ノマドはここ最近、クリスマスに向けて悪ダクミをしてます。
「サンタさんに、かくしカメラをしこんでやる。正体をみやぶってやる!」ノマドはイブの夜にビデオカメラを回して一部始終を撮影したいと考えているのです。おいおいノマド、そんなコト言って、ノマドの所にサンタさんが来なかったらどうするんだ?サンタさんは世界中の子供たちがナニを欲しがってるかわかるんだよ。ノマドが今言ってるコトもゼンブ聞いてるかも知れないんだぞ。サンタさんが悪ダクミを見抜いて、ウチだけ来なかったらどうするんだ?ヒヨコあわてて叫ぶ。「ヒヨコはナニもいってないよ!ノマドだけだよ!」ノマドだけプレゼントがジャガイモになってるかも。「なんでジャガイモなんだよ!?」サンタさんは悪い子にはジャガイモしかよこさないのさ。「オレいいもん、そのジャガイモをおいしく食べるね」よし分かった。パパはアトは知らんぞ。「ヒヨコはナニもいってないよ!ノマドだけだよ!」
●ノマド、この計画をコトバに出すのは危険と思ったらしく、紙とエンピツで詳細をメモる事にした。今度は1人モクモクと紙に文字を書き付けている。ソコにもうヒトコトボクがコメント。ノマドいいのか?紙に計画を書いちゃったら、もう動かぬ証拠が残ったというコトだぞ。今のオハナシをサンタさんが聞かなかったとしても、その紙をサンタさんが見たらオシマイだぞ。「ヘイキだね!」強がるノマド、そのくせしてメモを小さく折り畳んで、あわてて追加で書き込んだ。「サンタクロースは読むな!ひみつ!」そしてコドモ部屋に走っていった。「オレのマクラの下にかくしたからもうダイジョウブ!コレでサンタさんには見られない」
●先日もドコにカメラを置いたらうまく撮影できるか研究してるようだった…。そして1人こうつぶやいた。「サンタのナゾをといたら、きっとノーベル賞モンだぜ!」


ヒヨコの読書。「ぞくぞく村のおばけシリーズ」。

ぞくぞく村のミイラのラムさん

「ぞくぞく村のミイラのラムさん」
●ヒヨコ小学1年生のマイブームは、学校の図書室にある「ぞくぞく村のおばけシリーズ」。人間に見えないぞくぞく村には愉快なおばけの社会があるという。「きゅうけつきなのにイレバの人だとか、ときどきブタになっちゃうオオカミ男が住んでるの」ボクも楽しく読ませてもらいました。寒がりの透明人間は、いっつも厚着してて結局透明になれないとか。その奥さんは村一の美人さんらしいが、誰もソレを証明出来ないし反論もできないとか。ミイラのラムさんは風呂に入る度に一時間かけて包帯を外し、一時間かけてまた包帯を巻く。そんなハナシ。
●最初はヒヨコ一人が静かに楽しんでたのに、いつの間にか友達たちがつられて読むようになってしまい、結果ヒヨコのクラスでは「ぞくぞく村」が大流行中。図らずもトレンドセッターになってしまったヒヨコでした。



今日聴いているのは「ファンカラティーナ」と呼ばれたスタイルの音楽。
●つーか。コレ死語じゃね? 誰も知らないか、誰もが忘れたコトバじゃないでしょうか? 00年代も終わろう時に、誰が注目するでしょうか?こんなコトバに引っかかる自分がホントアホに思えてブルーになる。ボクより若い世代には意味不明だと思うし、年上のロックリスナーの人には価値のナイジャンルに思えると思う(あー言われてみればそんなのもあったっけなー的な?)。そしてかく言うボクですら全然リアルタイムではない。しかし敢えてコレにトライする。
「ファンカラティーナ」といえば、やっぱ「FUNK-A-LATINA」って綴るんだろう。80年代のイギリスで生まれた、ファンクやラテン音楽を取り入れたポップスやロックを指すコトバのはず。WIKIPEDIA ですら出てこなかったけどさ。

