●先日、参宮橋の「刀剣博物館」というバショで、たくさんの日本刀を眺めて、アレコレの発見があったというハナシを書きました。(その記事へリンク)
●その結果、今まで楽しんで読んでた、時代物マンガってのが若干違って見えてきた。今日はそんな話。


「武士道」の限界状態「死狂い」の境地。

山口貴由「シグルイ」12巻

山口貴由「シグルイ」1~12巻
「残酷」モノで一世風靡した小説家・南條範夫が1956年に発表した短編「駿河城御前試合」を原作とした、武士同士の侠気と狂気のぶつかり合いをすさまじいテンションで描くこのマンガ、さあさあ佳境に入ってまいりました。タダでさえカラダの具合が悪いのに、あんなに血液臓物がブチ撒かれる悪趣味表現をモリモリ読んだら、なんか寝つきが悪くて今日も具合が悪いです。いやー読む者の健康を損なうほどのマンガって、それだけボルテージが高いわけで、作品として素晴らしい証拠だよねー。

「刀剣博物館」で、じっくり日本刀を眺めたおかげで、このマンガが描く武士の死闘が、妙な重量感を持って見えるようになった。
日本刀ってのは、長さが80センチ前後、純度の高い鉄と、炭素含有率が高い鋼鉄を組み合わせて叩き鍛えた鉄棒なわけであり、結果として多分想像以上に重いはず。ジェダイの騎士の持つライトセーバーのように軽々とブンブン振り回すことは出来ないのだ。しかも、正確な角度で敵の刀や敵の体に当てなければ防御も攻撃も成り立たない。そんな代物を正確に制御して振り回すってのは、ハンパない腕力&握力その他もろもろの筋力、そして優れた反射神経が必要になる。
●そんな見方でこのマンガをもう一回読み返すと、あまりに非現実な殺人剣法と、それを非現実と思わせないほどのキチガイじみた修練ぶりが、ますます暑苦しいテンションとなって読む者にプレッシャーを与えてくる。人間のあばら骨をまとめて袈裟切りし、骨付きカルビのようにスッパリ切断するなんてのは、とんでもないほど困難な行為ということがジワッと理解できた。日本刀の現物を見てよかった。

●濃尾無双と謳われた剣法「虎眼流」の最後の後継者・藤木源之助と、盲目でありながら「無明逆流れ」という一撃必殺の剣法を編み出した伊良子清玄の、因縁の戦い(しかもリターンマッチ)がまもなく始まる気配。早く次巻が読みたいぞ!
●で、ぼくの中だけで今盛り上がってる江戸時代ブームによって察知できたのだが、この物語に出てくる駿河大納言・徳川忠長という人物が興味深い。徳川三代将軍・家光の実弟であり、山梨~静岡一帯を領封していた人物だ。二代将軍・秀忠は彼を自分の次の将軍にしようとしていた節があり、本人もそのつもり満々だったようだが、結果的には兄の家光が三代将軍に就任。その反動なのか、成人後は冷酷で残虐な君主になり、最終的にはその残酷な悪政のため、失脚&軟禁そして自刃に追いつめられたというドス黒いフォースの持ち主である。
●酔いに任せて家臣を斬り殺す、旗本の息子の首を突然打ち落とす、籠の中から籠を担ぐ家来を槍で突く、妊婦の腹を割く、神域とされる神社の境内で猿を240匹殺させるなど、ドコまで事実かウソか全然ワカランような、実にサディスティックな逸話にタップリ恵まれたこのオトコ。そんなバカ殿・忠長が思いついちゃったのが、真剣を用いた御前試合だ。君主の前で行われる武芸試合は、臣下への武芸奨励を目的にするモノであって、怪我をしないように木刀を使うのが当たり前である。なのに「試合で真剣を使え」とこの暴君は言う。真剣勝負じゃ、せっかくの武芸達者な家臣が死んじゃうじゃん!あまりにナンセンス!でもこのサド殿様は、真の殺し合いが見たくてしょうがないという。第一巻にある言葉を引用すれば、「封建制度の完成形は、少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるのだ」
●主人公・源之助と、宿敵・清玄の戦いも、様々な因縁をくぐりぬけた上で、サド君主の気まぐれで真剣で切り結ぶコトになった試合の一つだ。しかし、武士に上意に抗う選択はない。そして生き残るためには、その殺人能力を研ぎ澄ますのみなのである…。



