OASIS から重要発表だって。

A STATEMENT FROM NOEL
''IT'S WITH SOME SADNESS AND GREAT RELIEF TO TELL YOU THAT I QUIT OASIS TONIGHT. PEOPLE WILL WRITE AND SAY WHAT THEY LIKE, I SIMPLY COULD NOT GO ON WORKING WITH LIAM A DAY LONGER.


ノエルからの声明:「こんなコトを言うのは非常に悲しくとてもツライんだが、今夜、オレは OASIS を脱退することにした。様々な連中が好きなコトを書いたり言ったりするだろうが、単純にもうオレは一日だってリアムと仕事を続けられなくなったまでだ。」


ギャラガー兄弟2ショット

●ああ、兄弟ゲンカをまた始めました。懲りない2人。




自律神経失調症とのお付き合い(その106)~「行方不明だった後輩 S と再会」編
●職場復帰を果たし、仕事をチョコチョコしているボクは、今も月に二回だけ、会社診療所で心理カウンセリングを受けている。といってもカウンセラーのセンセイと約15分ほどのトークをするって程度です。
●…主治医の診察でクスリを変えました…仕事はココで失敗しました、ココでうまく行きました…何時に寝て何時に起きてます…ワイフとコドモが海外旅行に行っちゃいました…そんな内容。
●そんでコレは今んトコロボクの義務。ココでチェックされるコンディションでもって、ボクに課せられてる「制限勤務」のルールが動かされる。現在の身分は、残業禁止、休日出勤禁止、出張禁止。勤務形態も本来の「裁量労働制度」ではなく「フレックス勤務制度」になっており、自分の自由な裁量で勤務時間をマネジメントできない。…実際ボクは、個人的にも大好きな旅行やライブや、友人の結婚式に行くことも出来ない。結局、復職以降、実はこの「制限勤務」についてはナンの進展もない。

そんな中途半端なボクが、現在センセイにお願いしているのは、デスクの場所についての懸案だ。
●ボクの部署のスタッフルームは本社ビルの6階にある。業務のほとんどがココで行われる。しかし、ボクの今のデスクは、ボクの部署のエラい人たちのデスクが集まってる29階にある。仕事は6階、でもデスクは29階。実に不便だ。メールチェックするにもわざわざ29階に登り、そして6階での業務に戻る。
●しかし、コレには理由がある。医者の立場では、ボクがビョウキを再発させるのが一番ヤバいと考えている。実際、再発ケースは少なくない。クセになってる人は出たり休んだりを無限ループのように繰り返している。ボクの場合、死ぬほどのワーカホリック体質が原因で体調を崩したので、職場に戻った瞬間に再び暴走を始める恐れが高い。だから、エラい上司のソバに座らせていつでも観察出来るようにするコト、そして業務の最前線から距離を置かせるコトが重要だと考えられたらしい。だから、こんなメンドクサイデスク配置になる。
●当然、ボク個人にしてみれば不便極まりない。ウチの会社は勤務表入力や雑費精算も全てオンラインなのだが、端末が29階なのでチマチマチマチマ毎日毎日エレベーターで移動を強いられる。そこで7月頃から「もうバカなことしませんから、6階にデスクを下ろしてください!」とお願いしているのだ。でもセンセイはヌルい態度。「うーん、もう一回だけ様子見させて」コレがもう三回目だよ。なんとかしてくれよ。