なんで「ファンカラティーナ」か?その時代的位置づけ。
●イギリスにはモッズ的な美学がある。でボクはモッズを黒人音楽に対する敬意と愛情の美学だと思うのですよ。そんで、白人としてのアイデンティティとロックミュージックに、異文化としての黒人音楽をハイブリットさせることでイギリスのシーンは活性化してきた。これがボクの音楽史観ね。
●ご存知の通り、モッズは60年代のユースカルチャー。70年代に入るとモッズブルースロックに移行しました。THE SMALL FACESSTEVE MARRIOTTHUMBLE PIE 始めたみたいな。…転じて、90年代のアシッドジャズ。それ以降にドラムンペース/トリップホップ/UK ソウルといった英国産ブラックミュージックが続きます。
●あれ、じゃあ、80年代にはナニが起こってたの?…その空白を埋めるのが「ファンカラティーナ」だとボクは思った。だからソコを掘り進めるのです。

●一応以前にこんな記事も書いたんでご参考に。ここで取り上げた音楽もきっとしっかり「ファンカラティーナ」だと思う。CULTURE CLUB とか WHAM ! とか。
「1984年状況。MTV革命、英国の侵略、黒人&白人音楽の邂逅について。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20090810.html


●じゃあ今日の音源、行きますか。まずはギターポップでファンカラティーナ。

ORANGE JUICE「YOU CANT HIDE YOUR LOVE FOREVER」

ORANGE JUICE「YOU CAN'T HIDE YOUR LOVE FOREVER」1982年

ORANGE JUICE「RIP IT UP」

ORANGE JUICE「RIP IT UP」1982年

ORANGE JUICE「THE ORANGE JUICE」

ORANGE JUICE「THE ORANGE JUICE」1984年
ファンカラティーナって言いながら、このバンドはパッと見ファンクでもラテンでもない。フツウにギターポップだ。グラスゴーに連綿と続くインディギタポシーンの系譜だ。初めての音源は POSTCARD RECORDS からリリースしてる。リーダーの EDWIN COLLINS は声が THE SMITHS MORRISSEY を連想させるし、髪型もオデコを見せるヘンテコなリーゼント風。ギターもリリカルでシンプル。
●でもね、実はしっかりベースがうねってるんです。時々差し込まれるホーンにファンキーさが宿ってるのです。オマケにセカンドアルバムからは、アフリカ・ジンバブエ出身の黒人ドラマーが加入。その黒さは気になり出したらもう無視できないモノになるのです。聴き流せばそれまでだけど、実はリズムがアナドレナイ。
●ヒットシングル「RIP IT UP」は、ファンクなカッティングギターにブンブン唸るベース(ROLAND TB-303 を使ってる!)が実に強烈なアクセントになってる。あくまでポップスとしてチャーミングなメロディがあり、ブラックミュージックとは言えないんだけど、ホンノリシッカリ黒い。ディスコの疾走感を持つ曲もあったりするし、前述の黒人ドラマーさんがボーカル取ったりしちゃう。アフリカ人独特(アフロアメリカンじゃなくてね)の塩辛さが薄く乗った声にシビレマス。セカンドは名譜だね。
●1985年にはバンドは解散。その後 EDWIN COLLINS はソロに転向。ボク個人のリアルタイムでは、1994年に HEAVENLY からリリースしたソロアルバムを聴いてた。位置づけは渋谷系、THE FLIPPER'S GUITAR みたいなギターポップのルーツ。その本質が独特の黒さにあるってのは、その時は気づかなかったな…。似た傾向のバンドとして、HAIRCUT 100 も挙げられるかも。
●あれ、たった今アマゾンでこのバンドを検索したら激高だぞ? ボクは400円程度で入手したのにな。


