毎週土曜日のヨガ。
●ヨガは気持ちイイ。最近それが分かってきた。奇妙なポースを組んでストレッチするのが目的ではない。自分のカラダとその緊張を観察する行為だ。観察するのに都合のイイ姿勢を突き詰めたら、たまたま不思議なポーズになった、とボクは解釈してる。センセイは言う。「自分の中にあるカタさや緊張を、そのまま見つめてください、ソレに名前をつけたり、無理に伸ばしたりしようとしないで…」腕の筋肉がネジレていったり、脇の下の筋肉がぐーっと伸びたり、焼肉に喩えれば「ハラミ」にあたる横隔膜が呼吸に合わせて上下していたりを観察する。
チャクラは…あんまりよくワカランです。「丹田の第二チャクラを感じられますか?自分が感じること、感じないことを恐れないで…」センセイの言う通り、感じないなりにソレをスルーするコトにする。上手くイクと、確かに「熱」をヘソ下の辺りに感じることが出来るんだけど、今日はナンにもない。まあ、そんなで十分だろう。
●ボクらのクラスの後は、個人レッスンの時間になってるらしい。ボクが「失礼しまーす」とスタジオを退出する時に、その個人レッスンを受けている人と玄関でスレ違った。あ、この人は…ドキ!とある女優さんでした。演技派のベテラン女優さん。ある映画の中で、この女優さんが広い砂浜で不思議な体操をするのを見たことがある。あの柔らかく洗練された身のこなしは、ヨガなどで訓練された動きだったんだ……と納得してしまった。そんでヨガメイトの女性たちと、あの女優さんはこのご近所にお住まいなのかしら、とミーハーっぽく盛り上がってしまった。


そんで夕方。涼しくなった所でシモキタザワへ散歩に出る。
●お気に入りの古本屋で買物。一冊気になる画集がありまして。500円コーナーで叩き売り状態。値段は問題ないが、画集はデカクてかさばるんだよね。タダでさえモノが多いボクの部屋には置くバショがない。そんで買うのを躊躇してしまう。だから、そのうち誰かに買われてしまうだろうと思ってたんだけど、やっぱりその本の存在が気になってしょうがない。
●そんなこんなで、発見してから一ヶ月、毎週のようにチェックするんだけど、誰も興味がないようでずっと売れ残ってる。こんなに長い間夏の日光に晒されては本が傷んでしまう……さんざん迷って、結局ボクが買うことにした。デカすぎてフクロにも入らないほど。娘ヒヨコと大きさを比べるべく、この大判のホンを持たせて写真を撮影しました。

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「現代日本美術全集7 青木繁/藤島武二」
●初版が1972年でボクが生まれる一年前の本。現代美術とはいいつつ、明治~大正時代、近代日本の芸術家を取り上げてるシリーズみたい。岸田劉生とか黒田清輝とか横山大観とかを取り上げてる。ボクは、この青木繁という人が以前から好きで(以前もこのブログ紹介しました)で、それが気になって買っちゃったわけです。以前ブログで取り上げた時は、ネットでこの人の生き様について調べたんだけど、より詳しいハナシがこのホンに解説されてて実に勉強になった。


青木繁。1882~1911年


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(「男の顔」1903年/東京美術学校時代の青木とその仲間たち)

