MICHAEL JACKSON 死去。
●まるでウソみたいなスピードで死んじゃったという印象。一昨日の朝のニュースを、固唾を飲んで見守っちゃった。6時30分で速報「マイケルが呼吸停止で病院に搬送」、7時で「マイケル心肺停止の模様」、7時15分で「ハリウッド有力芸能サイトがマイケル死亡と報道」、7時30分で「ニューヨークの主要テレビ局も死亡と報道」…そんで9時「ロスの検死官がマイケルの死亡を確認」。マジかよ…あっけなさすぎるよ…。
●そりゃないぜマイケル「マイケルさんのスポークスマンによると、持病の○○病で簡単な発作を起こしただけ、全世界のファンに心配をかけてゴメンよ、ロンドン公演は予定通りやるよん!ポゥ!」なんてコメントが出てオシマイだと思ってたよ…。カネにモノ言わせてナノテク人工心臓で復活!ぐらいやってのけてもらいたかったよ。…だってマイケルはエンターテインメント・サイボーグでしょ?

会社に出たら、マイケルの話題でモチキリ。世代でマイケル体験が全然違う。
●50歳のオジさんは「ジャクソン5だろ!そんでソレをパクったのがフィンガー5。アイツら昔六本木辺りに住んでて、オレは近所の中学生通ってたから、アキラ出て来~い!とか言ってたわ(←マイケルの話じゃないし)40歳のセンパイは「クインシージョーンズの頃からスリラーだよな…」と言って昔散々練習したというムーンウォークを披露してくれた。39歳の女のセンパイは「WE ARE THE WORLD ってマイケルの作曲よね」。35歳のボクの世代はディズニーランド「キャプテンEO」。アレはジョージ・ルーカス&フランシス・コッポラというチームだったような記憶が。20代後半になると JANET JACKSON のお兄さんという位置づけで、20代前半の若者にとっては、白塗りの奇人変人というイメージだけ…。こんだけ幅のある印象を各世代に植え付けたマイケルという人物、いかに時代時代でメリハリある生き様を見せてたのかと感じ入る、象徴的な会話だった。



スーパースターの突然の死に戸惑う人々。
●渋谷のタワーレコードに行ったら、店の前に大きな看板が出てた。

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●でかっ!高さ2メートルほど?「R.I.P. MJ 1958-2009 MICHAEL JACKSON」…コレを見て故人の偉大さが初めてハッキリと理解出来た。

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●店内に入ると、イチバンいい場所にブースが設けられ、1996年に来店した時の手形が展示されていた…。

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●そして、それをケイタイのカメラで撮影する人…。CDを手に取る人…。それを見ながら近くの女子高生が友達にささやく。「マイケルってウチらの世代じゃないよね…あんま知らないよね」そう、相手はスーパースター、ズバリの世代であるボクだって身近な感覚では悲しいとかって感じられない。死んだというより消えたって感じか?世界中の誰もがそう思ってるんじゃないだろうか?