ファンカラティーナのラテン面を代表するユニット。

MATT BIANCO「THE BEST OF MATT BIANCO」

MATT BIANCO「THE BEST OF MATT BIANCO」1984~1990年
MATT BIANCOMARK REILLY という男が中心になってるユニットで、その80年代の活動を総括したのがこのベスト盤。打ち込みシンセ主体でバタ臭いラテンビートを叩き出す連中の音楽は、ファンカラティーナのラテン側面が一番強調されてる物件と思う。
●正直、88年頃の音は中途半端な積年劣化で、90年代以降のダンス耳に出来てるボクにはダサく聴こえる。むしろ84年の音楽の方がウラに入って楽しい。古いジャズボーカルのスタイルや、キッチュなスパイ映画のサントラみたいな気分を、チープなシンセで無理矢理デザインしてる。コレが耳に新鮮。ラテンを軸足にジャンル横断的なアプローチを軽やかにやってる。よし、コイツらのファーストアルバムを探すぞ。
MATT BIANCO「ANOTHER TIME - ANOTHER PLACE」

●MATT BIANCO「ANOTHER TIME - ANOTHER PLACE」1993年
MATT BIANCO「WORLD GO ROUND」
●MATT BIANCO「WORLD GO ROUND」1998年
●80年代という時代に咲いた徒花とも見えるファンカラティーナですが、この人は例外的に音楽スタイルが全くブレない。90年代のコレらの音源でも、得意のラテン芸風一本押し。で今だにソレで活動し続けてる。MARK REILLY 自身がラティーノだって事実だけじゃ説明出来ない頑固さがあるね。 立派です。
「WORLD GO ROUND」は実は日本盤だけのリリースで本国では聴かれてない。日本じゃ時々CMソングにもなるのにね。他にもドイツ盤だけのリリースとか特殊な活動をしてる。イロイロな事情があるらしいな。

BASIA「LONDON WARSAW NEW YORK」

BASIA「LONDON WARSAW NEW YORK」1989年
●この美人さんは、MATT BIANCO にファーストアルバムの時だけ参加してたシンガーだ。本名は BASIA TRZETRZELEWSKA。スゲエ名字。全然発音の仕方がわからない。実はポーランドの出身なんだって。なるほど、だから「ロンドン/ワルシャワ/ニューヨーク」だ。
MATT BIANCO の初期音源で、元気のイイコーラスやチャーミングなボーカルを聴かせてくれてる彼女だが、1985年にはユニットを脱退。一緒に脱退したDANNY WHITE をプロデューサーにしてヒットさせたセカンドソロアルバムがコレ。MATT BIANCO ほどは振り切ってないけどアレンジのラテンテイストはかなり濃口、UK ブルーアイドソウルの気分も濃厚。元気印だった MATT 時代よりも少々落ち着いたテンションで、レンジの広い美声を聴かせてくれます。


ソウルとケルトと結合。マジかよこの食い合わせ。

KEVIN ROWLAND  DEXYS MIDNIGHT RUNNERS「TOO-RYE-AY」

KEVIN ROWLAND & DEXYS MIDNIGHT RUNNERS「TOO-RYE-AY」1982年
●一曲目のタイトルでビックリするのよ。「THE CELTIC SOUL BROTHERS」だもん。ケルトでソウルなブラザーってあり得るの?!一方はヨーロッパの辺境に住む不思議な民族、一方はアメリカに渡ったアフリカ人たち。食い合わせが悪そう!このムリヤリな折衷感覚は完全に80年代ニューウェーブだわ。ファンカラティーナかどうかは微妙でも、黒人音楽とのミクスチャーでブーストされた奇妙なロックと言えるはず。
●実際奇妙なギクシャク感が満載。ファンキーなホーンがブガブガ大ハシャギするのに、アイルランドの民族楽器フィドル(バイオリン)もキコキコすっごくウルサいんです。あークレジット見るとフルートやバンジョー、アコーディオンまでいるぞ。しかしそんなの構うもんかと違和感まき散らしてお祭り騒ぎはドカドカ続く。流浪の民ジプシーの気分すら連想させる。オマケにリーダー KEVIN ROWLAND の神経質なボーカルがコレマタ耳に引っかかる。イイもワルいも引っ括めてインパクトは強烈。
●このバンドの一番のヒット曲が、ココに収録されてる「COME ON EILEEN」。言わばこの曲だけの一発屋といっても過言じゃないかもね。そしてこの曲だけが、ギリギリスレスレでこの異文化凸凹合体を奇跡的成功でカッチリ組み上げてる。……でも、この曲以外のダメ合体も皆さんチェックしてみて下さい。好き嫌いを超えた次元で、ある意味での蛮勇に敬意すら感じるから。そんでイギリス人の黒人音楽への錯覚倒錯ぶりも透けて見える。重要史料ですよん。


