろう?
涙は両目からあふれ出て、大事なことがもう見えない。
そう、ボクらの大地が今、大きな大きな危機にあることが。
大王が成した戦いは、全ての島々を征服した。しかし今やそこはみんなコンドミニアムだ。
大王はそんなハワイイを見てどんな風に思うだろう?
彼はどんな風に思うだろう?満足して微笑むだろうか?悲しむだろうか?

神々のために泣こう。人々のために泣こう。
もう失われてしまった大地のために泣こう。
そしてやっと、見つけられるだろう、ハワイイを。

ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…
ウアマウ… ケエアオカアイナ… イカポノ… オ・ ハワイイ…


●この歌は、ハワイイ古来の文明が、アメリカ文化の押し流されていく様を、哀愁を込めて歌い上げた、切ない歌だ。彼の巨体からは想像もつかないほど繊細なニュアンスに富んだその声は、波と潮に乗って数百キロも響き渡るクジラの歌のようだ。朗々と謡われる意味不明なハワイイ語は、太古の呪文のように響き、あの島々が持つ豊穣な生命力を象徴し、神々しい光を放つ。
70年代は、ハワイイ文化の危機の時代でもあり、復活の兆しが見え始めた時代でもある。今一度「78年」という時代を振り返り、''IZ'' は自らのアイデンティティを掘り下げていく。ハワイイとは?アメリカ合衆国のハワイイ、アメリカ以前のハワイイ、移民社会のハワイイ、観光都市のハワイイ、さまざまなハワイイのイメージが立ち上る。ハワイイは本当に多面的な表情を持つ文化圏なのだ。

ハワイイでは、もはや第一言語でハワイイ語をしゃべる人は一部の高齢者を除いてほとんどいない。それでも70年代から積極的に行われたハワイイ文化復興運動の結果、今の子供たちは学校でハワイイ語を習い、ハワイイ語のラジオを聞き、フラの教室に通い、ハワイイ発祥のスポーツ、サーフィンに興じるようになった。ハワイイ系住民は人口の6%強しかいないが、後からやってきた民族や彼らと混血した子孫が、ハワイイの文化を継承しようとしている。一度抹殺されようとした文化が、新たな形で息を吹き返そうとしているのだ。




ハワイイ紀行 完全版 (新潮文庫)ハワイイ紀行 完全版 (新潮文庫)
(2000/07)
池澤 夏樹

商品詳細を見る

池澤夏樹「ハワイイ紀行」
●そんな時、出会ったのがこの本だ。職場の同僚さんが休職中のボクにくれた本。著者がハワイイの各地を巡りながら、ハワイイの自然、生物、民族、文化、歴史など、さまざまなアプローチでこの土地のことについて語ってくれる。「HAWAI'I 78」という曲の存在もこの本で知った。


ハワイイ独自の文化的特徴のユニークさに驚嘆する。
●アジア大陸から分離して形成された日本列島と違い、海の中から火山噴火の結果で出来上がったこの島々は地質学的にも生態系の上でも完全に孤立している。日本は古くから歴史的に東アジア世界の中に組み込まれて存在していたが、ハワイイは、大昔(5世紀頃?)にタヒチ方面から移民を果たしてから、1778年キャプテンクックの探検隊が偶然発見するまで、ほぼ完全に孤立して自らの文化を育ててきた。
ハワイイ語のコトもココで触れておこう。ハワイイ語には子音がなんと7つしかない。H、K、L、M、N、P、W。コレっきり。だから「イヌ」と「ネコ」は発音できるが「トリ」も「ムシ」も「ウサギ」も発音できない。だから、音のバリエーションが少ないので、区切れ目がわからないような固有名詞がイッパイ出て来るのだ。例えば、キラウエア火山とかハナウマ湾とかカメハメハ大王とかカラカウア王とかリリウオカラニ女王とか。だから母音がいくつか続く場合はキチンと区別して発音しなくてはならない。今回の文章でハワイをわざわざ「ハワイイ」と表記するのは「HAWAII」の「I」が二つ重なってる部分をキチンと強調するためだ。ハワイイの発音に準じればコッチの方が正しいらしい。池澤夏樹さんがこの表記にこだわっているので、ボクも今日は「ハワイイ」の表記に整えてみるのだ。

