今日はチョーメンドクサイことを考える。
●社会に何も貢献しない文章なので多分アナタには100%無益な上に、非常にわかりづらい物件を扱います。ヒップホップというタームで、イギリスとアメリカ黒人音楽の付き合い方を考える試みです。「あーダメだコリャ」って人は、速やかに撤収した方が短い人生の貴重な時間を有意義に使えます。そんな予告付きで今日は行きます。


トリップホップ。イギリスが直接ヒップホップを移入しなかった不思議。
●先日、風邪にうなされながら、PORTISHEAD を聴いていた。そこで考えたこと。トリップホップってフシギな音楽ジャンルだなあ。トリップホップとはヒップホップの変形したモンと考えてもイイんだろうけど、反対に言えば「正統派のヒップホップはイギリスに根付かなかった」ってコトだよね?コレって不思議なコトじゃない?

トリップホップと、アメリカのヒップホップの明白な違い。それはラップ。
トリップホップの連中はラップをしない。コレが不思議だ。ラップという技術はアメリカのニューヨークで発生してから、80年代~90年代初頭にかけて全世界に広まった。誤解曲解もあったけど、世界中の誰もが「ラップ」という、言葉遊びを音楽に乗せる手法に挑んだ。ここ日本、台湾や韓国のような極東地域までにそれは広まった。でもでも、同じ英語圏なのに、イギリスはその影響をダイレクトには受け止めなかった…。ジャズ、モッズ、ノーザンソウル、レゲエと、黒人文化に尽きない憧れを抱き続けたイギリスなのに。コレが不思議。

PORTISHEAD.jpg(トリップホップの代表格、PORTISHEAD。)


トリップホップに潜むヒップホップ魂。
●しかし、トリップホップの連中に志がないわけじゃない。WIKI を読むと、PORTISHEAD の連中は「自分たちがトリップホップの中にくくられるのは納得がいかない、そんなことをいうヤツはヒップホップの基本が分かっちゃいない!」的なことを言ってるらしい。
●……ほんで、よーく聴いてみると、確かに PORTISHEAD のトラック(特に初期)は、実によく出来たヒップホップトラックなんですよ。ホコリをかぶったような古臭ーいサンプルを、アレコレうまーく配置してあの独特の雰囲気を作り上げている。スクラッチも出過ぎず引っ込まずで、シッカリした存在感を出してるし。カチッと決まったループ感は薄いけど、ソレはそれだけ細かくトラック作りに神経を使った証拠でしょ。ちょっと見方が変わったわ…。トリップホップは、ただのなんちゃってヒップホップではない。でも!でも、ラップはしないんだよねー。


●イギリス人がラップを全くしなかったかと言うと、そうとはいえない。でもヒップホップとラップは別々に輸入されたような節がある。アシッドジャズ系の連中にはラップ的なモノに挑んだが、トラックにヒップホップの成果を取り込みつつも基本はジャズファンク~フュージョンをプレイした。テクノ系の連中にも自分のトラックにラップを乗せたモノがいたが、わりとスグに廃れた。速すぎてラップ不可能だった。

●そんで、トリップホップ。連中のトラックは、わりと厳密にヒップホップだったかも知れない。しかし、ラップをしない。PORTISHEAD とともにブリストル発のこの音楽を牽引したユニット MASSIVE ATTACK は自分たちのトラックの上にポエトリーリーディングを乗せた。実際、この時期、ポエトリーリーディング&ジャズという文脈も注目されてたからなあ…。それと、彼らにはレゲエ/ダブの影響も強い。MAD PROFESSORと一緒にやった盤もあったもんね。

No Protection:Massive Attack Vs. Mad Professor

MASSIVE ATTACK 近辺からキャリアを起こし、ボーカルを彼らのアルバムで披露した TRICKYも、基本はモゴモゴボソボソとドスの利いた声でささやくだけだった。つーか、彼の声じゃ日常会話にも不自由しそうだし、明らかにラップに向く声じゃないよね。TRICKY PORTISHEAD と同じで自作では積極的に女性ボーカルを採用した。とにかく、魂はヒップホップなのに、彼らはラップせず、歌を歌った。なんで?ぼくはマジでわからない。