モッズ発パンク経由、至ブリットポップそして王道の英国音楽へ。

THE STYLE COUNCIL「OUR FAVORITE SHOP」

THE STYLE COUNCIL「OUR FAVORITE SHOP」1985年
スタカン、そんで PAUL WELLER の音楽は十分にファンカラティーナ的とは思うんだけど、ハッキリ言ってそんな狭いククリでは捉えられないほど巨大な存在だ。ボクがこの文章で説明しようと考えてる、60年代から一貫して現在まで続く、イギリス人が抱く黒人音楽への敬意を完全に体現してる人物だから。
パンク革命の噴煙の中から衝撃的に登場した THE JAM は、ネオモッズのスタイルを打ち出し英国の伝統に敬意を表した。若きソングライター兼シンガー PAUL WELLER はパンク様式には収まらない黒人音楽への偏愛を、新バンド THE STYLE COUNCIL で華やかに開花させる。その後ソロとして迎えた90年代ではブリットポップの王者として後進から尊敬される存在に。そして現在も、ブレないモッズ魂を抱いてシーンに君臨する…。彼こそホンモノのモッズですよ。
●このアルバムは THE STYLE COUNCIL のセカンドで、一番の代表作かも。誰でも聴いた事のある「SHOUT TO THE TOP」を収録してるし。ロックをベースに、ジャズ、ソウル、ダンス、様々な様式の音楽を吸い上げ、優れた美学の下に統合されてる。そんでその美学こそモッズ。そして彼らの活躍がアシッドジャズを準備したんじゃないかとボクは本気で思ってる。日本の渋谷系すらもが深い影響下にあると思うよ。
●全然聴き飽きないアルバムだし、PAUL の奥さんになる黒人シンガーDEE C. LEE のメインボーカル曲などなど聴き所も多いけど、一点に絞るならやっぱ「INTERNATIONALISTS」だなあ。1985年の巨大イベント「LIVE AID」でこのバンドがパフォーマンスしたのがこの曲。高速疾走するビートに合わせ、鍵盤奏者 MICK TALBOT が自分のオルガンをブッ倒す勢いでバックンバックン揺すぶりながら演奏するシーンがメチャ印象的。歌詞も世界市民的で反人種差別的。「肌の色に惑わされない目を持ってるなら オレたち誰もが同じだってコトもわかるだろ オマエが望む権利は万人にも与えられるべきだ さあアトはオマエ次第 自由はなによりも大事だろ 誇りを持って立ち上がれ インターナショナリスト!」燃えるわ、ナニかがボクの中で。
●黒人女性シンガー DEE C. LEE についてチョッピリ豆知識。彼女は WHAM ! のバンドに加わることでキャリアを起こし、その後スタカン仕事に関わる。このバンドが消滅した後は、アシッドジャズ系のアーティストとコラボしながら、ソロ活動もしてる。彼女自身が、黒人音楽と80年代ファンカラティーナ、そして90年代を結ぶタテ糸になってるワケです。ちなみに PAUL WELLER との結婚生活は1988年から1994年まで。二人の子供を設けました。