●まあ、そんなコトは全然どうでもよくて。

●そんな面談のために診療所を訪れ、ロビーのソファに座ろうと思ったら、あっ!とても意外な人物にあった。ボクの後輩でやはりビョウキに倒れた S がいたのだ。「おー!久しぶり!」
●後輩 S は、彼女が新入社員の時からボクが面倒を見ていた子だ。大きな目と長いまつげの持ち主で、本来は結構カワイい子なはずだけど、ボーイッシュに髪を刈り込んでボサボサにしたままなのでそう見えない。大阪の美大系のガッコウを出てウチの会社にやってきたが、実に変人で「コミケに行きたいのでこの週末はどんな仕事もしません」とか平気でボクに言って来る。二次元ラブラブを自認し、ボクの理解出来ないゲームのキャラクターの名前を挙げて「アタシあの人と結婚したいんです!」と真顔で言う。疲れると床に寝っ転がって眠る。高熱を出しているのに「ヤダ!医者はコワい!」と言って絶対に病院に行かない(一度、子供のように逃げようとする彼女の手を無理矢理引っ張って診療所まで連れてったコトもある)。食生活が死ぬほどジャンクフード。あと、彼氏でもないオトコとシェアしてるアパートには彼女の PC が6台くらいあって、3DCG のレンダリングをセッセとさせてるらしい。……上司N女史は、ボクの変人に対する許容度が高いと踏んでこの子をあてがったに違いない。そんでコイツをなんとか社会化せよと暗に命じているのだ。
●そんな筋金入りの不思議ちゃん S がボクの部下になって2年目になった頃。ボクの健康が限界に達しとうとう休職に至った2007年7月の約一ヶ月後に、彼女はまるでボクのアトを追うようにビョウキになり休職してしまったのだ。明らかに調子を崩していた S は、心配する同僚が「今日はもう仕事ヤメなよ」というのも聞かず、クスリを1シート分一気飲みして、アワ吹いて倒れちゃったという。で、そのままドクターストップ。混乱している S は診療所のセンセイやナースさんがナニを話し掛けても「unimogroove さんはどうしたんですか?」の一点張りで、ずっとボクのことばかり尋ねていたと言う…。

そんな事実を、ボク自身が知ったのはそれから一年くらい経ってからだった。敢えてナイショにされてたのだ。ボク「キミが倒れたってコトはボク全然知らなかったんだよ」S「ハイ、それは uimogroove さんには言わないことにしようってなってたんです」ああそうだったの……。実際にソレを知らされた瞬間はサスガにショックを受けた…ボクが倒れなかったらアイツも倒れなかったのではないか……罪悪感にかられて吐き気さえ催したほど。確かにこのニュースをリアルタイムに聞いてたら、ボクはさらに回復が遅れてたと思う。そのくらいショック。
●しかもその後、彼女は携帯の番号も変え、引越もして完全に消息を絶ってしまった。仲が良かったはずの女性スタッフたちも連絡のスベがない。最後にデンワが繋がった時「アナタはどなたですか?」と暗い声で返された同僚の子は、その不気味さに「もう手に負えない」と感じたそうだ。
●その後、風の噂レベルで、ボクが通った横浜の精神病院でリハビリを始めた…そんでドロップアウトした…なんてハナシが聞こえてた…。もうボクは彼女に会えないだろう。そう思ってた。

その S が会社に来ている!
●…おお、会社に来ているんだね?「ええ、ゲンキな時は」そっか…それはよかった。ボクはね、今はなんとか元の部署に戻って、ユルい仕事をしているよ。前より楽な仕事を回してもらってる。そうそう、キミと仲が良かったユキちゃんと一緒の班だな。「へーそうなんですか!」彼女は明るくうなづく。そう、フツウの彼女はアッケラカンと明るく、高くてよく通る声でしゃべり笑う。その声だけ聞けばビョウキだなんて気付かないだろう。
●久しぶりの彼女は、真っ黒い髪を少し伸ばして、首にかからない程度のボブにしていた。マユゲやマツゲに丁寧なメイクを施して、大きな猫目がさらに大きくなり、中島美嘉演じるナナみたいになってた。黒いレザージャケットに大きく胸の開いた白いシャツ、スキニーなブラックデニムと、エンジ色のヒールを履いていた。手っ取り早く言って、完璧にゴスだ。外見に頓着しない子と思ってたが、キチンとした身なりをしようと思えば彼女はキチンとした美学に基づいてキレイになれると知った。
……ただ、痛々しいほど痩せてるんですよ…。頬はこけて、スキニーなはずのパンツは全然スキニーにはなってなく、シャツの胸の部分は、スコスコにスキマが空いてしまってる。正直、ヨガ教室で見せられる人体骨格図を連想してしまった。骨が人体としてどう繋がってるのか、服の上からでもよく見えてしまう。
●…ああ……こりゃ痛んでいるな……うーんダメダメ、仕事の話題は避けよう…彼女がどのリハビリ段階にいるか全然分からないが、職場の仲間の近況などを楽しめるだろうか?むしろ害になるかもしれない…。しかし、どの話題が無難なのか皆目見当がつかない。「激やせしたよねー」言えねーよ、そんなコト!