青木繁は夭折の天才だ。22歳で画壇に鮮烈なデビューを飾るも、あまりにヒップスターすぎたのか世間の評価との乖離に苦しみ、放浪の末に29歳でこの世を去る。あまりにロマンチックでボヘミアンな人生を送ったオトコだ。ボクは作品から彼の魅力に引き込まれたのだが、今は生き方も引っ括めて惚れ込んでしまった。
「男の顔」青木 21歳の時の作品。ある意味で自画像的な作品といわれている。聖書にでも登場するような古代アジア人の風体をしているが、不遜なくらいにブットいマユゲとクチヒゲ、高いバショへ視線を向ける赤い顔は、自分の才能に無限の可能性を信じている勇敢な若者を象徴しているよう。18歳の時に、東京芸術大学の前身、東京美術学校に九州から上京して入学。写真は、その当時の仲間たちと撮ったモノで、中列センターで首を左に傾けた男が青木明治30年代のヒップスターはこんな連中で、それぞれが自意識過剰すぎるポーズをしてて微笑ましい。
●20歳前後の青木は、既に異色キャラで仲間内から一目を受ける存在だった。モデル台に飛び乗って詩の朗読を始めたり、カネもろくにないのに信州旅行に出て島崎藤村と会ったり、図書館に入り浸ってロマン主義な資質をグングン育てたりした。家業は傾きつつあったので仕送りは途絶えがち、ボロボロの服をまとって友達の家を点々と巡るボヘミアンとなり、他人の画材をパクっても悪びれるコトのナイダメ人間になった。
東京美術学校入学前から関わっていたアートサークル「不同舎」で、カワイイ女の子をひっかけた。栃木出身のお嬢様、福田たね。このコが青木の女性観に大きく影響を及ぼした。彼の描く女性には彼女の面影が宿る瞬間がある。意思の強い瞳がコッチを見つめている。太くてタップリとした黒髪は少しクセ毛気味で、それが強い生命力を感じさせる。関係が疎くなった晩年でも彼女を連想させる女性を、青木は描くのである。どんな破天荒なボヘミアンでも、その人生に焼き付いて忘れられない女性、恋愛ってモノがあるらしい。この意味でも彼はロマン主義を地でいく人間だったのかも。


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(「女の顔」1904年、たねと出会った翌年の作品。/「温泉」1910年、青木の死の前年の作品。)

●学校を卒業した後の青木は、その22歳の夏に友達と彼女を連れて、房総半島を旅して遊びまくる。海で泳ぎまくり、新鮮なサカナを食いまくる。そして行く先々で多くの絵を描く。この経験を題材にして描いた「海の幸」が展覧会で大きな反響を呼んで彼はブレイクした。


青木繁 海の幸

●ほとんどハダカの漁民たちが、モリで仕留めた大きなサメを担いで村に帰ってきた。男の身長を上回る大ザメを幾匹も仕留めた漁は壮絶なモノであったにちがいない。しかし、そんな勝利に浮かれることもなく、潮風と強い日光に痛めつけられた男たちのシワクチャな顔は無表情で、そこにはスゴミのある野蛮が無口に、しかし大きな存在感でそそり立っている。なんてカッコいい絵だろう。男たちの顔をよく見ると、ほとんどゾンビのような不気味ささえ漂っているのだけれども、タダ1人、絵の中からコチラを見つめている人物がいる。他の漁師とは違って肌もまだ白いこの人物は、経験の浅い少年なのだろうか? そしてココにも青木の愛人、たねちゃんの面影が宿っているようにも思えるのだ。


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(「海の幸」1904年。青木、22歳の作品。その部分。)

●しかし、若き天才の華々しいデビューは周囲の反感を買い、青木のアウトローな性格も手伝って、画壇の中で彼はどんどん孤立していく。画壇で有名になっても金銭的成功は全然リンクしないので、生活は相変わらずスカンピン状態。しかし高いプライドが邪魔してせっかくの収入もスグに散財してしまう。オマケに彼女のたねちゃんが妊娠。八方塞がりになっていく状況に、完全アートモードの天才は精神のバランスを崩していく。たねちゃんの実家にお世話になった頃は、生まれた子供の愛くるしい肖像を描いたりと、ピースな気配を見せるが、「古事記」の伝説をテーマにした渾身の自信作「わだつみのいろこの宮」1907年が思ったほどの評価を得られないと、もはや再起不能になってしまう。死ぬほど悔しがったらしい。その審査への不平を雑誌に寄稿してしまうほどだから。アウトローだねえ。
●この年25歳の時、父親が死んで実家の経済状態が破綻。長男としての責任がのしかかる。もうダメだ。実家に帰るも画では食っていけない。芸術を理解しない九州の田舎では、彼は口先だけの山師に見えたらしい。とうとう一家は離散して、青木は放浪の旅に出る。1908年、26歳のことだ。
●九州各地に住む友人を頼って転々とする生活。時には友人が画会を開いてくれてオカネを得たりしていたが、ムチャな生活が彼の健康を破壊する。1910年にはもはや制作もできなくなって、福岡の病院に入院。1911年、29歳で死去。彼が画家として同時代に注目されていたのは、実質で22歳から25歳の三年間だけだ。都落ちしても制作は続けたが、もはや東京のアートシーンの関心を集めるコトはできなかった。父の死で実家に戻ってからは、愛人・たねちゃんと青木が会った気配はない。会わす顔もないのか? 愛すべき女性と息子を遠くに遺して死ぬなんて、どんな気分だったろうか?