こちらもスタカンと同じ傾向のバンド。そこにニューロマンティクス風味も。

THE BLOW MONKEYS「LIMPING FOR A GENERATION」

THE BLOW MONKEYS「LIMPING FOR A GENERATION」1984年
●ブラックスーツに身を包んだユニークなジャケ写が80年代ニューロマンティクスの気分を象徴してるけど、アナログ所有枚数3万というヴァイナルジャンキー/ソウルフリークのリーダー DR. ROBERT がそのR&B愛をふんだんに盛り込んだ UK ブルーアイドソウルになっております。
DR. ROBERT の声は甘く柔らかい。ジャケ写じゃワカンナいけどイケメンさんでもある。だから素朴にルックス先行のポップスとして聴こえるけど、アレンジに仕込まれたファンク風味はかなりのモンです。うねるベース、ねばるバスドラ、粋なホーン。モッズの魂がコッテリです。ホントに THE STYLE COUCIL と同じ感覚で聴ける。スローに決めれば怪しく爛れたジャズボーカルになるし、テンポアップすればラテンアレンジも出てくる。インド風味まで出てきてビックリ。引き出しの多さが際立つなあ。これでファーストアルバムなんだから立派なモンだ。発表当時は全然売れなかったらしいけど。
●このバンド、キチンと聴くのは今回が初めてで、ブレイク作のセカンドとかはまだ入手できてない。ちょっともう少し掘り込みたいトコロです。ファーストはアナログで300円だったけど、セカンド以降はいくらで買えるかな? 1990年にバンドが解散したアトの DR. ROBERT は、前述した PAUL WELLER の奥さん DEE C. LEE SLAM SLAM というユニットを作って、よりハウシーなダンスミュージックに挑戦します。PAUL WELLER のソロ移行にも貢献したそうな。


アンディ・ウォーホルのプロモビデオに注目。

CURIOSITY KILLED THE CAT「KEEP YOUR DISTANCE」

CURIOSITY KILLED THE CAT「KEEP YOUR DISTANCE」1987年
彼らはね、完全にアイドルです。モデル上がりのイケメン4人組ですもん。80年代後半ともなればファンカラティーナなアプローチは普通のダンスポップスだって採用します。ニューロマンティクスのような過剰な自己演出&グリッターなメイクなんてしなくても、ソウルフルでダンサブルなアプローチができる時代になりました。あ、ちなみにヘンテコなバンド名は「好奇心もホドホドに」という意味のことわざです。
●ボクがそんな彼らに注目してる理由は、晩年のアンディ・ウォーホルにプロモビデオを撮ってもらったという事実があるから。ボクはウォーホルには弱いんです。高校生だったボクは、彼のポップアートにハマり、彼の退屈なアングラ映画を見、彼が発掘した THE VELVET UNDERGROUND を聴き、メディアをまたいで活躍したウォーホルを神のように崇拝してました。その延長でこのCDも楽しく聴くわけですよ。
●さてウォーホルが撮ったプロモビデオってのが「MISFITS」という曲のモノ。このアルバムの一曲目。ボクは探して12インチシングルまで入手したです。発表当時1986年にはマクセルカセットテープのCMソングになってました。……とは言いつつ、実際にこのプロモビデオを全編見られたのはホントごく最近。技術革新ってウレシいね、YOU TUBE で初めて発見したんですわ。そんで見たら爆笑!ニューヨークの街を歌い踊る4人の後ろにウォーホル本人がテクテク歩いてる。意味わかんね。必要ないし。笑える。このマヌケ加減がウォーホルの真骨頂です。基本的に彼はボケで、常にツッコミまちなんで。
●80年代ポップスとしても、素朴にボクは好きですよ、彼らの音楽。乾いたスネアとファンキーなベース、軽快なテンポに涼しいボーカル。よく見たら、SLY & ROBBIE がリズム隊を担当してる曲もある。聴き所は「DOWN TO EARTH」「ORDINARY DAY」ってトコロでしょうか。