超長編時代劇「あずみ」、完結。で忠長はコッチにも登場する。

小山ゆう「あずみ」48

小山ゆう「あずみ」1~48巻
●無敵の少女剣士・あずみの死闘を描く長編マンガ「あずみ」が48巻で完結しました。しかし最後のページには「第一部・完」と書かれているから完全に終わったわけじゃない。でも、48巻も続けてやっと「第一部」って、マジで長すぎだよ…。
●江戸幕府成立期のフィクサー・天海僧正の下、必殺の暗殺者として活躍してきた少女・あずみ。彼女は、徳川家康加藤清正伊達政宗も暗殺しちゃった無敵の剣士だ(うわ、大分ムチャ!)。彼女とガチンコで戦って生き残ったのは多分宮本武蔵だけだよ。武蔵すらもが「今のは引き分けなのか、負けたのか?勝ったのか?」と混乱しまくる。そんくらい彼女は強い。普段は無垢な瞳がチャーミングなあずみ、殺人モードに入るとスゴく鋭い目つきに変貌する。
●しかし彼女はあくまでティーンネイジャーの少女、成人男性のような腕力はない。その代わり天性の反射神経と俊敏な動き、そして数々の戦闘で磨かれた、戦場での分析能力と殺人センスが恐ろしいほどの力を放つ。「シグルイ」の剣士たちが、唐竹割りをするように人体をまっ二つに叩き斬るような戦い方はしない。無駄のないしなやかな動きで、ノドや心臓など、敵の急所を瞬間的に切断する。または腕の筋肉や手首、指を切断して戦闘力を奪うような戦い方をする。スピードがある上に殺人に躊躇が微塵もない。相手が複数いても、むしろその油断を逆手に取って乱戦に持ち込み、イッペンに敵を抹殺する。基本的にはザコには戦う準備もさせない。まさに瞬殺。どっちかっていうと忍者の戦闘だね。

●実は、前述の徳川忠長が、コッチの物語にも登場する。コイツわりと人気者だな?40巻よりちょい前くらいのエピソードだったかな?元服前の忠長、幼名・国千代が、西国の外様大名に誘拐監禁されてしまうのだ。そこであずみは彼を救出せよと天海から指令を受ける。なにしろこの段階ではバリバリの次期将軍候補ナンバー1の VIP なんだから。そんで、あずみは鮮やかに救出しちゃう。脇役には二代目服部半蔵も出て来るよ。このエピソードでは西国大名の青年君主がむしろ魅力的で、根性曲がりのボンボンである国千代はイケメンなんだけど、なんかヤなヤツなんです。
●そして第一部を締めくくる最後のミッション。あずみは、次期将軍に内定した家光支持者と、そのプランを転覆させんとする忠長支持者との政争に巻き込まれる。歴戦の猛将・福島正則や永遠の宿敵・柳生宗矩もどんどん出張ってくる。あずみはこの政争の中でどう振る舞い、陰謀をどう打ち破るのか?
●歴史のスキマを縫うように実在の人物と架空の人物がぶつかり合って、「あずみ」の架空歴史世界が広がっていったのがこの作品の魅力。江戸幕府成立直後の混乱期を暗殺者として生きたあずみ、最後は自分のルーツを発見して物語は一旦終わった…。

AZUMIcover.jpg(ニュー「AZUMI」。男装の少女剣士。)

●で、第二部はどーなるのかなー?と思ってたら、ローマ字の「AZUMI」と改題して、早速再スタート、「ビッグコミックスペリオール」でしれっと連載してます。ローマ字って…。しかも時代は200年以上隔たった、幕末時代が舞台!主人公は、初代あずみと同じ名前同じ顔の少女刺客。
●そもそも、作者・小山ゆうは、幕末時代の混乱を、武田鉄矢原作の「おーい龍馬」という作品で一度全部描き切ったコトがある。自分で一度確立しちゃった世界観と矛盾せずにニューあずみを描けるんだろうか? なんて勝手にシンパイしてるのに、勝海舟「おーい龍馬」のキャラクターのまんまで「AZUMI」に登場してきたぞ。ダイジョウブか?
●とか言ってるうちに我らがあずみちゃん、早速、大老・井伊直弼を暗殺しました。…おいおいまたまたデカイタマ殺っちゃったよ!そんで次に狙うは徳川斉昭。大物ザクザク行くよ!なんかスゴい裏技になりそうですが、結局今後も楽しみです。

AZUMI/斉昭

(スケベオヤジ、徳川斉昭。ガマンガマン、あずみちゃん、まだ殺しちゃダメだよ!)