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(「日本武尊」1906年。青木、24歳の作品。)

●ボクが彼の作品で特に好きなモノがコレ。この頃の青木は「古事記」の神話をテーマにとって作品つくりをしていた。22歳でブレイクしつつも生活を成り立たせられなかった時期、彼はもう一発のヒットが欲しくて焦っていた。24歳でそこまで追いつめられるのはキツい。現代の24歳なんてナニも出来ないコドモも同然なのに。そして結局、この翌年には彼は都落ちを強いられる。明治30年代のハイアート界なんて、首府・東京にいなければリンク不能だったハズ。
ヤマトタケルノミコトは、数々の冒険を乗り越えつつも最期は非業の死を遂げる、悲しいヒーローだ。色とりどりの曲玉に飾られた衣装と、左手に握るロングソード「草薙の剣」その立ち姿は力強く勇ましいが、陰が差す顔の表情はどこか悲壮感が漂っている。もうアトがない、という作者の危機感が色濃く反映されているようにも見える。



藤島武二。1867~1943年
青木繁とセットになって収録されてた作家。ボクとしては初耳の人物だった。実は青木とは正反対の人生を送った画家。明治維新の前年に生まれ、日本の西洋絵画の本流を形成した人間だ。アウトローどころか、アカデミズムの中心人物として、第二次大戦中の時代まで画壇に君臨、教育者として後進に大きな影響をもたらした。エリートコースにふさわしく、パリへの留学経験もある。
●彼の画は(特にこの画集に収録されているのは)、ヨーロッパ絵画のマネッコのような感じでイマイチ退屈だ。特に風景画にはナニも感じない。ただし、一部の女性を描いた絵だけには、シャレたコケティッシュな感覚がある。それだけが気になる。

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(「天平の面影」1902年/「蝶」1904年)

「天平時代」というテーマは青木繁も描いたが、藤島のアプローチはもうちょっと保守的。彼は若い頃に日本画を学んでいて、その後西洋画に転向したキャリアがある。
●その一方で、雑誌のイラストレーションなども手掛けていた。与謝野鉄幹&晶子というこれまた明治日本のビッグカップルが仕掛けた雑誌「明星」の表紙を数々担当。「蝶」のようなカラフルなデザイン感覚はそんな仕事に由来しているのか?オマケに藤島蝶オタクで、アトリエに大量の蝶の標本を揃え、たくさんの蝶の絵を描いている。

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(「芳惠」1926年/「うつつ」1913年)

●この二つはヨーロッパ留学の後の作品。「芳惠」は観て分かるように、ルネサンス時代の肖像画に着想を得ている。ルネサンスのアプローチでアジア的美学を表現したらどうなるかというテーマに取り組んでいるとのこと。モデルが着ているのは中国の伝統衣装で、彼は女性用の中華衣装を数十着も持っていた。コスプレ趣味もあるのかな?
「うつつ」は留学から帰国して初めて描いた日本人女性の絵画。たくさんの外国人女性も彼は描いているが、この「うつつ」にあるような奇妙な湿り気を感じることはできない。ボクにとっちゃ好みでもナンでもないこの女性が、藤島作品の中じゃイチバンリアルに感じる。

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