今日はそんな偉大なるマイケルの音楽世界に入ってみよう。
●今回は彼の黄金期だとボクが思う時代を遡っていくように聴いてみようと思います。


Michael Jackson「DANGEROUS」

「DANGEROUS」1991年
●このCDをリアルタイムで買って来たのは、ボクではなくて2歳年下のボクのイモウトであった。90年代が幕明け、ヒップホップが流入しグランジ革命が起こってた当時である。高校生になってたボクは、少々マイケルには飽きていた。イモウトは確かまだ中学生であって、おまけにCDなんて滅多に買わないタイプだったので、彼女にとっては精一杯の背伸びな買物だったろうが、ボクはこの作品には冷淡で無関心な態度でいたのを思い出す。
●しかしCDを聴かずとも、街中からマイケルの音楽は耳に入って来る時代だった。印象的なシングルは「BLACK OR WHITE」。当時はまだカワイい子役だったマコーレ・カルキンくん(後は立派なジャンキー)がイントロで GUNS N' ROSES のギタリスト SLASH のハードロックギターでノリノリになる小芝居スキットから始まって、人種の壁も国境も乗り越えろというマイケルらしいメッセージを軽妙なギターと共に歌うポップス。ビデオクリップには、今ではナンも珍しくなくなったモーフィングというCG手法がスゲえビックリマジックとして光ってた。ちなみに SLASH はもう一曲でブルージーなギターを鳴らしてる。
●今の感覚で聴き直すと、真っ当に時代の波を受けたニュージャックスウィングのアルバムだったと気付く。プロデューサーとして半分の楽曲に関わった TEDDY RILEY(GUY, BLACK STREET)の存在がやっぱ響くね。一曲目の「JAM」なんて教科書通りのニュージャックスウィングだし、そこに続く前半戦の楽曲は91年段階では最新鋭のスタイルだったのでした。ボクが後年好きになったのは、NAOMI CAMPBELL とのプロモ共演で話題になった「IN THE CLOSET」(監督は写真家 HERB RITTS!)。密室感溢れる性愛の世界がセクシーです。それでもビートはしっかりハネてます。
●しっとりR&Bでは「HEAL THE WORLD」が聴き所。彼がこのテのウタを歌うとその慈愛は常に全地球、全人類規模へ果てしなく射程距離が伸びてしまうようです。スーパースターは見てるもののスケールがデカイ。彼は後に「HEAL THE WORLD 基金」なるものを作って世界の子供を助ける慈善団体を作る。
●……ただし、この時代以降から、マイケルは思った以上に常識感覚が世間からズレテる…しかもかなり大幅に…というコトがだんだんわかって来ちゃった。アレ?コレはキャラのツモリじゃなくてマジだったの?的な違和感。ジャケでは自分のカラダを遊園地に隠してしまってるが、実は遊園地にヒキコモッテいたかったのかも…。この頃からだんだん肌の色が白くなってきたし、子供好きが度を超してて児童性愛までイッテルなんてトコまで行く。彼の全盛期はコレにて終了…したと思う。



Michael Jackson「BAD」

「BAD」1987年
●この時代は、ボクにとってマイケルが一番刺さってた頃だ。1987年は東京ディズニーランドに3D映画アトラクション「キャプテンEO」がオープン。前述した通り、制作にジョージ・ルーカス、監督にフランシス・コッポラと超豪華。劇中のエイリアンや宇宙船の質感がなにげに「スターウォーズ」っぽいなと思ってた。おまけに1985年「WE ARE THE WORLD」マイケル LIONEL RICHIE の共作)の余韻の残る時期でもある。従って、当時中学一年生だったボクには、マイケルこの地球上で未来世紀のエンターテインメントに一番近いポップスターだと思えてた。
●で「BAD」。このアルバムをリアルタイムでゲットした覚えはない。しかし11曲中9曲をシングルにして、ソレをことごとくヒットチャートに送り込むのだから、イヤでも耳に入るわな。こと表題曲の「BAD」はとにかく大ヒット。ボク的には品行方正だったマイケルがゲットーの若者に交じって目一杯イキがってみせてて、でも全然「BAD」に見えないトコロがツボでした。「オレはワル!ワル!マジでワル!わかるだろ!ワル!ワル!そうさ!ワル!ワル!世界中に聞いたってスグに答えるさ、もう一度だけ聞こう、誰がホンモノのワルだ?」熱唱!…でもホンモノのワルは、プロモで「ウエストサイドストーリー」みたいなダンスはしないと思う…。衣装は80年代だけどダンスは50年代風にコダワッテルのよね。
「SMOOTH CRIMINAL」も強力なヒット曲だったな…。これまたインパクトが強いプロモだった。30年代風の違法クラブに真っ白いスーツに身を包んだマイケルが乗り込んで、ダンスしまくる……重力に逆らう角度までカラダを傾けるトリックとかにビビった。もうファンクともロックともつかないダンスビートもマイケルにしか出来ない芸当です。
「MAN IN THE MIRROR」マイケルお得意全世界イッペンに癒します系のミドルテンポバラード。折しも米ソ冷戦レーガン/ゴルバチョフ体制下で雪解けムードを醸し出し始めた時期。本人不在でニュース映像のフッテージだけで構成したプロモはこれまた印象的だった。そんで今でも名曲だと思ってる。飢餓に苦しむアフリカの子供たち、南太平洋で行われた水爆実験、マザーテレサ、ガンジー、ケネディ、キング牧師、ジョン・レノン、ヒトラー、KKKの覆面集会、涙しながら祈りを捧げる黒人司祭、ネルソン・マンデラの解放要求デモ、ポーランド民主化の英雄ワレサ氏(後大統領)がパッパッパッと流れていく。そしてそんな世界の有様を見せながらマイケルは歌う。「ボクは鏡の中に映るこの男と始めよう 彼の生き方を変えて行こう このメッセージよりクリアに伝わるものはない 世の中をよくしたいと思うなら もっとよく自分を見つめて変えて行くんだ」後半はゴスペルクワイアと共に大合唱状態になる…。