イギリスのドリカム。と見せかけて、実はアングラファンク上がり。

SWING OUT SISTER「ITS BETTER TO TRAVEL」

SWING OUT SISTER「IT'S BETTER TO TRAVEL」1987年

SWING OUT SISTER「GET IN TOUCH WITH YOUSELF」

SWING OUT SISTER「GET IN TOUCH WITH YOUSELF」1992年
●一枚目にはヒット曲「BREAKOUT」が、二枚目には「AM I THE SAME GIRL」(← BARBARA ACKLIN のカバー!)が収録されてます。日本でも大ヒットした曲だから、皆さん聴いた事あると思います。こんなCDならブックオフで絶対100円で見つかりますし、実際そんな値段で入手しました。自分を洋楽マニアと考える人なら、こんなセルアウトにどんな価値があるんだ、と思うような物件だと思います。男性二人&女性ボーカルという布陣が、日本のドリカムとカブる印象さえありました。
●時代的には、アシッドジャズが始動した時期です。アシッドジャズの成果をうまくメジャー市場にすくい上げたといってもイイかも。90年代風ジャズファンクの駆動感をベースにキャッチーなメロディが乗っかる高性能ポップス。この二作はプロデューサーが前述の CURIOSITY KILLED THE CAT とダブってもいます。PAUL STAVELEY O'DUFFY という人物ね。ただし、ボクが注目したいのは、洗練されたこのポップスとメンバーの出自のギャップ。
男性メンバー二人は、過去にいくつかの重要なバンドに関わった人物です。まずドラムの MARTIN JACKSON。彼はパンクバンド BUZZCOCKS HAWARD DEVOTO が次に作ったニューウェーブバンド MAGAZINE に参加してた男です。大胆なシンセ使いと奇妙なサウンドバランスにインパクトのあるバンドでした。つまりコイツは完全なポストパンク野郎です。その後 THE CHAMELEONS というバンドに加わったアトに SWING OUT SISTER を結成。一枚目のアルバムだけで脱退してしまいますが、90年代には THE DURUTTI COLUMN の録音に参加したりもしてます。
●そして、キーボーディストで音楽面の大黒柱である ANDY CONNELLコイツは伝説の暗黒ファンクバンド A CERTAIN RATIO に加入していました。70年代末ポストパンク期のマンチェスターに登場したこのバンドはいち早くファンク/ダンスの要素を音楽に組み込み、ブリストルの THE POP GROUP 一派と並んで最前衛のニューウェーブサウンドを鳴らした連中です。… A CERTAIN RATIO はスゴいです。本来陽性のモノであった黒人音楽を渾身の悪意で歪め、ダークなグルーヴを噴射しました。彼らの音楽をコールドファンクと呼ぶ人もいます。凍てつくファンク。暗黒のファンク。ハッキリ言って、この事実だけでボクは SWING OUT SISTER の評価を180度裏返してしまいました。こんなアブナい連中がどうしてこんなにポップな音楽やってるの?という興味が湧いたのです。今ココに鳴るポップスの影に、狂気のファンクが宿ってる。コレが SWING OUT SISTER のオモシロさなのです。
●ぶっちゃけ、イギリス黒人音楽の楽しさは、その誤読と確信犯的失敗にあるわけですよ。ホンモノの黒人音楽を聴きたければアメリカのソウルミュージックを聴けばイイ。イギリスの白人が黒人音楽を自分たちなりに咀嚼解釈したズレやユガミがオモシロいのですよ。異形のファンクから出発して洗練されたポップスに到達した彼らの音楽は、結局ドコまでもブラックミュージックに成りきらないままで、そして独特のユニークさを持ち続けてるのです。