ビョウキの人間の相手をするというのはこういう感覚なのか?ボク自身もビョウキの当事者だが、ボクの周辺はボクに対してスゴく気を遣ってくれてたのかもしれない、今ボクが感じている不安に戸惑いながら。ビョウキの知識がナイとしたら本来近寄りたくもないだろう、ボチボチの経験を持つボクですら目前の後輩 S にこんだけビビってるんだから。ああ、職場の皆さん、ボクに気を遣ってくれてホントにどうもありがとう!

●そんな戸惑いを気取られないように、速やかに話題をスライドした。
●彼女はヘッドホンを首から下げてた。ボクはそれを指差し質問する。あー、ナニ聴いてたの?…なんとなく趣味の話題なら無難に会話出来るんじゃないのかな…そんな結論。

●そしたら予想外の渋い答えが。「えと、ルースターズです」ルースターズ!?あの80年代のルースターズ「そうです」あービックリだねー(マジで)!けどさ、キミ全然リアルタイムじゃないじゃん。キミまだ25歳程度でしょ?「そうですけど、昔に遡って聴いてるんです」大江慎也さんの時代?「そうです。Z じゃなくて S のルースターズです」よく知ってんなあ…大江さんが機能していた時代は THE ROOSTERS と表記してたけど、大江さんがビョウキになる頃に THE ROOSTERZ と改称するのだ。
●キミそんな趣味があったの?早く言ってよ!オモロいトークがもっと前から出来たじゃないか。「unimogroove さんは洋楽好きだと思ってたから」ああ、確かにジェイポップは仕事の延長で聴いてたりもしてたけど、もうドッチが好きかキライかなんて分かんなくなっちゃった。他にどんなの聴くの?「シナロケも好きです!」なにソレ?めんたいロックってコト?じゃあロッカーズも?「好きです!」へー、日本の初期パンクみたいなのが好きなんだ…じゃあ、フリクションとかは?「うーん…でもミチロウさんは好きです。今度ライブ行きます!」スターリンかよ!今は弾き語り?「なんか3人でバンド組んでますよ。シモキタの BASEMENT BAR に行こうと思うんです!」おいおい、夜遊びするなよ!下手すりゃオールになっちゃうじゃないか。
●ボクはライブはもうダメだよ。足が弱ってて、立ってられない。映画や芝居は座ってられるから大丈夫なんだけど。「ワタシはイスに座る方がキツいです…オシリがイタい」…彼女のガリガリの骨盤が頭の中にイメージ出来てしまった…このトーク、ココで終了しよう。

おせっかい大魔王・看護師「のび太くんのママ」さんのコメント。
●このブログでは久しぶりの登場である「のび太くんのママ」さん。ボクは一度ケンカをしたが、それからは適当な距離をお互いに保って良好なカンケイを作っている。この人が言う。「Sさんは今、イイ状態みたいなのよ。彼女、今日カワイいでしょ?身なりにキチンと気を回せるココロの余裕が出てるのよね」ゆっくり時間かけて、しっかり自分のペースを取り戻して欲しい、とボクは思う。そんで、またこうやってマニアックなトークができるといいな、と思う。