TRICKY「MAXINQUAYE」

TRICKY 衝撃のデビュー作。「MAXINQUAYE」1995年 長い間タイトルが意味不明だったんだけど、最近やっと分かった。TRICKY が4歳の時に自殺してしまったお母さんの名前が MAXIN QUAYEというんだって。苦労人だよ。)


レーベル「MO' WAX」と JAMES LAVELL。新しいヒップホップ観。
アシッドジャズ期のイギリスには、様々な新興レーベルが立ち上がった。アシッドジャズの語源にもなっちゃった「ACID JAZZ RECORDS」(1988年)、その「ACID JAZZ」からノレンワケしたように生まれた「TALKIN' LOUD」(1990年)。この2つは名DJ GILES PETERSON の立ち上げたレーベルだね。トリップホップの元祖とも言われてるDJチーム COLD CUT が立ち上げたのが「NINJA TUNE」(1991年)。テクノ系まで広げると数限りない。

レーベルのマーク

●中でも異彩を放ったのは、JAMES LAVELLE がなんと18歳で立ち上げたレーベル「MO' WAX」(1994年)だ。この人、生年月日でいうとボクより一つ年下(74年生)なので、当時は本当ビビッた。ボクがボンクラ大学生やってる時に、イギリスにはレーベル立ち上げて活躍してるヤツがいる!とマジで思った。彼は15歳にしてすでにパーティをオーガナイズしてたんだって。
●しかし彼が本質的にスゴイのは、全世界に目を向けて多くの才能をフックアップしたコト、そして結果としてアメリカとは全く異質のヒップホップ観を打ち立てたコトだ。まず前者を語ろう。JAMES の功績で重要なのは、日本が誇るターンテーブル侍、DJ KRUSH を全世界に紹介したこと。そしてアメリカ西海岸のサンプルウィザード&世界屈指のヴァイナルコレクター、DJ SHADOW を音楽シーンの表舞台に引っ張り上げたこと。ロンドンのクラブシーンにいながら、ユーラシア大陸の逆サイド、そして大西洋の向こう側の果てまで目が行き届いていたコトがスゴイ。ほんでこの二者、KRUSH & SHADOW には音楽上の共通点があった。ラッパーなしで成立してしまうヒップホップの可能性を切り開こうとしていたことだ。彼らの音楽は、アブストラクト・ヒップホップ(抽象的ヒップホップ)、ダウンテンポ、スモーキンビーツなどと呼ばれ、新時代のジャズ耳を育ててたイギリスのヘッズに熱狂的に迎えられた。彼らの二枚のアルバムが、ヒップホップの表現世界を一気に拡大したのだ。その拡大解釈ヒップホップが、トリップホップと言い換えられた、と考えてもイイんじゃないのかな?

dj krush(DJ KRUSH「STRICTLY TURNTABLIZED」1995年)

DJ SHADOW_Endtroducing(DJ SHADOW「ENTRODUCING.....」1996年)


このころの典型的「MO' WAX」サウンドを聴いてみる。

ATTICA BLUES「ATTICA BLUES」

ATTICA BLUES「ATTICA BLUES」1997年
「MO' WAX」全盛期の典型的なトリップホップサウンドだと思われるのが、この一枚。二人のトラックメイカーチームに、ボーカリスト(エジプト系の女性という話)を合わせたユニット。カッチリしたトラックに弦楽器がキレイに差し込まれ、少しエキゾチックな女性ボーカルが虚空を舞う。もちろんラップはない。ATTICA BLUES の頭脳でもあるメンバー D'AFROポエトリーリーディングのチームも組織してたので、やろうと思えば MASSIVE ATTACK なスタイルもこなせるのだろう。気分としてはクールなジャズっぽい雰囲気も。ユニットの名前もジャズに由来してるからね。
●60~70年代のフリージャズ期に活躍したサックス奏者 ARCHIE SHEPP の超名曲から、彼らはユニット名を拝借してる。申し訳ないけど、この名前を借りちゃったのは彼らにとってあんまりよくないことだと個人的には思う。だって元ネタがスゴすぎるんだもん。彼らは自分たちでハードルを一気に上げちゃったよ。すさまじい灼熱の超過激ジャズファンクである ARCHIE SHEPP 「ATTICA BLUES」の前には、どこの誰だって名前負けするわ。彼らの華麗でヒンヤリとした音楽は悪くはないが、あの超絶ジャズファンクとどうしても比較してしまうので、損な気分になる。最悪コレは聴かなくてもイイから、ARCHIE SHEPP 版は、絶対に聴いてください。じゃないとアナタの人生がつまらないモノになる。そんくらい重要。