Michael Jackson「THRILLER 25」

「THRILLER 25」2008年
●80年代ファンクの傑作「THRILLER」は1982年発表。当時のボクは確か小学3年生。これまたヴィジュアルが記憶に突き刺さってる。実はフツウの家庭にビデオテープレコーダーが普及したのがちょうどこの頃なのだ。コレわりと重要だと思うけど、ビデオの普及とプロモビデオの存在感はリンクしているはず。しかし我が家にはまだビデオデッキはなくて(しかもその後ベータマックスを買ってしまった…)、近所の友達の家に先にビデオはやって来た。
●さて、その友達のお母さんが「オモシロいビデオがあるから見せてあげるわよ」という。それが、あの14分の短編映画「THRILLER」だった。「ちょっとコワいかも知れないからね~」というオドカシにドキドキしながら見た「THRILLER」。当時の映像技術をフルに使ってマイケルが狼男やゾンビに変身してしまうシーンは衝撃でした。ゾンビを従えて踊るマイケル。メチャクール。コレが「マイケル・ジャクソン」という存在をハッキリ意識した初めての瞬間です。あ、あと「オレたちひょうきん族」ウガンダトラさん(R.I.P.) が完全パロディにしてたのが記憶に残ってる。デブなのに踊れる!最高に笑えた。
「THRILLER 25」「THRILLER」発売25周年記念特別盤として発売されたモノで、おまけDVDにこの14分「THRILLER」ビデオクリップが収録されている。実はコレを我がコドモたちに見せたくてワザワザ購入してしまったのだ。よく見ると監督は「ブルースブラザーズ」を手掛けた JOHN LANDIS じゃん。それはボクも初めて知った。30年近く前にボク自身が前フリされたのと同じように「ノマドヒヨコ、ちょっとコワいけどオモシロいビデオがあるんだよ~」と前フリして見せてやる。…もう二人とも最高の顔してたね。ノマドは言葉を失い身動きもせずに画面に釘付け。ヒヨコは最初関心がないかと思わせて、もうコワいシーンはカオをテで覆って(でもスキマからキチンと見て)たもんね。全編見終わったら「もうイッカイ!もうイッカイ!」のリクエスト。輸入盤で買ったから字幕がついてないので、弁士のように細かくボクが解説しないといけなかったのが想定外だったけど…。「なんでアカいフクのオニイさんまでゾンビになっちゃったの?」「なんでゾンビがふっかつしたの?」「なんでふたりはヨルのおハカにいっちゃったの?」キミたちあまり野暮で細かい疑問を吹っかけるのはよくないよ…。ただ重要なのは、このマイケルというオニイさんが今週死んじゃったということなのだよ。
●さらにDVDには「BILLIE JEAN」のライブ映像が収録されてる。コレにもコドモたちが衝撃を受ける。そうあのマイケルの必殺技「ムーンウォーク」が映っていたのだ!彼の華麗な足さばきは、コドモたちの目から見ると、まるで氷上をツルツル滑っているように見えているのだった。こと、前に歩く仕草で後ろに歩いてしまう「ムーンウォーク」はホントに不思議に見えたようで、しばらくテレビの前でどうしたらそんな動きができるのか、頑張って足を動かしてたもんね。
●改めて聴くと聴き所の多いアルバムだねー。一曲目「WANNA BE STARTIN' SOMETHIN'」や終盤の「P.Y.T.(PRETTY YOUNG THING)」は正統派ディスコファンクの匂いを引きずってるけど、ロックチューン「BEAT IT」はただロッキンなだけじゃなく、演奏陣もマジでロックだった!だってギターは EDDIE VAN HALEN だし、ベースとドラムは STEVE LUKATHER & JEFF PORCAROTOTO の中核メンバーなんだもん!リラックスしたポップソング「THE GIRL IS MINE」 PAUL MCCARTNEY との共演。その後 PAUL のアルバムに収録される「SAY, SAY, SAY」への共作にも繋がる。どちらも高性能なポップソング。シンセアレンジが清々しいミドルバラード「HUMAN NATURE」はその後 MILES DAVIS にもカバーされ、90年代のR&Bガールズグループ SWV にガッツリサンプルされた名曲だが、実はコレも TOTO のメンバーの提供曲だった。
「THRILLER 25」には「2008 REMIX」と称して THE BLACK EYED PEAS WILL.I.AM FERGIE、そして AKON KANYE WEST が手掛けたトラックが収録されてる。ボクは AKON の塩辛い声がマイケルのラインを完全になぞる「WANNA BE STARTIN' SOMETHIN'」が新鮮で好き。FERGIEマイケルがガチガチに掛け合う「BEAT IT」もいいけどね。



