自律神経失調症とのお付合い(その116)~「クスリが残るコトの感動」編

●春眠暁ヲ覚エズ……異常に眠い。ここのトコロ一日中、ひたすら眠かった。
●仕事にならないくらい眠いので、18時30分の定時にカッチリと会社を出た。電車の中でもひたすら眠い。

●ハタと、気づいた。コレは季節のせいではない。クスリのせいだ。

●先週末から疲れが溜まって、クラクラしてたんだよね。ぜんそくも出かかってたし、非常に具合が悪かった。だから、レギュラーのクスリに加えて、ポンポンと頓服の安定剤をブチ込んでみた。具体的に言うと、デパス0.5mg×2。

●コレがことのほか重く効いた。コイツのせいで眠いんだ。安定剤の効果を引きずってたのかー、と気づいたのがたった今。いわゆる「クスリが残る」ってヤツだったのだ。

ボクは今、コレを感慨深く思ってる。
●数ある精神安定剤の中でも、デパスはそこそこキツく効く方だが効果は短い。多分序の口レベルだ。去年の今頃のボクなら、デパス2錠程度で眠いだなんて感じもしなかった。それが今や、幾日もその効果を引きずり眠い眠いと感じちゃうなんて…。つまりは、クスリが重く感じるほど、ボクのカラダはマトモになってるのだ。
デパス、好きだったのに。愛おしいおクスリちゃんよ、そろそろお別れの季節だね。お世話になったが、もうキミはボクには必要ないみたいだよ。
●……コンスタンというクスリとお別れした時も、なんか同じようなサヨナラ気分を感じたなあ。こう書くと「オマエはヤク中か」と疑われるけど、肌身離さず携帯してるクスリには愛着わくモノですよ。常にカバンの中にクスリ袋を持ってるコト、飲まないけど「いつでもクスリが飲める状態にある」コトで、心理的に安心出来るって場面もあるのさ。


●強烈ドラッグ世界を描くマンガを読む。

小池桂一「ウルトラへヴン」3

小池桂一「ウルトラへヴン」1~3巻
●ボクはチョイ増量の安定剤でボンヤリしてたのに、日曜日の午後イッパイを、こんなケッタイなマンガを読んで過ごしてた。様々なドラッグやキカイで感情や感覚を操作するコトが出来るようになった近未来。ヤク中青年カブが、謎のドラッグ「ウルトラへブン」と出会い、そりゃもうキュワキュワの感覚体験をしてしまう物語。
●第一巻が出たのが2002年。第二巻で2005年。そんで未完のままで終わるのかなーと思ってたら去年12月に突然第三巻が出た。この人キャリアは長いけど寡作と見えて他の作品はほとんど見ない。そもそもこの「ウルトラへヴン」ですら、下北ヴィレッジヴァンガードでは激押しだけど、ソレ以外のトコロで見た事がない。とってもレアな作家さんと見られます。
●しかし、その作風はまさしく強烈で、現実感覚がひしゃげて崩れていく様を、あらゆるアイディアを投入して紙に着地させていく技は神業なのでした。この一ページを描くのにどんだけの時間をかけたんだろう、寡作も当然だと思うような高密度。フランスの大家メビウス、アメリカのカルトサイケ作家ジム・ウードリング、そして「AKIRA」で全開だった頃の大友克洋さんの気分を、グラグラ煮詰めてドロドロに溶かして、インナートリップ方向に果てしなく落とし込んでったような感じです。うん、この表現、全然説明になってない。
●しかも、2010年になってもオハナシは今だイントロ部分から少々突っ込んだ程度、大風呂敷を広げたものの、一体どんだけ時間をかけて収拾つけるのか全然わかりません。あーなんか収拾つけてほしくもないですけど。そのままぶっ飛んでもらった方が、このマンガには相応しい決着かも。