Attica BluesARCHIE SHEPP


●ちょっと脱線したけど、「MO' WAX」からリリースされたアブストラクト~トリップホップものを他に挙げよう。
●女性DJ&トラックメイカー ANDREA PARKER もかなりダークでスモーキンなビートをゆっくり回転させてた。LUKE VIBERT もアルバムを発表している。彼は WAGON CHRIST 名義でテクノをやったり、PLUG 名義でドラムンベースをやったりする多才な人だ。内容は確かすごくアブストラクトだった。BEASTIE BOYS のキーボーディスト MONEY MARK の最初のソロもココでリリースされた。あれはヒップホップとは言わないかも…。元 ULTRAMAGNETIC MC'S のメンバー KOOL KEITH の変名 DR. OCTAGON のアルバム(&とインストのダブアルバム)を出してもいる。彼は筋金入りの本格派オールドスクーラーでありながら、超変態系で知られるラッパーだ。DJ SHADOW にも近い西海岸アクト、BLACKARICIOUSもフックアップされた。ココからいわゆる「西海岸アンダーグラウンド」の系譜が始ったといっても過言じゃないと思う。日本系だと、MAJOR FORCE 関連の物件を出している。ああ、忘れちゃいけない、JAMES LAVELL 自身のユニット U.N.K.L.E. がいたわ。あれは完全なトリップホップだね。

PSYENCE FICTION_UNKLE


トリップホップが、アメリカ/NYに逆噴射。イルビエント。
DJ SHADOW などの新感覚クリエイターがアメリカ西海岸にネットワークを張り巡らせて、新たなヒップホップを作り始めた頃、ヒップホップの首都NYでは、ヘンテコリンなシーンが発生していた。その名も「イルビエント(ILLBIENT)」アンビエント・ミュージックをもっとイルでチルにした感じと言えば分かりやすい?分かりやすくねえな。とにかく、ヒップホップという名にくくるには、あまりにもアブストラクトで不定形なスタイルが出来てしまった。その首謀者 DJ SPOOKY THAT SUBLIMINAL KID はこう言う。「オレに二枚のレコードをよこしてくれりゃ、アンタに銀河を作ってやるよ」ターンテーブルを操って、フワフワのエコーとトリッピーな電子音、そして腰に響く重低音とビートを繰り出す。まさしくトリップホップがアメリカ本国に逆噴射したような音楽なのだ。もちラップはなし、インストトラックで勝負。そして結果、宇宙が見える。

DJ SPOOKY THAT SUBMILINAL KID「SONGS OF A DEAD DREAMER」

DJ SPOOKY THAT SUBMILINAL KID「SONGS OF A DEAD DREAMER」1996年
●彼の最初のアルバムっすね。ノンストップミックスで、ダブダブのエコー銀河が33RPMのスピードで回転している音響宇宙。キラキラ瞬く星々の海に飲まれて、ちょっとした宇宙酔い。この人大のSF好きでもあって、このコズミックなサウンドデザインは完全に狙いなわけです。この後、DJ SPOOKY KOOL KEITH ともコラボしたりして、ヒップホップの裏街道を歩いていく。「イルビエント」は、トリップホップ・アメリカ版、とボクは勝手に位置づけています。