奇才・松本大洋が描くサムライ。

竹光侍6

松本大洋/永福一成「竹光侍」1~6巻
「鉄コン筋クリート」「ナンバー吾」「ピンポン」などの怪作で知られる、松本大洋が挑む本格時代劇。彼の唯一無二な画風はさらにエスカレートして、ピカソのように顔の輪郭から目が普通に外れちゃってます。コレでもう苦手って人も多いとも聞きます。しかし、この独特なペンタッチ、粋な軽妙さと高密度な迫力を往復するテンションは、ボクにとっては大好物です。
●今回の主人公は、どこぞからフラリと江戸の町に現れた、浪人・能勢宗一郎。誰から見ても浮世離れしたフシギな男。魚屋のタコを2時間も眺めて珍しがる様子など、完全に変人です。しかしこれまたフシギなことに、その温厚柔和な性格に、近所の子供や長屋の隣人衆までもが惹きこまれ、このよそ者は周囲に溶け込んでいく。
●その一方で、時に醸し出す恐ろしい殺気は本物。江戸市中を騒がせた辻斬りを待ち伏せした時には、瞬時に賊の小刀を抜き取り、一撃で絶命させる。実は彼は故郷・信州の深い山の中で、剣術家の父にミッチリ武道を仕込まれた男。というかスゲエほどの超人的戦闘能力。しかし、とある陰謀に巻き込まれ、命を狙われ江戸に出るに至った。とはいっても刺客4人を瞬殺してますが。一方対峙する狂気の暗殺者・木久地は、発注者の意図すら超えて暴走中。両者の対決近し。

●さてさて、今日は「日本刀」にこだわっていろんなお話を読んでるわけですけど、この作品はタイトルが示す通り、主人公が持つのは「竹光」なのですわ。だめじゃん。戦えないジャン。もう物語の冒頭から亡き父の形見である日本刀「國房」を質草に出しちゃう。生活のため?いやいや、自分の中に潜んでいる殺人者の匂いを消したいがタメ。質に入れられた「國房」が、片目を刀つばで隠した隻眼の女性として、幽霊のように恨めしく登場するのも実にユニークな「日本刀」解釈だなーって思います。

竹光侍/國房(愛刀・国房。隻眼の女性が宗一郎に語りかける)

●それでいて、松本大洋作品で繰り返し提起されるテーマが顔を出す。凡人には理解しがたい世界に突入してしまった孤高のモノだけが垣間見る限界状況と、その運命と対峙する誇り高きダンディズム。宗一郎の深い部分を占めている凶暴な殺人者の本能と、やはり彼の偽らざる個性である稀有なイノセントさが、奇妙に同居してしまって、微妙な葛藤状態を彼の内面に作る。そんなコトをしてるうちに、とうとう愛刀「國房」は様々な因果を経て宗一郎の手元に戻ってきてしまった。もう流血は避け得ない。さあどうなる。楽しみ楽しみ。



あの安彦良和さんが、異色の歴史マンガを始めた。

安彦良和「麗島夢譚」1

安彦良和「麗島夢譚(うるわしじまゆめものがたり)」1巻
「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の連載が佳境に入って大注目の、安彦良和さんがまた歴史マンガに着手しました。彼はガンダムのキャラクターデザインで名を馳せ、アニメ界の重鎮として知られてますが、洋邦問わず様々なテーマで時代を切り取った歴史マンガ作品がたくさんあることでも有名です。日本古代史と「古事記」「日本書紀」の神話を結合して描いた「ナムジ」「神武」を始め、イエス・キリスト、アレクサンダー大王、ジャンヌ・ダルクの生涯などもマンガとして描いています。で、コレが全部面白い。
●そんで、今回のテーマは、大航海時代の台湾が舞台。タイトルはオランダ人が台湾を「ファルモサ(麗しい島)」と呼んだのに由来する。侵略的な野望を抱く南蛮列強のパワーバランスのスキマの中で、若き倭寇のリーダー・伊織が東シナ海全域を縦横無尽に駆け巡る物語。そして、あの天草四郎が、「島原の乱」の徹底したキリシタン弾圧から密かに逃れて生き残ったという設定!そして彼を守る謎の白人青年とのめぐり合い。オランダ、スペイン、ポルトガル、イギリス、日本、台湾、様々な民族、国家の思惑が錯綜し、チャンバラしまくるアクション活劇。とにかく、物語はまだ始まったばかりで、全体の輪郭も見えないけど、狙いどころはメチャメチャニッチで、想像力の駆け巡る余地がイッパイ!今後注目です。