ファンカラティーナと90年代が接続した瞬間。

FINE YOUNG CANNIBALS「THE RAW  THE REMIX」

FINE YOUNG CANNIBALS「THE RAW & THE REMIX」1990年
●英国白人二人組と黒人シンガーという組み合わせのバンド。SWING OUT SISTER と同じフォーメーションかもしれない。シンガーがカワイい女の子からは虫類顔の黒人男性 ROLAND GIFT に変わったというだけ。白人二人組の出自も要注意なので最初に報告しておきましょう。彼らは2トーン系スカバンド THE BEAT のギター&ベース。この時代の UK スカは、ポストパンクから枝分かれした重要なジャンルなので今後また取り扱いたいと思ってます。そして UK レゲエも。
●1989年のアルバム「THE RAW & THE COOKED」をリミックスした楽曲をコンパイルしたのがこのアルバム。1990年ともなると、すでにリミックスという概念が普通のモノになってますね。モチロン元の音源もかなりイイです。人間離れしたファルセットボーカルと乾いたトラックの質感で、80年代R&Bとしてガチの名盤となってます。音のスキマ感と抜けがよ過ぎるスネア音が、THE NEPTUNES すらを連想させるのですわ。スネアにインパクトがあり過ぎて、ヘッドホンからヒドく音が漏れてしまい、ボクは電車の中で怒られたコトがあります。
●90年代のブラックミュージックとしてハウスやヒップホップが台頭してきた時代。リミキサーには JAZZIE B NELLEE HOOPER の名前が。NATIVE TONGUE 一派の女性ラッパー MONIE LOVE がラップを乗せてるヴァージョンも。80年代ファンカラティーナはやっと90年代のブラックミュージックに到達/接続しました。表現の当事者に黒人さん達が大きく関わるようになるのも90年代的特徴。シンガー、ラッパー、リミキサー。アシッドジャズ以降のUKシーンは、イギリス黒人自身による自己表現へと大きくシフトチェンジしていくのです。

FINE YOUNG CANNIBALS「THE RAW(「THE RAW & THE COOKED」1989年)



ファンカラティーナの進化の道程。ネオアコ/ボサノバ、ジャズ、ドラムンベース。
●さて、今日もクダラナくて長い文章を書いてきましたが、次に紹介するのが最後のアーティストになります。そんな彼らは、80年代英国音楽としてど真ん中の「ネオアコ」からキャリアを起こして、最終的に90年代の英国音楽「ドラムンベース」にまで到達してしまった、そしてその意味でハイブリット音楽であるファンカラティーナの本質を貫いたようなアーティストだと、ボクは位置づけています。その名は EVERYTHING BUT THE GIRL

EVERYTHING BUT THE GIRL「EDEN」

EVERYTHING BUT THE GIRL「EDEN」1984年
ボサノバってのは、ブラジル生まれのアコースティック音楽だから、80年代イギリスのネオアコースティックシーンにスムーズに取り込まれたコトは至極自然です。ついでに言えば、ボサノバモダンジャズにも接近した様式だから、ココで鳴る音楽も実にジャジー。そんなハイブリット/ファンカラティーナ物件。
TRACY THORN という女性シンガーと BEN WATT というソングライターによる二人組ユニット。そんでこのお二人はご夫婦でもあります。名前の由来はとあるお店の看板。「女の子以外は何でも(売ってます)」って意味らしい。小粋なボサノバにオシャレな装飾をマブし、TRACY の低い声をシットリと聴かせるスタイル。
●80年代のDCブランドブームに沸く原宿で、ショップの店員「ハウスマヌカン」がBGMに選んでたという、ムカシムカシのオシャレ音楽、って先輩から聞いた。特にファーストのこのアルバムはネオアコとしては鉄板盤だとのこと。実際劣化しないキラメキがあるし、ボクにとっては初めて聴いた20歳の頃からずっと聴き飽きないCDになっています。

EVERYTHING BUT THE GIRL「IDLEWILD」

EVERYTHING BUT THE GIRL「IDLEWILD」1988年
●80年代終盤の彼らは、TRACY の味わい深い低い声をフルに生かした、アダルトオリエンテッド・ミュージックになりました。ボサノバやネオアコの様式を軽やかに脱皮して、UK ブルーアイドソウルの色が濃くなったしっとりポップス。ジャケはなんかカッコワルいね…バカ夫婦のイタい2ショット写真になってるよ。