さてさて、イギリスの中で、正統派ヒップホップは何をやっていたか?
     「BIG DADA」
普通にヒップホップのトラックでラップをするヤツが、イギリスに全くいないわけじゃなかった。ここで注目するのは、前述のレーベル「NINJA TUNE」の傘下、「BIG DADA」。1997年設立のレーベル。今なおコアな音楽を発信しているこのレーベルは、純度の高いヒップホップを鳴らそうとしていた。……しかし、ブッチャケ初期モノは地味だ。


TY「AWKWARD」

TY「AWKWARD」2001年
●これは義弟 ken5 くんからもらったもの。彼はもうボクにくれたコトすら忘れてるんじゃないかな?
●ともかく純粋ヒップホップ00年代になるまでイギリスに登場しないってのは、やっぱ不自然で不思議だと思う…。で、内容は実に地味だ。ラップは腰の据わったフラットなテンションだが、時に空気をスコーっと抜くような軽さを感じさせる。トラックも堅実すぎて派手な部分は何もない。これが2001年モノとは思えない。90年代前半のジャジーなヒップホップに質感は一番近いと思う。A TRIBE CALLED QUEST GANGSTERR の時代…。
●しかし、サンプルの万華鏡のようなきらびやかさはない。むしろダーク。ギターとか、一部のベースは、生で弾いてるんじゃないかな…?その意味ではアシッドジャズっぽいね。一曲だけ、UKエイジアン(インド風)の意匠をもじったトラックがあって、それだけ耳に新鮮だった。


ROOTS MANUVA「BRAND NEW SECOND HAND」

ROOTS MANUVA「BRAND NEW SECOND HAND」1999年
●コレもトラックは実に地味だ。打ち込みで組んだループに少々のダブ処理をしている。ただし、ラップには引っかかるモノがある。独特のスゴミのあるザラザラした低音。それが、ダンスホールレゲエをちょっぴり連想させる。調べれば、やっぱり、彼はジャマイカ移民2世だった。(ちなみに TY はナイジェリア移民2世。)


ここで、イギリスになぜラップが根付かなかった理由について仮説を立ててみる。
ダンスホールのDJイングが、ヒップホップラップのヒントになった、というのは音楽史の定説である。イギリスにとって旧植民地であるジャマイカは移民も多く実に馴染み深いモノで、レゲエも早くから(60年代)イギリスに移入されてた。イギリス人がヒップホップのラップに興味を示さなかったのは、ダンスホールレゲエのDJイングに早くから親しんでいたからなのではないか? そんで、イギリス国内でレゲエのDJイングは独自の進化を遂げた。ドラムンベースのMCとしてラガスタイルが採用され、あの特殊なビートに彩を添えていたのだ。

●ここで仮説を立ててみる。イギリスに移入されたヒップホップは、ビートミュージックとして受け止められたが、抽象化されたカタチで昇華され、トリップホップアブストラクト・ヒップホップへと進化した。しかし、すでにラガMCがダンスフロア(レゲエ風に言えばサウンドシステム)を賑わせていた状況で、ヒップホップスタイルのラップは特に刺激的には見えなかった。イギリス黒人のマジョリティはジャマイカ移民系で、アメリカ黒人とは出自が違う。彼らがラップをしようと思えば自然とラガっぽくなる。そしてどうせやるならレゲエか、レゲエを始祖に持つジャングル/ドラムンベースをやるだろう。
一方白人パフォーマーは、ラップをやりきるスキルが黒人に全く追いつかなかった。日本語でラップするのは日本人が一番得意だ。そりゃ当然。だから日本語ラップは健全に成長した。しかし、同じ英語で勝負したら、白人も日本人も黒人さんには絶対にかなわない。初めての本格派白人ラッパー EMINEM が登場したのが1998年だから、アメリカ白人にとっても本当のラップはハードルが高かったくらいなのだ。
●イギリスにおいて大きく支持を集めた初めての白人MCは、THE STREETS だろう。彼の登場は2001年。しかも彼はヒップホップではなく、UKガラージ~グライムでラップした。この段階で、アメリカ産ヒップホップとは完全に区別された、イギリス独自の進化の系譜が出来上がっていたのだ。