Michael Jackson「OFF THE WALL」

「OFF THE WALL」1979年
●ここからはボクとしてはリアルタイムの経験は全くない…。マジメに聴いたのはずっと後になってのこと。70~80年代ディスコファンクを掘り下げてゆく中で出会った。キーパーソンは QUINCY JONES。この作品から、「THRILLER」「WE ARE THE WORLD」「BAD」の時代までマイケルを支えることになるプロデューサーだ。
QUINCY JONESは1950年代のジャズ界からキャリアを起こしたブラックミュージックの重鎮。DIZZY GILLESPIE のバンドでトランぺッターとして出発した彼は、アーティストとして活躍する一方で音楽業界の仕組みにも精通し、60年代には MERCURY RECORDS の副社長に。このような立場に立った黒人はアメリカでは初めてだ。アレンジャーとしては FRANK SINATRAELLA FITZGERALD、PEGGY LEE の楽曲を手掛け、白人アイドル歌手 LESLEY GORE のデビューをプロデュースする。ブラジル音楽にも通じ、「SOUL BOSSA NOVA」1962年というボッサジャズでヒットを飛ばし、ディスコファンクでは「AI NO CORRIDA(愛のコリーダ)」1981年がヒット。ハリウッドに渡っては映画音楽を数多く手掛け、カポーティの名作を映画化した「冷血」、シドニー・ポワチエ「夜の大捜査線」、スティーブ・マックイーン「ゲッタウェイ」、そして人気テレビシリーズ「THE BILL COSBY SHOW」までも手掛ける。日本のテレビ番組「ウィークエンダー」のテーマも彼の楽曲だ。
●このジャズからディスコファンクまでのブラックミュージックの歴史を体現するような人物と、マイケルが出会ったのも、映画がキッカケである。「オズの魔法使い」を全部黒人キャストでやりました、という映画「THE WIZ」があったそうで(ちなみに主演は DIANA ROSS)、20歳の頃のマイケルはココで「カカシ」の役をやっていた(←これはトホホな話なのか?)。そんで、この現場で映画音楽を手掛けていた QUINCY と出会う。「誰かボクにピッタリなプロデューサーはいないかな?」「それじゃワタシが引き受けよう」QUINCY は自慢の口ひげをいじりながら、この子役上がりの若者をもっとビッグにしてやると誓った訳だ。実際この「OFF THE WALL」の大成功で二人の立場はさらに高いモノになってしまった。
●このアルバムを聴いたことのナイ人でも、一曲目「DON'T STOP TILL YOU GET ENOUGH」は絶対耳にしたことがあるはずだ。イントロドン!で理解出来るはず。華麗なストリングスアレンジ&切れ味抜群のホーンアレンジに、マイケルの全編ファルセットがサーッと滑ってく感じの、絶妙なディスコダンサー。もうコレでゴハン3杯イケルね。アルバムの他の曲も基本折り目正しくディスコファンク。80年代には完全なマイケル世界を組み上げる彼だが、この段階では高性能なディスコシンガーという趣が強いのでした。