EVERYTHING BUT THE GIRL「THE LANGUAGE OF LIFE」

EVERYTHING BUT THE GIRL「THE LANGUAGE OF LIFE」1990年
ジャズフュージョン~AOR の辣腕プロデューサー TOMMY LIPUMA を召喚。カレのホーム・ロサンゼルスで録音してより洗練されたスタイルへ。JOE SAMPLE、MICHAEL BRECKER など一流フュージョン野郎が結集。ベテランサックス奏者 STAN GETZ は生まれたてのボサノバに一早く注目してモダンジャズに取り込んだ巨匠。そんな連中のサポートでマジキラキラしてます。

EVERYTHING BUT THE GIRL「WORLDWIDE」

EVERYTHING BUT THE GIRL「WORLDWIDE」1991年
●ヒットシングル一曲目の「OLD FRIENDS」に代表されるシンセ&デジピアノ使いで、前作を踏襲するキラキラ増幅路線。音数も多くないシンプルな構成なのにアレンジの薄さは感じない。ネオアコ上がりのジャズアプローチを通過した高機能ポップスという位置づけか。相変わらず TRACY の声はナイスな低音ですが。

EVERYTHING BUT THE GIRL「AMPLIFIED HEART」

EVERYTHING BUT THE GIRL「AMPLIFIED HEART」1994年
●いつになくロックっぽいジャケになりました。ベリーショートまたはカリアゲの TRACY に、ムサい胸毛を晒す BEN。90年代のロック状況を受けたのか、シンセ色後退、バンド演奏の生々しさを敢えて強調したザラザラの質感。ウッドベースの弦がぶるーんと震える響き。生ストリングスのゴージャス感。ギターの音もよく聴こえる。
●ただし、最後のボーナストラックに不穏な予兆が見えるのです。「MISSING (TODD TERRY CLUB MIX)」。コレが完全なクラブミュージック仕様。ココに次作の大変身が予告されてた。

EVERYTHING BUT THE GIRL「WALKING WOUNDED」

EVERYTHING BUT THE GIRL「WALKING WOUNDED」1996年
●さて、コレは発表当時かなり話題になった問題作ですわ。突如として、彼らはハウス/ドラムンベースに転向するのです。リアルタイムの感覚ではマジビビった。なんてったってネオアコの大御所だからね。それがナゼ最先端のクラブミュージックへ? BEN はこの作品に絡めてこう語った。「ドラムンベースは、21世紀のボサノバだ」ボサノバ(BOSSA NOVA)というコトバは本来「新潮流」という意味。つまりニューウェーヴだ。90年代のイギリスで生まれた新潮流ドラムンベースに乗っかる事は決して矛盾ではない…。しかし大胆な変身だった。
●基本はセルフプロデュース。しかし一部でセンスのイイトラックメイカーの名前も見える。ボクが気になるのは HOWIE B だ。独特のヒップホップセンスをハウス/トリップホップ的音楽に取り込み、ユニークな音像を構築する。一時期の BJORK にトラック提供して話題になったっけ。クラブミュージックに接近した時期の U2 の背後にも彼の存在がある。…それでもTRACY THORN の声はどんなトラックに対しても落ち着いた存在感を保ち続けている。ソコもオドロキのポイントだった。
●現在の彼らは、ネオアコから一万光年離れたディープハウスの世界にいる。BEN WATT が病気を患った事でオリジナルアルバムは00年代に入って一枚も出せてないが、彼はハウスシーンの真ん中でDJ/トラックメイカーとして大活躍らしい。TRACY THORN はソロシンガーとしての活動を。本当の「新潮流(=ボサノバ)」を求めて、ネオアコからディープハウスまで。時代に対してシナヤカに反応していくのも、モッズの美学である。モッズは、MODS、つまり MODERNS の略だ。モダンであり続ける為には最先端であり続けなくてはならない。イギリスのシーンが常にオモシロいのはその躍動感に根拠があると思う。


●このアトのUKシーンについては、こちらの記事にも書きました。まだ書き足りないけど。もしよろしければご参考に。
「80年代末から現在まで、UKのブラックミュージックを一気に俯瞰する。」
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-entry-418.html


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