新世紀に進化する UK ヒップホップ。ROOTS MANUVA。

ROOTS MANUVA「RUN COME SAVE ME」

ROOTS MANUVA「RUN COME SAVE ME」2001年
●この仮説を実証してくれるのが、このアルバムだと思う。ココにヒップホップの強靭なビートと、レゲエ/ダブの獰猛なベース、そしてエレクトロがギラツく音空間が広がっている。そして、ヒップホップラップと、ジャマイカ訛りのパトワと、MANUVA 自身の造語が入り混じっている。アメリカ発のヒップホップとジャマイカ発のダンスホールレゲエがイギリスという風土で化学反応を起こした完全なハイブリット・ヒップホップだ。ヒップホップラップが根付かなかったイギリスだからこそ出現した突然変異的音楽。おまけに益々レゲエを連想させる事実だが、このアルバムには「DUB COME SAVE ME」(2002年)なるダブアルバムまである。全曲エコー強化のトラックで、レゲエ色の強いラップも聴ける。

ROOTS MANUVA「DUB COME SAVE ME」



ROOTS MANUVA「AWLFULLY DEEP」

ROOTS MANUVA「AWLFULLY DEEP」2005年
●個性的なラップを聴かせる MANUVA だが、トラックメイキングも全部自分でこなすらしい。「ファースト(「BRAND NEW SECOND HAND」はチルするつもりで作ったが、セカンドからはフロアを転覆するつもりで作った」とのコト。今作ではより傍若無人にビート&ベースが暴れ回っている。純粋にエレクトロ仕様で未来派の気分も。そしてコチラにももちろんありますよ、ダブアルバム。「ALTERNATELY DEEP」(2006年)というヤツ。どうぞご賞味ください。

ROOTS MANUVA「ALTARNATELY DEEP」


正統派ヒップホップは根付かなかったイギリスだが、メインストリームでは「グライム」ヒップホップに代わるゲットーミュージックとして独自の進化を遂げている。コレはコレで非常に面白い現象だ。正統派ヒップホップのコアであった個性派レーベル「BIG DADA」は、今ではグライムの先駆者 WILEY が所属しているし、グライムがアメリカで特殊進化したボルチモアブレイクス・シーンの看板アーティスト SPANK ROCK ともディールを結んでいる。ブラジルのゲットーミュージック、バイレ・ファンキを世界に紹介したDJ/プロデューサー、DIPRO もココに籍を置く。UK ヒップホップ~新型ゲットーミュージックを牽引する「BIG DADA」の動向は目が離せない。



00年代のトリップホップ。TRICKY はどこに行く?
PORTISHEAD が3枚目を出すのに10年もかかっちゃったように、トリップホップ組にとっての00年代は、逆風の時代だったかもしれない。MASSIVE ATTACK でさえ手堅くリリースを続けるも、マンネリ感はどうしても否めない…。ところが、トリップホップの超重要人物 TRICKY だけが少々様子が違う。

NEARLY GOD

トリップホップ旋風が吹き荒れて、一躍時代の寵児となった TRICKY。別名義 NEARLY GOD を名乗り「オレってほとんど神かも?!」とまで調子に乗ったこの野郎は、時間が経つにつれ、だんだんそのトリップホップというレッテルがウザくなってきた。そこで気分一新、ポーンと活動拠点をNYに移してしまうのだ。厳密にはわからないけど、1999年あたりかな?