●ちなみに、このお話、なぜか宮本武蔵までが台湾に現れる。結構なオッサンとして。でも強いよ。宮本武蔵ってよくワカランけど魅力的な人物ね。そのうちこの人についてもよく調べてみよ。「刀剣博物館」にも彼の姿を描いた掛軸が展示されてた。当然両手で二本の刀を持っている。世に言う「二天一流」でござる。

麗島/武蔵(宮本武蔵。「二天一流」。)

●この二本の腕で刀を操る「二天一流」、冷静に考えると、マトモな腕力では絶対に使いこなせない戦法だ。「日本刀」という重い鉄棒を、敵は渾身の力を込めて両手で振って来る。それを片手で受け、もう一方の片手でやはり重い鉄棒を正確に制御し、敵の身体を切り裂くなんて芸当は、相当な修練と筋力がなければ絶対に不可能だ。コレも日本刀を肉眼でよく見た上で気付いた発見。やっぱホンモノを見るって大事ね。

●ちなみに、ドラムンべースの奇才 PHOTEK「NI-TEN-ICHI-RYU」というシングルを作ってたな。あの人、イギリス人のクセして「五輪書」を読むような、完全な武蔵フリークになっとったね。

PHOTEK「NI-TEN-ICHI-RYU」 PHOTEK「NI-TEN-ICHI-RYU」




そもそも「武士道」って一体なんなのよ?ジョージ秋山が語る。

ジョージ秋山「武士道というは死ぬことと見つけたり」

ジョージ秋山「武士道というは死ぬことと見つけたり」
「浮浪雲」の超長期連載(73年連載開始)で孤高の極みに達してしまったジョージ秋山。彼の70年代の怪作「銭ゲバ」がなぜか21世紀の現在にドラマ化されてしまった。しかしガッカリ。ドラマ「銭ゲバ」松山ケンイチ主演で楽しみにしてたのに、第一話で「こんな話じゃなくない?」と失望落胆。2時間かけるという特殊メイクの傷も、原作じゃ先天性の奇形で目が潰れてるって設定だよ?ジョージ秋山「銭ゲバ」と同時期の作品「アシュラ」で、人肉食を描いてバッシングを受けたナチュラルボーンアウトサイダー。やっぱ今の世知辛い地上波テレビじゃ手に負えないのかな?だから第一話しか見なかったです…。

そんな孤高のマンガ家が、武士道の聖典「葉隠」をマンガで描き出した意欲作。
●原作は、佐賀鍋島藩の家臣が自らの尚武思想をまとめたモノで、成立は1716年。つまり江戸政権もかなり安定した、元禄時代のちょい後という時期。実際に武士が戦闘員として戦場を駆け巡った時代から、100年も隔たった平和な社会において、武士とはどうあるべきかを説くって、さてさてどんな感じだろ?現代感覚に引き寄せれば、武士階級は行政官僚機構として粛々と機能すれば十分と思うんだけど、ソレだけでは、殺人にしか役立たない日本刀を毎日腰に差す根拠がない。「武士道」の哲学をココで考えたいと思います。

「武士道というは死ぬことと見つけたり」は、命を捨てる思想ではなく、自由意志を獲得するための思想。

「二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進むなり。」
(『死ぬか生きるか』という選択の場面に出くわしたら、速やかに『死ぬ』方を選べ。細かいことは何もない、そのまま進め。)

「葉隠」はそう言う。でもコレは単純に「自暴自棄に特攻して死ね」と言ってるわけじゃないと思う。「葉隠」は続ける。

「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。」
(普通は生きる方がイイに決まってる。自然に生きる方に理屈も近づいていく。)
「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく家職を仕果すべきなり。」
(常日頃から重ねて「死」をイメージする限りは、武士として自由を得て、一生失敗することなく使命を果たすことができるだろう。)

●ムチャを言ってるだけじゃない、著者は人間の普通の感覚も理解している。しかし、それがゆえに、人間は生存したいという願望に支配されてしまう。死なずに済む方法を探したり、無駄死ににならない工夫を探してしまう。だが、こうした発想から出る思考は、個人の利害に囚われて、為政者/エリート階級としての「武士」の判断を曇らす。
●個人の利害を超越して、公正な判断をするためには、「生死」の利害から自由になる必要がある。だから、敢えて「死ぬ」立場を選んで、個人的利害から自由になれ!「葉隠」は主張しているのだ。別に命を粗末にしろと言ってるわけじゃない。君主のため、政道のため、領民のために思考する時に、武士は私を滅して公に奉仕せよ、という覚悟を説いている、とボクは思う。コレは心がけの問題だ。