●その一方で、ハワイイ文化には文字がない。全ての記録記憶は口承によって伝えられてきた。ハワイイ音楽のコアである「フラ」は、その記録メディアとして重要な役割を果たしてきた。全てはまず詩としてまとめられる。神々を讃える詩、高貴な人物の偉業を伝える詩。コレに身振り手振りが加わる。神々を楽しませるために人々は詩に合わせて踊る。一方、ハワイイには言葉に対する信仰もあったようだ。万物に自然の霊力「マナ」が宿るように、言葉一つ一つにも「マナ」が宿る。正しい儀式と正しい踊り、正しい言葉によって引き出される「マナ」がある。コレが「フラ」の精神的土壌なのだ。

ホノルルの空港でなんとなく首にかけられる「レイ」も、ハワイイ文化の重要な存在だ。そもそも男女共々ほとんど半裸の生活をしていた彼らにとって「レイ」は特別な服飾品。自然の中から状況に見合った素材を選び出し、目的に応じた作り方使い方がある。そして結果その自然の力「マナ」を「レイ」から引き出すのだ。病気を治すための「レイ」があるし、特定の「フラ」を踊るための「レイ」もある。森羅万象に神が宿るハワイイでは、素材も勝手にむしる訳にはいかない。神々のカラダの一部を頂くつもりで素材を集めなくてはならない。ハワイイ固有種の特別な植物が必要な場面もあるし、貝や鳥の羽根を用いる時もある。著者・池澤夏樹氏は、数々のハワイイ文化伝承の専門家を巡り、繊細なハワイイ文化の細部を細かく綴っていく。


西洋文明との接触と、帝国主義的侵略に晒されたハワイイ。
●日本がアメリカの黒船によって開国を強制されたように、ハワイイ文明もアメリカの帝国主義的野望によって狙われた地域だった。しかも、小勢力が島々の中で分立した古代時代から、一気に西欧近代文明に接触してレベルアップしなくてはいけなかったのだから大変だっただろう。

カメハメハ(カメハメハ1世「大王」1758?~1815年)

●かの有名なカメハメハ大王は、確かに大王の名にふさわしい開明的な君主だったと思う。キャプテンクックとの遭遇から16年でハワイイ諸島を統一しハワイイ王朝を打ち立てる。この時点で統一王朝を作れなかったら、乱立政権同士がそれぞれの列強勢力と結びついて相争い(争わされ)、各島々ごとに分割併合されてたかもしれない。クック船長本人にも会ったことがある若き大王はそう思ったに違いない。
●しかもその統一事業は、大王がアメリカ船と戦った上で手に入れた軍艦とキャノン砲、そして二人のアメリカ人軍事顧問(というか拉致した捕虜)を使役して成し得たモノだった。完全に外界と遮断していた古代社会の中からいち早く飛び出して、即座に海外の最新兵器を強奪して自分の野望に役立てるとは、スゴい胆力と見識の持ち主だったと敬服する。カメハメハ、ビッグメ~ン!

●ちなみに、ハワイイ島を偶然見つけちゃったキャプテンクックは、発見の翌年には島民との小競り合いに巻き込まれてオダブツしました。彼は浦賀沖に突如現れたペリー提督と違って、侵略的意志はない純然たる探検家だった。タヒチ、オーストラリア、ニュージーランドを探査し、南極圏まで踏み込んだ真面目な人。長距離の航海にも関わらず、ビタミン不足つまり生野菜不足で発症する壊血病でクルーを一人も失わなかった優秀な船長だ。しかし野郎だけの長い航海で飢えまくったクルーたちがハワイイの半裸のオンナノコにちょっかいカケるのを止める事が出来ず、そんなイザコザが積もり積もって現地の恨みを買ってしまったのだ。

クック船長(ジェームス・クック/イギリス海軍大佐 1755~1779年)


●さて、かのカメハメハ大王が逝去した1815年に、偶然にも重要な事件が起こる。この年にキリスト教の宣教師がこの地域にやって来たのだ。
●孤島の住民は、往々にして性的にルーズな傾向がある。余所者とすぐヤッちゃうし、周囲もそれを咎めない。遺伝が濃くなり過ぎるのを避けるために、外来遺伝子のタネをゲットするという必然があるのだ。しかし、コレはキリスト教から見たら堕落甚だしい有様。そんで不謹慎な半裸ファッション、のんびりなアロハスタイルは怠惰の象徴、既存宗教の偶像崇拝も許せなかった。宣教師はハワイイ文化の倫理観改造に熱心に取り組み始めた。ハワイイ古来の「フラ」文化なんて邪教の最たるもので、見事禁止された。いやー善意でやってるだけに、より始末が悪いよねーこういうコトって。オマケにこれまたイタいことに、当時の王権は土着の神官階級をウザイと思ってたので、既存宗教のタブーを撤廃し、キリスト教に乗っかっちゃったのでした。
●宣教師の熱心さはハンパなもんじゃなく、文字文化のなかったハワイイ語を研究し、英語に当てはめた表記法を考案してハワイイ語聖書まで作っちゃった。当然現地の人は英語つづりなんて読めないので、インテリ階級を彼らが独占してしまうことになる。こうした先進文化に呑まれてしまったハワイ貴族/王族階級は次々と改宗し、続々とやってくる西洋人たちをブレーンにしてヨーロッパ型行政システムを導入していく。