Michael Jackson「BEN」

「BEN」1972年
●いきなり時代は飛んで、マイケル14歳のアルバム。マイケルの初期キャリアと言えば、4人のアニキと一緒に組んでた THE JACKSON FIVE なのでありまして、彼は8歳の頃からステージに立っておりました。デトロイトの伝説的R&Bレーベル MOTOWN と契約したのは10歳の時。アニキの一人 JERMAINE JACKSON とマイケルがリードボーカルなのですが、天才的な歌唱力は早くも人々の耳を引きつけ、誰もがマイケルにビックリ。「I WANT YOU BACK」「ABC」「THE LOVE YOU SAVE」(←この曲イチバン好き!)「I'LL BE THERE」などと快調なヒットを飛ばすのでした。
●一方で、THE OSMONDS という白人兄弟グループが登場して、THE JACKSON FIVE と同じノリの商売を始めました。実はコレも結構バカに出来ない物件で、レコ屋で安く見つけたらゲットして聴いて下さい。バブルガムポップスとして楽しいです。さて、黒人と白人でいったら、才能とカンケイなく白人の方に分があるこの時代。THE OSMONDS の連中はさらにエグイ商売を思いつき、メンバーのソロ活動も始める。言わば兄弟バラ売り作戦。MOTOWN の社長 BERRY GORDY JR. も指をくわえて見てる訳にはいかねえ!と、マイケルソロ活動を命じるのです。コレが1971年、13歳の時。本人は「え、ボクがソロ?おニイちゃんたちいないの?」的な戸惑いがあったようですが。
「BEN」はソロのセカンドアルバム。QUINCY に出会う前の10代のマイケルにとって最大のヒット曲が、このアルバムの表題曲です。実はシモキタザワで100円でゲット。しめしめ。ジャケにはちと気持ち悪いネズミさんがいますが、この曲はベンという名のネズミくんが活躍する映画のテーマソングなのでしょーがないのです。もうチョイかわいく描けないのかよ?……実は本来この曲は白人のライバル THE OSMONDS のリードシンガー DONNY OSMOND に提供される予定だったのですが、ヤツが忙しいという理由でマイケルの下にやってきたという逸話も。だから、MOTOWN らしくないスローバラード。でも、マイケルの歌唱力がハンパじゃないというコトを証明するにはうってつけでもあったのでした。
●他人様の曲を歌うのも珍しくなかったこの時代、ナイスなカバーもありまっせ。THE STYLISTICS「PEOPLE MAKE THE WORLD GO ROUND」のディープなソウルを、変声期前のファルセットで歌い上げてます。THE TEMPTATIONS「MY GIRL」もチャーミングにカバー。STEVIE WONDER が60年代に歌った「SHOO-BE-DOO-BE-DOO-DA-DAY」も実に遊び心満点で歌い切ってくれてとても楽しい。
●80年代「MTV時代」を鮮烈なダンステクニックで駆け抜けスーパースターになったマイケルだが、基礎にあるのはやっぱ抜群の歌唱力。それを分からせてくれた一枚ですわ。変声期前の素直なボーイソプラノはホントに耳に気持ちイイ。