●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-557.html



●で、そんな今日のBGM。
S が日本のオリジナルパンクを聴くなら、ボクは日本の80'S ニューウェーブ関連を聴く。


PHNONPENH MODEL「MELTING HIGH」

PHNONPENH MODEL「MELTING HIGH / BERLN ~ PARIS ~ TOKYO」1999年
●80年代初頭当時、テクノポップ御三家として名を馳せてたのが、巻上公一さんのヒカシュー、立花ハジメさんの PLASTICS、平沢進さんの P-MODELでした。P-MODEL平沢進のオリエンタルなリリック/節回しを打ち込みビートで構築するスタイルで名を馳せ、独自機材を開発するなどユニークな活動を行ったバンドだった。「テクノポップ」の名にふさわしく、テクノロジーと音楽コンテンツの融合発展に、実に意識的だった。でも88年に一度解散。1991年から再結成 P-MODEL が始動するも1993年にまた活動停止。
●この90年代 P-MODEL に所属してたキーボーディスト・ことぶき光という人物が1998年に結成したのが、この PHNONPENH MODEL なのでした。つまりだ、このユニットは平沢進が全然関与してない、P-MODEL とは別物ってこと。レコ屋で見つけた時は、「へー、P-MODEL の P はプノンペンという意味だったんだ」と納得したつもりだったのに、カンケイないらしい。
●そんでですね、内容はといえば、1999年という時代の気分を吸って、躁状態剥き出しのインダストリアルビートになってます。神経質に跳ね回るドラムンベース風高速ブレイクとプロディジー風のヤケクソな絶叫が、ドイツ/フランス/日本の三ヵ国のライブ会場をまたいでヤカマシく響いています。…正直、一種の知的洗練を感じさせる平沢進さんの作風とは全然違う、もっとカオティックなエネルギーの暴発になってます。
●さて、平沢進は現在どうなったかというと、ソロ活動でサントラを手掛けたり、完全オレユニットになった「核P-MODEL」という名義で活動している。アニメ映画「パプリカ」のエンドテーマ「白虎野の娘」はとてもイイ楽曲だ。彼のオフィシャルサイトでフル視聴できますので、オススメします。


プラスチックス

PLASTICS「PLASTICS」1981年
●このプラスチックスは、真っ当にホンモノです。日本では「WELCOME BACK」というタイトルでリリースされてたヤツの米国盤で、800円の割引セール、400円くらいでゲットしました。YELLOW MAGIC ORCHESTRA が海外でバカ受けするような当時の気分を受けて、この連中もアメリカ進出。B-52'S TALKING HEADS など一流のニューウェーブバンドとツアー共演するなど華々しい活躍をしていた。
●ただし、厳密なテクノポップと言われてるワリには、意外と真っ当にバンドサウンドでドラムマシーンを採用しているコト以上にはテクノっぽいことはないんです……ただ、ボーカル佐藤チカのスットンキョウで甲高いウラ声にすぐヒックリ返るブチ切れ痙攣唱法は、キッチュなデタラメ英語の羅列で意味が全然ない。その意味では確かに折り目正しくニューウェーブだなーとは思った。
●活動期間は短くて、キチンと機能してたのは1979~1981年程度。その後のメンバーの動向も興味深い。基本的にはノーミュージシャンだった素人組と、ミュージシャンのキャリアを持ってたプロ組に分かれてた。バンドの気分を作ってた立花ハジメは、本職/デザイナーで、解散後はしばらくデザイン業に徹していた。ボーカル佐藤チカとギターボーカル中西俊夫は新バンド MELON を結成し、伝説のクラブ・ピテカントロプスで演奏活動を始める。その後中西はココで得たピテカン人脈を駆使して日本初のクラブミュージック/ヒップホップ専門レーベル MAJOR FORCE を立ち上げるのだ。
●プロ組は、あの佐久間正英だ。70年代は和製プログレッシヴバンド四人囃子でベースを担当するなど超技巧派。プラスチックス以降は敏腕プロデューサーとして、BOOWY、GLAY、JUDY AND MARY、THE BLUE HEARTS など、80~90年代の重要ロックバンドを育てる。プロ中のプロだね。
●片方は日本のアンダーグラウンドクラブシーンの先駆となり、もう片方は日本のメジャーシーン/ジェイポップの裏方役として君臨することになる。PLASTICS はその短い輝きだけでなく、その後20年以上先の音楽シーンにまで影響を与える人材を輩出したことにホントの意味があるのかも知れない。