●ここまでは、積極的な近代化政策として悪くはないと思える。日本だって明治維新をくぐり抜け、鹿鳴館とか作ったりしてたから。しかしハワイイはやっぱり古代から近代へスーパーワープをしてしまった社会。近代的思考になじんだ現地人はまだ全然育っていない。ふと気付くと、西洋風官僚機構が出来上がってみたら、高級官僚が全員外国人だった。ハワイイ王権という冠を頂きながら、実質行政は外国人に乗っ取られていたのだ。

とどめの一発が強烈だった。元来ハワイイには土地の所有概念がなかった。
●コレをいいことに、アメリカ人植民者は土地を激安で買収し始めたのだ。たちまち農耕に向いた土地や豊かな水源が一般ハワイイ人民衆から奪われ、1870年代にはハワイの土地の4分の3が外国人のモノになった。現在世界的フルーツ生産流通企業として君臨する「ドール」は、ハワイイに巨大プランテーションを作り現地人(後はアジア系移民/日系とくにオキナワ系も含む)を使役して巨額の富をモノにし、今の繁栄を手に入れたのだ。1893年、アメリカ軍関与のクーデターでハワイイ王朝は倒され、1898年、ハワイイはアメリカ合衆国に併合される。前述した ''IZ'' のウタに込められた悲しみの気持ち、この歴史を見ればご理解できるのではないだろうか。


●アメリカに併呑されていったハワイイ。しかしその王様たちは、決して無能な人だけではなかった。魅力的な人も多い。
●欧米から持ち込まれた新しい病気の前に、免疫のないハワイイ人はドンドン死んでしまった。ハワイイ王家もみんな短命だ。カメハメハ大王以降は、まとまった政治を行う時間も与えられず、早死にする王様が続く。
●その中でも比較的長い治世を保ち活躍した王様に、カラカウア王という人がいる。「陽気な王様(メリーモナーク)」という愛称で今も尊敬を集める王様だ。1874年から1891年まで君主としてハワイイを治めた。

カラカウア(カラカウア王「陽気な王様」 1836~1891年)

カラカウア王は、積極的に国の外へ出て、ハワイイ王国の立場を理解してもらおうとした。ワシントンまで出向いてアメリカ大統領とも会ってるし、中国、東南アジア、インド、エジプト、イタリア、ドイツ、フランス、イギリスまでまわって、ローマ法王ヴィクトリア女王にも会ってる。結果として世界一周をしてしまったほどだ。サモアの王様と連携して「ポリネシア帝国」なる構想まで考えていた。
●なんと、彼は日本にもやって来て明治天皇とも会見している。しかもスゴい提案を持って来た。アメリカをはじめとした欧米列強と対抗するために、明治維新に成功した日本と連携したい、そのためにハワイイの王女と日本皇室の皇子の縁談を申し込んだのだ。これは結果実現しなかったが、帝国主義に対抗するためにアジアの新興国日本に目をつけた慧眼はスゴいと思う。実際、今のハワイイに日系人が多いのは彼の親日政策の賜物だ。
●しかし、1987年。「ドール」創業者一族をはじめとしたアメリカ人勢力の圧力によって、彼らの提案する憲法を呑まされた。通称「銃剣憲法」と呼ばれるこの法律で、王権は著しくその権力を制限され、参政権はハワイイ人からもアジア系移民からも遠ざけられ、アメリカ系のプランテーション経営者が実行支配する体制が出来てしまった。その失意からか、晩年彼はアルコール中毒になり、1891年サンフランシスコで客死する。