ちなみに、THE JACKSON FIVE のその後についてもチョッピリ。
●70年代はニューソウルの時代だ。公民権運動の影響で黒人社会の意識も高まり、黒人のソングライターたちも自由に自分たちの意見を音楽を使って表明していきたいと考えるようになった。しかし!マーケティング先行の楽しいR&Bを、ハウスバンド&スタジオで量産していた MOTOWN はそんな連中を気持ちよく思わなかった。ここで、ソングライターとレーベルの摩擦が発生する。MARVIN GAYE STEVIE WONDER は必死に会社と戦い自由な表現を勝ち取るコトが出来た。
●しかし、JACKSON 兄弟は?彼らはまだ小僧なのでした。でもさ、自由な表現だけじゃないよ、ギャラも結構ボラレてるよ?コレどうにかなんないだろうか?すったもんだあったあげく、1976年とうとうグループは MOTOWN を離れることにした。移籍先は CBS だ。しかし困ったことに、MOTOWN の社長 BERRY GORDY JR. の娘さんとリードシンガーの片割れ JERMAINE は結婚しちゃってたのよね。さすがに義理の父親をムゲに出来ず JERMAINE 兄さんはグループ脱退& MOTOWN にソロとして残るコトに。あげく MOTOWN 「THE JACKSON FIVE」という名前は使わせないと主張。移籍したグループは「THE JACKSONS」と名前を変えなくてはならなかった。補充メンバーはマイケルの弟 RANDY
CBSGAMBLE & HUFF という黄金プロデューサーチームをあてがい、新生 THE JACKSONS を始動させるが、マイケルはこの騒動にかなりゲンナリするものがあったらしい。快活な少年は、この時期を境に極端に内気な青年に変わってしまった。「カカシ」役で映画に出て QUINCY JONES と出会ったのはそんな頃だった。

JACKSONS「VICTORY」

JACKSONS「VICTORY」1984年
●70年代まではなんとか機能してた THE JACKSONS だが、マイケル「OFF THE WALL」「THRILLER」の大成功で完全にバランスを崩し、80年代は全然活動ができなかった。そんで4年のブランクを経てやっとリリース出来たのがこのアルバム。細かいようだが「THE」が取れたみたい。
ジャケに登場するのは6人のオトコ。アレ? THE JACKSON FIVE なんだから五人組じゃないの?移籍騒動で袂を分かった JERMAINE 兄さんが晴れて MOTOWN から足抜け出来て、再び兄弟が全員集合できたのだ。そういう意味でタイトルが「VICTORY」なのか?しかし、ソロとして立場を確立してたマイケル& JERMAINE はこのアルバムではあんまり登場しない。マイケルがリードを取るのはたったの3曲だよ!結果としてこのアルバムはあまりオモシロくない…。フツウの80年代R&Bだわな…。珍しいトコロは、「STATE OF SHOCK」という80年代風ファンクでマイケル MICK JAGGER のデュエットが聴けるというポイント?でも基本的にマイケルはやる気なし状態で、このアルバムリリース後に彼はグループを脱退してしまう。グループ自体も1989年に解散。末のイモウト JANET「RHYTHM NATION 1814」1989年で大ブレイクするのと入れ替わるように、アニキたちは音楽業界から消えて行った。

JANET JACKSON「RHYTHM NATION 1814」(JANET JACKSON「1814 RHYTHM NATION」1989年)



●馬の目を抜くような弱肉強食の音楽業界に少年時代からドップリ浸かり、ソレ以外の世界を知らずに育った少年は、世界に対して極端なほど臆病な大人に育ち、その商業的大成功がより彼を孤独にしてしまった。才能にも十分恵まれたし、努力も目一杯したはずだ。なのに、真っ当な恋人も見つけられなかったし、子供に対する愛着も世間から非難された。……少年時代の彼に同い年の友人がいただろうか?どんなに大金を積んでも、遊園地を自分の家に作っても、彼は自分の少年時代を買い戻せなかった…。マイケルは、少しカワイソウな人だったと思います。R.I.P.

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