官僚や政治家が、自分たちの権益や利害のために、社会を動かすようになったら危険。
●汚職や腐敗で行政が機能しない国なんて腐るほどある。為政者が自分の利益のために全体主義を国民に強いている国もある。巨大企業のような組織が機能不全に陥るケースも多々ある。アメリカの破綻企業への公金注入のニュースを見て「おおっ!」と驚いたもんだ。税金を特別にブチ込んでもらったクセして、アメリカの経営者たちは高額ボーナスを何の恥じらいもなくむさぼる!
バブル期の日本では、公金注入された企業のトップはある意味ハラを切る覚悟で企業再建に取り組んだし、数十億円ものボーナスをゲットしてたとは思えない。で、それが普通だと誰もが感じる風土が日本にはあるもんね(あるよね?あって欲しい!)。同じ政策でもリアクションが日米こうも違うかと、新聞を読んで思い知った。ある意味では「武士道」はこの国にまだちゃんと機能してると感じた一件だった…。


「葉隠」の教育論も興味深い。
●獅子が子供を千尋の谷に突き落とすかのような、スパルタ教育が「武士道」なのかなー、と思ったら、実は結構イメージ違います。

・幼少の頃から勇気を褒め讃える。
・決して脅したり騙したりしてはならない。
・臆病心を育ててはならない。
・雷に怯えさせたり、一人で暗闇に行かせてはならない。
・泣き止まそうとして、怖がることを言ってはいけない。
・幼少時、あまり叱ってはいけない。内気な人間になってしまう。
・悪い癖に染まらぬようにすること。
・物言い、礼儀などを自然に身につけるようにし、欲得を知らぬようにする。
・夫婦仲の悪い家の子は不孝だ。日常生活がとても大事なのだ。

●これって、ある意味、自尊心を大切にする教育だよね。子供に自信を持たせ、言動や立ち振る舞いに誇りを持たせる。ガミガミ厳しく接してイジケた人間にするのが一番ダメみたい。そんで、親も夫婦円満を守り、子に範を示せってのが最後についてるのがイイね。ピシャッとコチラの背筋も伸びるよ。


そもそも「シグルイ」という言葉も、「葉隠」に由来する言葉。
「武士道」の聖典「葉隠」は、読む以前にイメージしてたほど突飛なモンじゃなかった。概ね現代の感覚に引きつけて考えても違和感がない。ただし、「シグルイ」=「死狂い」の一文だけは、さすがにムムムと唸ってしまう発想。コレは論理を飛躍し、気合いで事態をひっ繰り返せというメッセージだ。

「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人で仕かぬるもの。…本気にては大業はならず。気違いになりて死狂ひするまでなり。又武士道において分別できれば、はや後るるなり。忠も孝も入らず、武士道においては死狂ひなり。この内に忠孝もおのづから籠るべし」
(武士道は死狂いである。一人を殺すに、数十人でも失敗することもある。…正常な発想では大事はなし得ない。キチガイになって死に狂う覚悟が必要だ。また、武士道においては冷静に考えるような隙があれば、その段階で遅れをとるということだ。武士道には忠孝もない、死狂いのみである。自然とその中に忠孝は含まれている。)

●文字通り、狂信的な発想かも。なんとなく中東の自爆テロを連想する…。あのテロは宗教ではなくむしろ現状への絶望が死狂いさせるんだろうけど。「シグルイ」はあくまでマンガだから楽しめるのであり「こりゃヤリ過ぎだっつーの!」とツッコンで楽しむのであって、リアルにコレやってたらダメね。
「武士道」は、あくまでエリート階級のための道徳規範を唱えており、為政者が一般平民に対して適用するモンじゃないと思う。だから、組織のトップや社会の支配階層が、下々のモノにこうした無謀を強制するようになったら、オシマイだわ。根性主義営業とか、困窮状況を忍耐しろとか、魚雷に乗って敵艦に体当たりしろとか。そうすると、確かに人間はオカシくなる。でも全然プラスの効果は生まないよ。うつ病患者が増えるだけだと思う。(で、ボク自身がその当事者だ)。
病気になるまで勤労奉仕することが、社会や組織への正しい貢献の仕方だとするようなルールは、結局最終的にはその組織や社会の寿命を縮める。優秀な人材は低待遇を避けて外部に流出するし、残るのはロボットのように受動的で創意のナイ人材だけになる、とボクは思うけどな。


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