そんな彼の跡を受け継いだのは彼の妹、リリウオカラニ女王。彼女が王朝の最後を見届ける。
●アメリカ人勢力の勢いは止まらず、1893年にクーデターが起こりアメリカ人首班の臨時政府が王権廃止を宣言。1894年「ドール」創業者の従兄弟、サンフォード・ドールハワイ共和国をでっち上げ、前述の通り1898年、ハワイイはアメリカに併合される。リリウオカラニ女王は、1895年に逮捕/軟禁され、王国は完全に滅びる。
●彼女は、軟禁生活の中で20年以上も存命し、79歳の長寿を全うした。音楽の才能のあった女王は、この晩年の侘しい気持ちを歌に乗せていった。世界中に知れ渡る名曲「アロハ・オエ」は彼女の作った曲だ。古き良きハワイイへの郷愁と哀愁が悲しく響く。

「甘い記憶が私に帰って来る 過去の思い出が鮮やかに甦る
 親しい者よ おまえは私のもの おまえから真実の愛が去ることはない
 アロハ・オエ アロハ・オエ」

リリオウカラニ(リリウオカラニ女王「アロハ・オエ」の作者 1838~1917年)


「ハワイイ紀行」の著者・池澤直樹さんは、芥川賞作家で、ギリシャ、東京、沖縄を経て現在はフランスに在住。ネットに積極的にアプローチし、イラク戦争期にはメールマガジンで反戦を訴えていたという。ブログもかなり濃い内容になってるっぽいので今後チェックしていこう。



去年もワイフたちはハワイイに旅行へ行った。妹のサッちゃんがハワイイで結婚式を挙げたからだ。
●ボクも当然行きたかったが、病気を抱えたカラダで太平洋を渡るのはあまりにもリスキー。おとなしく日本で留守番した。ただし、ワイフにCDのオミヤゲだけは発注をかかさなかった。
●ワイフは「ワタシにアナタの趣味のCDなんて探せないわよ!」というが、ハワイイのCD物件には手堅い買い物の仕方がある。年に一回、ハワイイではハワイアンミュージックのグラミー賞ともいえる、「NA HOKU HANOHANO AWARD」という大イベントがある。ここでは、古典フラや現代フラのパフォーマンスから、レゲエと合体したようなアイランドポップスまで、ありとあらゆるハワイアンミュージックを網羅して、その年の優秀なアーティストを選ぶ。
●イベントの直前期になれば、CDショップでは「NA HOKU NONIMEE(ナホク賞候補)」というステッカーがCDに貼られる。そうでなくても、歴代の受賞作品には、「2006 NA HOKU AWARD WINNER」とかのシールが貼ってある。コレを探せば、まずハズレはない、という仕組みだ。だから「ナ・ホク・ハノハノだよ、ナ・ホク・ハノハノ!」噛んで含めるようにワイフに説明したので、バッチリしたモンを買ってきた。

KEALII REICHEL「COLLECTION ONE - KAMAHIWA」

KEALI'I REICHEL「COLLECTION ONE - KAMAHIWA」2006年
●この年の NA HOKU AWARD「ANTHOLOGY OF THE YEAR」を受賞した、ベテランシンガーの2CDコンピだ。彼は生涯の全てを賭けて、ハワイイ文化の啓蒙と教育に取り組んでいる。シンガーであり、ソングライターでもあり、フラのダンサーでも振り付け師でもあり、チャントを捧げる事も出来る。そして研究家でもあり教育者でもある。
マウイ島のプランテーションにある集落に住む祖母を慕って育った彼。高校生の頃にハワイイ文化に目覚め、18歳でフラのスクールを作り、ハワイイ語の音楽を作り始めた。ミュージシャンとして名を挙げる一方で、ハワイイ語学校を設立し、ハワイイ大学ハワイイ文化とハワイイ語の教鞭をとるまでに至る。そしてハワイイ文化の権威として博物館の学芸員も務めているのだ。まさにハワイイに人生を捧げた男だ。

