自律神経失調症とのお付合い(その117)~「制限勤務解除と人事異動」編

●久しぶりに、ボクの持病であります、自律神経失調症のオハナシをします。ここのところしばらくは、ビョウキのコトアレコレ書くのがオックウになってたんですけど、最近は一気にアレコレ出来事が起きたもんですから。


むー。病状といえば、ボチボチ。
●相変わらず、毎晩、睡眠薬が手放せません。相変わらず、毎朝、精神安定剤を飲んでます。気分が悪いと、朝起きれません。カイシャに行ける気がしねえ~って身悶えます。でマジで遅刻します。それでも仕事はシレッとします。してるフリだけでもします。で家に帰って倒れます。ガマンしてたカラダ中のキシミに存分に身悶えます。いてててて。アタマいてえ肩いてえ腰いてえ背中いてえ眼球のウラいてえ各所もろもろがいてえ。総合的に言いますと、実に余裕がありません。シンドイ。


そんな状況ですが、先月で復職から一年が経過したコトになります。
●5月の連休明けの頃かな…隔週で続けてるカウンセリングで相談を1つしてみました。「別に急ぎたいつもりはないのですが、制限勤務の解除の相談を初めてみてもイイですかね?」「制限勤務」ってのは、つまり残業禁止措置というコトでして、病人のボクをかばう意図でカイシャが働かせないようにしてる状態なのです。ソレが解除になったらイイなーというつもりの相談をアレコレで始めたいというコトなのです。
●オマエ残業する余裕なんてあるの?「制限勤務」のママのほうが無難じゃないの?という声もあるでしょう。しかしですね、実質上すでにボチボチ残業しちゃってるんですわ。古来ハイパー長時間残業体質の我がカイシャの企業カルチャーにおいて、完全なる残業なしはあり得ない状態。「制限勤務」があってもなくても残業するなら、そんなモン取っ払ってちゃんと残業手当がもらいたい、とボクは考えたのでした。「まー時期を定めずというコトなら、主治医に相談してみたらいいでしょう」カウンセラーの先生はそう答えました。そして、この時点ではボクもそんなに速攻でコトを進めるつもりはなかったのです。


そして、赤坂の主治医と話す。「いいでしょう、診断書書きます」
●ぶっちゃけ、ボクはこの赤坂のクリニックの先生を信用していない。カイシャに近い、すいている、ってメリットがなければ速攻で別の病院に移りたい。なんか繊細さに欠けるんだよな。「頭痛や節々の痛みが我慢できないんです」とボクが訴えると、堂々と「根性で乗り越えて下さい」と言う。根性でどうかなるなら病院なんか来ないしクスリも飲まねえよ!
●そんな先生に「制限勤務」の相談をしたら、瞬間的に「あー!もう平気ですよ、制限勤務、解除しましょう」とリアクションした。判断に2秒とかかってない。うわあ相変わらず大味な診断だな…そんな簡単に解除しちゃっていいんですか?「もうダイジョウブでしょう?」ダイジョウブかどうかは常に微妙ですよ毎日しんどいですし。「でもここらで状況を変えた方がいいでしょう」…変えた方がイイですかね?「イイですよ。早速診断書を書きましょう」

診断:うつ病(寛解) 
内容:上記診断で就業時間制限が必要であったが、2月上旬より寛解状態であるため、今後は就業上の措置は不要であるものとする。以下余白。

●アッケラカンと診断書はゲットできてしまった。この三行の文字の為に保険の利かない3000円がかかると思うと少々悔しい。
●この日を境に、この先生の診察は「はい今週も特に変わりありませんね」とヒトコト言って、クスリだけを出すだけのモノになってしまった。薬局と変わらないよもう。まー割り切った関係というコトで。


さて5月第三週。再びカウンセリング。診断書もらって来ちゃいました。
●カウンセラーの先生、こんなに早く診断書が出るとは予想してなかった、という表情を見せつつも、あくまで冷静に振る舞う。「……主治医の判断は尊重しないといけないし、診断書も寝かせてしまったらムダになってしまうからね」はい。「それでは産業医の先生と話して、人事部に制限勤務解除の手続きをしてもらうよう動きましょう」そんでまた一枚診断書が出来た。カイシャの産業医の先生が書いたものだ。コレが会社の中を巡って行く。

病名:うつ病 上記診断で加療中であるが症状軽快安定のため、制限勤務を解除する。


結果として、6月1日。制限勤務が解除された。
●復職からちょうど一年目。これで晴れて残業をしていい身分となった。5月最終週、人事部のエラい人と面談して、今後のボクの待遇、手当の内容が説明された。
●しかし。ココで知ったのだが、ボクはまだ健康上の要注意人物なので、残業をしても手当の額は正規の水準ではもらえないという。うーん。正直ちょっと凹んだ。ボクが今だカタワモノ扱いなのは変わらないってコトが、微妙な具合にアタマにこびり付いた。
●しかし、ビョウキは相変わらずボクの体に巣食っているのはマチガイナイ事実だし、かつてのように一日20時間労働とか二晩徹夜のような自殺行為的残業はするつもりは毛頭ないので、「わかりました、それでイイです」的な返事をした。ボクってつくづく中途半端な人間になっちゃったなあ。


●6月。今までと特に変わらず働いた。ほどほどなノリで。残業もゼロにはできないが、特別増やしもしなかった。一方、ちょいちょい新しい仕事も作ったし、ソレがちょいちょい楽しめたらイイなと思ってた。