●第一巻は、主人公と謎のドラッグ「ウルトラへヴン」との出会いが描かれてます。奇妙なオッサンにそそのかされてキメてみたらあら大変!幻覚と現実の境目が見えない強力な統合失調的世界がパコーンと開いて、読者もその現実感覚をグラグラにシャッフルされます。オエ気持ち悪い、と思うか。ギンギンに素晴らしいと思うか。多分その両方です。
●第二巻は、「アンプ」という瞑想キカイで、ガールフレンドと脳波をシンクロさせて超感覚の世界に没入する様子が、これまたサイコーなテンションで描かれます。主人公は幼少の原体験にまで手を突っ込まれ、そこから開いてしまった暗黒の深淵が為す技か、脳内幻覚が現実世界に逆影響を及ぼすサイキックな領域まで踏み込みます。
●そんで第三巻。瞑想テーマパークとも言うべき施設に乗り込んだ主人公は、大勢の意識とシンクロしながら、そのヤク中としての天才的才能を発揮して大混乱を引き起こす。なんかスケールがデカ過ぎてなんかワケ分かんなくなってきた。この続きの単行本までまた数年待たされると思うと、「ああ、終わらないで、もっと楽しませて」とマジで思ってしまった快楽/恐怖体験でした。
●ボクは本来ドラッグ神秘主義とかって時代遅れだなって思ってるんですよ。「知覚の扉が開く」というフレーズで、JIM MORRISON は自分のバンドを THE DOORS って名付けちゃったりしたけど(そしてこのフレーズが「ウルトラへヴン」にも登場するけど)、やっぱソレは60年代の出来事でしょう。今、どれだけ有効かというとギモン。でも、ソレを割り引いても、この「ウルトラへヴン」の紙上ドラッグ実験はスゴい。想像力の翼を目一杯広げて超感覚の世界を切り拓こうとしている。しかもシラフで。ホントにクスリしてたらこんな精緻な表現はできないよ。安定剤飲んでおネムになるだけです。


さて、ここで1つ問題。クスリの効果で得た感情や性格は、ホンモノか?
「ウルトラへヴン」の世界は、バーみたいな場所でカクテルのようにドラッグを調合してもらい、ソレを打っては気分や感情を切り替えるコトがフツウになってます。鬱々として死にそうになってる人が、一発のクスリで生きる喜びに涙しちゃうみたいな。
精神科のクスリを飲んで、性格が変わる人がいます。ソレが「治療」ってヤツだし。無難に暮らせるようになったり、気分が落ち着いたり、明るくなったり。まークスリだけで劇的に変わるわけじゃないけどねー。
●でもソレって、ホンモノなのか?ケミカルでムリヤリ矯正/修正してるってヤツじゃないか?ソコに「本来の自分」とか「個性」とか「アイデンティティ」とか「自我」とかが歪まされてる状況があるのではないか?クスリが抜けりゃ元に戻るとかじゃ、ドッチがホンモノだよ?って疑問が生じる。そんな問題。みなさんどう思います?コレ難しいよね。この問いには、人それぞれの考え方/答え方があるよね。

ボクなりの答え。「本来の自分」という発想を捨てる。
●ホンモノかニセモノかという真偽の問題が発生するには、「本来の自分」という視点が存在してるコトが前提になってます。この前提がなければ、問題自体も成り立たない。ホンモノもニセモノもない、クスリを飲んでいようといまいと、今現在の自分がオマエそのものだ、と自分に言う。シンプルな結論ですが、ボクはそう考えてます。
「本来の自分」を想定したとします。それが過去のイイ時期にあった自分であろうと、将来到達するであろうナイスな自分であろうと、ソレは今現在の自分という視座から照射されたモノ、現状の自分によって都合良く加工可能なモノになってしまう。具体的に言い換えるとソイツは「あるべき自分という願望」。つまりは今現在の自分が映し出した幻影にすぎない。オマケに今現在の自分を疎外する性質のある幻影なんだよなあ。幻影を追っかけるのも悪くはないが、ボクは幻影に呑まれるのはイヤだ。そう考えると「アイデンティティはなんぞや」と問う事すらムダな気がしてくる。そんなにヒマじゃない。幻影を振り切れ。過去も未来も振り切って、今現在に集中しろ。
●四の五の考えるな、今したい事だけをしろ。自分の行動に一貫性を持たせるな。自分を裏切れ。予想もしない事をワザとしてみろ。見る前に飛べ。……そんなコトを自分に真剣に課して行動した上で、それでも自分の行動に規則性/一貫性が出てしまう場合は、それが初めて「個性」と言えるモノなんじゃないかなーと思う。でもボクはそんな「個性」を別の言い方で捉えますけどね。ソレは「自分の限界」ってヤツです。コレ以上は先に行けないという限度ってワケ。その意味で、ボクにとっては「本来の自分」とか「個性」とかはネガティブ要因として働きます。

●コレは、精神科のクスリを媒介にして考えてみた、「ジブン探し」批判です。あんま上手くいかなかったね。シッパイ。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20100126.html