●2CDであるこのアルバムは、2枚それぞれの二部構成になっている。一枚は、現代風音楽の影響を受けた「現代フラ(フラ・アウアナ)」で編成され、もう一枚は、西洋文明との接触以前から伝わる「古典フラ(フラ・カヒコ)」で編成されている。
●よく聴き馴染みのあるフラは、いわゆる「現代フラ」で、西洋を起源に持つ楽器、つまりギターウクレレを用いたメロディアスな楽曲だ。フラに特徴的な美しいコーラスワークも、実はキリスト教の賛美歌の影響があるという。多くは彼のオリジナルであり、日本のヒット曲「涙そうそう」までもカバーしている。もちろんハワイイ語だけど。なにやら、来日公演をした際、移動の機内放送でこの曲を聴いて一発で惹き付けられたらしい。オキナワ系の日系社会が根強いハワイイと、オキナワ音楽は今だナニかの絆で繋がっているのかも知れない。
●一方、「古典フラ」は、西洋文明との接触以前、つまりクック船長による「ハワイイ発見」の以前のスタイルだ。文字文化を持たなかったハワイイ人にとって、フラは、音楽である以前に、口承文学のようなモノだったらしい。アイヌ文化でいえば、ユーカラのような存在か。主だって神に捧げる祝詞のような言葉(「メレ」と呼ぶらしい)に、音楽を添えたのが本当のフラ。女性的に優しく響く「現代フラ」と違い、「古典フラ」は男性的な躍動感あふれるパーカッション(ハワイイ古来の打楽器群)に合わせて、朗々と呪文を唱えるように聴こえる。KEALI'I 自身がそうアレンジしているのか、ホントにこういうものなのか、ボクの耳にはそう聴こえてしまっただけか判然としないが、ビートに言葉を乗せる感覚が特殊なヒップホップに聴こえる瞬間もある。この多様性の前には、常磐ハワイアンセンターに見られるような、いわゆる「フラダンス」は、実は「フラ」が指す意味のホンの一欠片に過ぎない事がわかる。

●前述した通り、フラ一度キリスト教によって邪教として禁じられた。フラを禁止するということは、ハワイイ文化数百年の蓄積を忘却しろということだ。半裸の姿で生活をしていたハワイイ女性に、退廃的で堕落的だと主張して服を着せたのもキリスト教の宣教師たちだ(結果生まれた服装がムームー)。キリスト教はハワイイの精神文化を激変させた。
●その後、航空技術の発達でハワイイ航路が就航すると、観光資源としてのエキゾ趣味の中でフラが復活させられた。しかしそれはあくまで西洋文明から見たフラであって、観光消費用に商業化されたフラでしかなかった。ELVIS PRESLEY がノンキに「BLUE HAWAII」を歌い、露出の多い女性たちが腰をクネクネさせられていた。''IZ'' が危機を唱えた1978年当時はどんどん観光化が進み、ハワイイ文化がことごとく商業化され歪曲される時代だったのだ。しかしそんな中でもフラの本当の伝統は絶えていなかった。
●この後、先住民族の権利が世界的に認められていく中で、ハワイイ文化古典フラの研究も進み、70~80年代を経てワールドミュージックの時代に突入。90年代になってやっと、KEALI'I''IZ'' のようなシンガーが市民権を得る状況が出来たのだ。そんな歴史が、このCDには凝縮されている。


Generation Hawai'iGeneration Hawai'i
(2006/08/22)
Amy H�naiali'i

商品詳細を見る

AMY HANAIALI'I「GENERATION HAWAI'I」2006年
●2007年の NA HOKU AWARD「ALBUM OF THE YEAR」「FEMALE VOCALIST OF THE YEAR」など四冠を独占した作品だ。ハワイイのトラディショナルミュージックから、ジャジーで NORAH JONES なアプローチまでと、幅広いやり方でシットリとしたハワイイ語音楽を奏でている。
●ヴェテランシンガーである彼女が慕った亡き祖母の言葉が、CDのライナーに紹介されている。懐の大きなハワイイの思想が垣間見える。ちょっと引用。

「ポイタロイモを練ったハワイイの伝統的主食料理)に砂糖を入れるのはヤメなさい。
 食べ物の持つ「マナ」に敬意を払えば、十分にアンタのカラダに滋養をつけてくれる」
「もし誰かと一緒にいる事でギコチない気分を感じるなら、相手に敬意を持って、
 アンタが辿った遺伝的ルーツを丁寧に教えてあげなさい」

ーたとえ相手のルーツがハリウッドやニューヨークの真ん中であっても、ソレに敬意を抱き続ける事は、私の祖母が愛したやり方だった。彼女は、世の誰もが自分がどんな人間であってどんな生き方をするのかそれぞれ主張を持つべきだと教えてくれた。