●そんな時期の前後に作られた作品を紹介。

TRICKY「BLOW BACK」

TRICKY「BLOW BACK」2001年
●アメリカ系のレーベルに移籍して気分一新のつもりか、トリップホップ・ファンから見たら全然望んでない方向性へ一気にワープしてしまった問題作(かな?)。つーか、あまりの変貌ぶりに、当時は音楽雑誌とかに完全無視されたような気がする…。ジャケ通りのモクモクなスモーキンビーツをゆっくりゆっくり回転させるのかなーと思いきや、RED HOT CHILLI PEPPERS のメンバーを召還して、完全なミクスチャーファンクロックを鳴らしているのだ。当時初めて聴いた時は仰天&大爆笑!この路線は誰も望んでねー!けどカッコいいー!TRICKY の曲じゃなくて、もはや、RED HOT CHILLI PEPPERS FEAT. TRICKY というノリだわ。
●とは言いつつ、そこまで針を振り切ったロックスタイルはあくまで2曲(インパクトは強烈だけどね)。トリップホップ・スタイルの曲もキチンと健在だが、以前の息が詰まるような密室感は薄れて風通しがよくなった。彼が全幅の信頼を置くようになったラガスタイルMCの HAWKMAN が縦横無尽の大活躍。静のイメージが付きまとうトリップホップに躍動感を与えている。以前まで公私共のパートナーだった女性ボーカリスト MARTINA ちゃんは、完全に無視されてブリストルに置いてこられちゃったようで、もう前のアルバムからいないし、今作ではR&Bテイストの強いシンガー AMBER SUNSHOWER がボーカルを担当、ゲストとして ALANIS MORISSETTECYNDI LAUPER まで呼んじゃってる。完全アメリカ化。あ、なんと日本語曲もあったわ。とにかく、非イギリス化が著しい。

●そんで2003年。イタリア人女性ボーカリストとコラボしたアルバムを出してたんだけど、全然売れなかった。ボクも存在すら知らなかった。調べる限り超酷評されてる感じ。スゴイことにパンクレーベルの老舗「EPITAPH」からリリースされてるぞ。この辺で一回、TRICKY は音楽業界から引退しようとしてたらしい。

TRICKY「KNOWLE WEST BOY」

TRICKY「KNOWLE WEST BOY」2008年
TRICKY、初心に戻る?タイトルにある「KNOWLE WEST」ってのは彼の生まれ育ったブリストルの町の一角の名前。レーベルはUKロック旋風でノリに乗る「DOMINO」ARCTIC MONKEYS、FRANZ FERDINAND などが所属)からのリリース。しかも、プロデューサーには TRICKY とともに、元 SUEDE のギタリスト BERNARD BUTLER の名前が入ってる!
●しかし、彼の初心回帰が単純な「トリップホップ回帰」となるわけじゃないらしい。むしろオルタナ化した?「BLOW BACK」で会得したバンドサウンドスタイル(生っぽいドラムとイタナイブルース感でドロドロ)がガツンと1曲目から炸裂。ファンク系ミクスチャーロックも数曲搭載。昔の TRICKY からは想像がつかないほど変則的で高速化しているトラックは、分かり易いヒップホップのビート感を持ってて生命力に溢れてる。ラガMCも活躍してるし。むしろ近年のヒップホップのなんでもアリ拡散状態が、TRICKY サウンドさえも奇妙に感じないほど進んでしまったというべきか。
●でも、強烈なバスドラのキック&ベースのウネリはこのアルバムの重要な聴き所だよな。曲のスタイルやテンポと関係なく、このコダワリはブレない軸になってる。一撃入魂の大型ビートがローリングサンダー作戦並みの絨毯爆撃でダンスフロアを焦土と化す。


トリップホップというジャンルは、90年代のとある段階でその使命を果たしてしまった感があるけど、各個のアーティストは、ヒップホップを拡大解釈してトリップホップを開発した時のように、今だにヒップホップイギリス的突然変異イノベーションを続行している。TRICKY はその重要な一人だし、グライムというサウンドもそのパフォーマーもきっとそのツモリのはずだ。


●イギリスの黒人音楽への憧れはホンモノだと思うが、ふと歴史を振り返ると、ブルーアイドソウルネオモッズ、2トーンなど、必ずしも直球で黒人音楽を導入したわけじゃないケースが実は目立つことに気付いた。今回トリップホップを考えて思い至った発見だ。この目線からイギリス音楽を眺め直すとオモシロいかもしれない。
●そして、同じ視点で日本のヒップホップシーンを見返してみれば、日本ならではの独自性が浮き上がるはずだ。今後、そんなポイントから日本語ヒップホップを聴いてみたいと思う。

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