MAJOR FORCE RARE TRACKS [1]
VARIOUS ARTISTS「MAJOR FORCE RARE TRACKS」1988~1991年
PLASTICS 以後の中西俊夫は、前述通り、佐藤チカとともに MELON を結成。ニューウェーヴファンクを狙ったサウンドは、その後このバンドに屋敷豪太、プリンス工藤(工藤昌之、K.U.D.O.)が加入してエレクトロヒップホップに変貌する。それが1983年頃。この時代のヒップホップと言えば、まだ RUN D.M.C. がファーストアルバムを出してない段階ですわ。ちょうど HERBIE HANCOCK「ROCK IT」の時期、目の付けドコロがかなり早い。拠点としたクラブ・ピテカントロプス・エレクトス(北京原人の意)は桑原茂一(クラブキング)が開いたハコで、80年代サブカルチャーの重要発信基地になる。
MELON 解散が1988年。そしてこの年に中西はクラブミュージック/ヒップホップ専門レーベル MAJOR FORCE を立ち上げる。盟友は、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太、工藤昌之。高木完&藤原ヒロシタイニーパンクスというユニットとしていとうせいこうとともに日本最初期のヒップホップアルバム「建設的」1986年を発表していた頃。この5人が様々な名義を駆使して新型ビートを制作する。中西がこの時代に名乗っていた名前は TYCOON TO$H。その他、SEXY T.K.O.、LOVE T.K.O. や T.P.O. といったユニットが音源をココからリリースする。
●このアルバムに収録されているのは、12インチでの流通がメインだった MAJOR FORCE 音源をCD化した1991年の2枚のアルバムをまとめたモノで、ほぼ全てがインストトラック。今の感覚から言えば、厳密なヒップホップというよりは、アブストラクトな香りが強く、時にダブの味やアシッドジャズの影響が読み取れる。スチャダラパー最初期の名曲「N.I.C.E. GUY」のインストトラックが収録されてたりしてて、マジで日本のヒップホップのルーツの一端がココから出発しているんだなと思い知るのでした。
●1992年、中西はロンドンへ移住、JAMES LAVELLE のレーベル MO' WAX の中に MAJOR FORCE WEST を設立。日本のニューウェーブは PLASTICS でアメリカに到達し、MAJOR FORCE でイギリスに到達することになった。


地球的病気-We are the d.e.p-jpg

The d.e.p「地球的病気 - We are the d.e.p -」2001年
佐久間正英がリーダーとして編成したスーパーバンド。ギター/土屋昌巳(ex. 一風堂)、ベース/MICK KARN(ex. JAPAN)、ドラム/屋敷豪太(ex. MUTE BEAT、MELON、SIMPLY RED)という強力な布陣に、ボーカルは VIVIAN HSU(ヴィヴィアン・スー)を招く。
ヴィヴィアンの日本でのキャリアといえば、ツタない日本語でバラエティを賑わすアイドルちゃんというイメージばかりで、音楽と言えばキャイ~ンと組んだ番組発企画ユニット・ブラックビスケッツ程度しか知らない(いや、カワイ子ちゃんだと思うしむしろそういう意味では好きですよ、ブラックビスケッツのシングルも持ってるし)。佐久間自身もその程度の認識だったらしいが、彼女の故郷・台湾での音源を聴いてその実力に感心。実際、彼女がこのアルバムで披露する、英語/日本語/北京語にまたがるリリックと、甘いウィスパーボーカルはシリアスでカッコいい。実は彼女、広東語や韓国語、そして台湾語もしゃべれる汎アジア的パーソナリティなのだ。
土屋昌巳 DURAN DURAN の分裂ユニット ARCADIA のアルバムに参加し、JAPAN のツアーにも参加してる。MICK はズバリ日本人じゃないし、屋敷豪太 SOUL II SOUL や SIMPLY RED など海外での演奏が高く評価されてる(MAJOR FORCE 以後のキャリアだね)。ということで、このバンド、スゴくインターナショナル。ただし、佐久間屋敷らとの交流は、やはり80年代のピテカン時代に生まれたモノで、中西俊夫同様、あの時代の空気がその後のクリエイティブに反映されているコトは間違いない。このCDのライナーには佐久間桑原茂一の対談が収録されてるほどだし。
●テクニックの点では超技巧派/個性派のメンバーだが、やってる音楽はそんなに難解なモンじゃなくてちゃんとポップス。よーく聴くとヒネクレた技が仕込んであるけど。後、やっぱヴィヴィアンの中国語ボーカルがいいな。


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