「アンタ自身とアンタの文化に正しく誠実である限り、そしてアンタのクプナ(祖先たち)と共に歩んでいく限り、アンタは神サマに祝福されていくだろう…」



●このアルバムにはカントリーのような音楽も入っている。これもハワイイがマルチカルチュアルである証拠だ。ハワイイ音楽ギターは欠かせないが、元来ハワイイギターを移入したのは、メキシコ系のカウボーイ(彼らをハワイイでは「パニオロ」と呼ぶ)だ。ハワイ島は牧畜に向いた土地もあったのでそんな連中も植民してきたのだ。で、連中はカウボーイなんだから、カントリーウエスタンなのは当たり前。いつしか牧畜業も衰退して「パニオロ」は故郷に帰ってしまったが、彼らが残していったギターハワイイ風にアレンジしたのが、この時代のカントリー風トラッドミュージックとなる。
●ちなみに、「パニオロ」ギターハワイイに伝えたが、コードだなんだという細かい事までは教えていかなかったので、ハワイイの人々は全部手探りでチューニングをしていかなければならなかった。ソコから生まれたのが、スラックキー・ギター。完全オリジナルのコード感覚を持ったギター奏法が編み出された。スティールギターハワイイ人のオリジナリティから生まれた。大正琴のように横に寝た形状を持つエレクトリック・スティールギターまで進化したのだから立派なものだ。
●加えてもう一つ、ウクレレの起源も。アレはポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャという楽器が元になっているという。まだハワイイ王朝が健在だった時代、この新楽器を王室が注目し積極的にハワイイ化したという。代々ハワイイ王朝の国王女王は、文化/音楽に造形が深く、ウクレレの制作はカラカウア王の下で薦められた。さすがは「陽気な王様(メリーモナーク)」だ。


TEN FEET

TEN FEET「EVERYDAY」2008年
ハワイイ文化も、必ずしも古典回帰だけしているワケではない。21世紀の現代感覚にあった新しい音楽や文化がどんどんアップデートされている。ハワイイ古来の文化と西洋文明とが接触して生まれた音楽「ハワイアンミュージック」というカテゴリーとは別に、現地では「アイランドポップス」という言葉で新しい若者の音楽を紹介していた。ロック、ヒップホップ、そしてレゲエという、世界中を席巻しているフォーマットと、ハワイアンのスタイルを合体させたような分野だ。ココにもある意味での挑戦と実験がある。
●日本では DEF TECH が良き教導者となって注目を集めた「ハワイアンレゲエ」または「ジャワイアン」というスタイルが現地でどんどん育っている。近年のジャマイカのレゲエは、ヒップホップに接近し過ぎて、完全ダンスホール仕様の過激過ぎるビートとメッセージが大勢を占めるようになってしまった。それに比べて「ジャワイアン」ルーツレゲエが持っていたレイドバックした感覚とリラックスしたテンポ感を維持してる。ゲットーライフやラスタ思想、社会的不条理を叫んだ本家レゲエの精神は受け継ぎながらも、ハワイイのアロハスピリッツ、アフターサーフのピースな感覚が盛り込まれている。
●このバンド、TEN FEET というだけあって10本足、つまり5人組。オアフ島の南岸を根城にしてたサーフクルーが中心になって構成されたバンドで、デビューアルバムで NA HOKU AWARD のコンテンポラリー部門を受賞し、ビルボードチャートのトップも獲った実力派。一時期解散状態だったけど、結成13年目にして復活した3枚目のアルバム。
THE BEATLES「SOMETHING」のような名曲や、JASON MRAZ「I'M YOURS」のような最近のヒット曲を、気持ちよくハワイアンレゲエに仕上げてる。しかもそんなコトが気にならないほど、アコースティックギターの刻むリラックスしたリズムとピースな感じが気持ちイイ。このようなアーティストを今後も見つけていきたいと思う。



最後に、オバマ大統領のハナシにもう一度戻る。
●欧米の世界地図は、基本的にグリニッジ標準時を示す経度0度が起点になって、中央にヨーロッパと大西洋が位置する。そんな世界観で世界を俯瞰していたアメリカの政治の中心に、その世界地図においてイチバン端っこ、日付変更線付近、地球の真裏に位置する場所ハワイイから来た男が居座った。彼は、西欧から見て地の果てである太平洋を、ハワイイインドネシアなどを往復することで育った。つまり、彼の地球の見え方は今までの大統領とまるで逆さのカタチをしているはずなのだ。

●彼に大きな期待を抱いてしまうのは、そういう意味で本質的に新しい世界観であの大国を導いてくれるのではないかという気持ちから発している。問題はクサるほどある。しかし全く新しい視点からそれを鮮やかに解決してほしいと思っている。彼を育てた島はソレだけの底力を持っているはずなのだから。


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://unimogroove.blog4.fc2.com/tb.php/577-5d72c900