●ドラッグ体験と、音楽ジャンルとしてのサイケデリックは、別口&別腹ってコトで。最近よく聴いてた二枚。

THE FLAMING LIPS「YOSHIMI BATTLES THE PINK ROBOTS」

THE FLAMING LIPS「YOSHIMI BATTLES THE PINK ROBOTS」2002年
●80年代後半から、グランジ/オルタナティブの90年代、そして現在に至るまで、キチンと自分の音楽を育ててきたアメリカのサイケデリックロックバンド。WAYNE COYNE という味出しまくりのオッサンが中心となって、無邪気でチャーミングな夢の国を描いてくれてます。
●アルバムタイトルにある YOSHIMI ちゃんってのは、明白に BOREDOMS/OOIOO のコアメンバーであるヨシミさんに由来してるのでしょう(本人が日本語でナニかしゃべってる声も聴こえるし)。アルバムの世界観の中では、カワイい少女ヨシミちゃんはカラテの黒帯。悪のロボットと戦って、哀れなボクちゃんがロボットに食べられないようにしてくれてるという設定。不思議の国のアリスのように、ヨシミちゃんはこのトンチンカンな世界を縦横無尽に駆け巡ってる。その箱庭宇宙がイチイチチャーミングで、実に甘美。何回聴いても聴き飽きない。実験的かもしれないけどトビキリポップでもあります。
●このバンドは芸歴が長い。80年代の段階で3枚もアルバム出してる。ボクがこのバンドを聴くようになったのは1992年のアルバムからで、一番好きだったのは「TRANSMISSIONS FROM THE SATELLITE HEART」1993年という作品。時代の流れを見事に汲み取ってクソのようにグランジ/ロウファイでした(イイ意味ですよ)。当時はササクレだったガリガリギターが炸裂してて、「YOSHIMI~」で聴けるような甘美なポップ音像からは想像もつかない荒れ狂い様。しかし、人を喰ったような奇妙な愛嬌は当時から健在でした。
●1997年の「ZAIREEKA」って作品が驚異的。なんとCD4枚組。しかもスゴいコトに、この四枚をイッペンにプレイすると、シンクロして1つの音楽に合体するというコンセプト。そんで、もちろん一枚づつ聴いてもキチンと成立してるっていうんですよ。で、ボクはこの最高にシビレるアイディアに感動し、店で発見した瞬間に全く迷わず即決で買った訳です限定生産っぽかったし。ところがだ、冷静に考えると、当然ながら4枚のCDをイッペンに鳴らすシステムなんてウチにないわけで。この素晴らしいコンセプトに大いに共感しながら、実は今だ一回もマトモに聴けていない、というマヌケぶり。つーか、みんなどうやって聴いてるの?
●実はこのデカ過ぎる大作にボクは少々怯んで、00年代の THE FLAMING LIPS はあまり聴いてこなかった。今「YOSHIMI~」を聴くのは、実はお久しぶり体験なのでした。90年代とは全然違うドリーミーな音像に胸キュンしたので、この前後の作品が欲しくなってるのでした。

MERCURY REV「DESERTERS SONG」

MERCURY REV「DESERTER'S SONG」1998年
●ボクの中では THE FLAMING LIPS と似た性質の音楽として捉えてたバンド。同じような手法でグランジ時代のサイケデリアを模索してたし、現在に至るまでキチンと活動してる。
●そんで今回調べてみたら、実際人間関係においても THE FLAMING LIPS と近いコトがわかった。リードボーカル JONATHAN DONAHUE は88~91年の間 THE FLAMING LIPS にギタリストとして参加してたし、ベーシスト DAVE FRIDMANN は90年代以降 THE FLAMING LIPS のほとんどのアルバムでプロデューサーを務めてる。なんだ、マジで仲良しじゃん。
●ボクがリアルタイムで聴いてたアルバム「BOCES」1993年の頃は、強烈なグランジ砂嵐の中に放り込まれるような殺伐サウンドだったんだけど、メジャーでの評価を上げた1998年の今作では、「YOSHIMI ~」に通じるような、甘美で温もりのある音楽が鳴っている。弱き者を温かく包むように、どこまでも優しく奥ゆかしくい音。アルバムタイトル「脱走兵の歌」ってのが象徴的だよね。THE FLAMING LIPS「YOSHIMI ~」楽しい童話世界を描いてるとするなら、コチラは傷ついた者をいたわる子守唄と言えるかも。
●ひょろろろろろろ~って音がチラチラでてきて味出しまくりなんですが、クレジットみたら「BOWED SAW」って書いてあった。ノコギリだ!ノコギリを弓で弾く「ミュージックソー」だ。イイねえ。

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