で、先週。突然ボスに呼び出された。
「unimogroove、時間ある?」ケイタイにボスの声。えーと、ちょうど今から○○さんの会議に出るのでソレ終わりでしたら…「その会議出ないでイイわ。ひとまずコッチ来て」はあ。そんで小部屋に連れてかれて…そしてイキナリ。「unimogroove、キミね、異動!」あー!マジですか!異動ですか!「うん、ある意味でイイ節目でしょ」あー…節目ですか…そうかなあ…そうかもしれないなあ…でも本質的にはあまりカンケイないような気がするなあ…。
復職明けの病人は、基本的に人事異動させないというルールがあったはずだ。しかし、ボクは人事異動となった。ああつまりボクは「復職明け」カテゴリーから外れたというコトだな。「制限勤務解除」ってそんな意味まであったのか。そこまでは考えてなかった。ボクは浅はかだったのか?


人事異動は9年ぶりなんです。でも周囲はそれなりのケアをしてくれてる。
●ボクの異動先は、ある意味では今の仕事とそんなに変わらないようなプロジェクトである。しかしその業績たるや、危機的なピンチをなんとかくぐり抜けたが依然として旗色が悪く、より積極的な体質改善が必要とされてるとのウワサ。ボクだけじゃない、5~6人の社員が今回の異動で追加投入されるコトになってた。うわ~物騒だなキナ臭いなあ。ダイジョウブかなあ。
●ただし今のボスもそれなりに配慮はしてくれた。ボクがスムーズに引継ぎできるよう、深いオーバーラップ期間を設けてくれた。本来なら7月1日付けで完全スイッチだが、一ヶ月以上の移行期間を設けてくれた。実際にデスクの引越をして新しい仕事に取りかかるはまだ先だ。新しいボスも「カラダのコトは聞いてるから。イキナリギア4速から入るのはタイヘンだろうから、慣れるまではユックリしてもらうつもり。むしろヒマと思うかも知れない」と言ってくれた。なんかスイマセンあれこれ気をつかってくれまして。
●今週は、異動先のプロジェクトに関わってる後輩のオンナノコがボクのデスクを珍しく訪ねてきてくれた。「unimogrooveさん、聞きましたよ、異動でコッチくるんですってね」うんそうなの。今度よく聞かせてまだ全然わかってないから。「unimogrooveさん、ダイジョウブですよ!正直言ってちょっと前まではホント大変でした。でもね今はグッと落ち着いてきたんで、もう平気です。安心して異動してきてください」ナニナニ?もしかしてボクが不安がってると思って、わざわざ安心させる為に来てくれたの?「ホントダイジョウブですからね!」わーありがとねーソコまで気をつかってくれて。彼女はボクが体調を崩す直接のキッカケになったプロジェクトで一緒に組んだ仲間でありました。それはそれは血みどろの死闘でした。誰が敵だかわからない、つーか前に出ると背中から射たれるような戦いでした。彼女はボクが壊れる瞬間を見てるからな。だから心配してくれたんだろうな。


とはいえ、不安はないとは言えない。一気に不眠が進む。
●理屈とアタマでは受け止めたとはいえ、「異動」はやっぱ大きな心理的プレッシャーになってる。ここのトコロ睡眠が浅い。簡単な事で目が覚める。朝起きても寝た気がしない。くそーコレはやっぱりココロの部分でショックを受けてるってコトだろうな。
●今のプロジェクトは、2001年の立上げの瞬間から一貫して関わってきたモノだから思い入れは実に深い。周りのスタッフも一人一人に思い入れがあるし、数々の思い出もある。別にボク一人が抜けたトコロでなんか不便も不都合も起こらないだろうし、そもそもビョウキになった段階で一人分の働きも出来てないんだから、お払い箱になって当然とも思うんだけど……どうしてもね、やっぱりね、ワリと寂しいね。


そして7月スタート。やり残した仕事、後始末や引継ぎの仕事を淡々とこなす。
●まだ異動の実感が湧いてこない。当のボクがそうだから周囲のスタッフもなおさらだ。関係者の人たちにも異動のアイサツしてるが、何分まだ時間は余ってるから実に中途半端だ。着手したばかりの仕事もあるからソレもこなさなくては。10月に仕掛けるつもりだった構想は後輩に受け継いでもらわないと。そして体調管理。不安でモノが手につかなくなる瞬間がある。冷静に冷静に。慎重に慎重に。
●そして新しいプロジェクトのコトは、まだ考えない。今のボクのキャパでは、イッペンにはコナせない。実際に異動の瞬間が来れば、また特別な感情が湧き起こるだろう。でも、それはその時に考える事にしよう。


●以前の「自律神経失調症とのお付合い」シリーズは下記の記事にまとめております。ご参考に。
 http://unimogroove.blog4.fc2.com/blog-date-20100126.html



●今日は、ブレイクまでに6年間かかったレコードを聴く。

CHARLENE「IVE NEVER BEEN TO ME」

CHARLENE「I'VE NEVER BEEN TO ME」1976年
●このレコードは、リリースされてから世間に評価されるまで6年もかかったというエピソードがある。多分、ボクも完全にビョウキを克服してノビノビと働けるようになるには、6年くらいかかるんだろうなーと思いながら、コレを聴いてる。
●彼女は、ブラックミュージックの王道レーベル MOTOWN が敢えてフックアップした白人シンガー。少々ハスキーで落ち着きあるボーカルに、シックで都会的なバラードを歌わせたのでした。それが1976年のコト。でもって1977年のチャートアクションではビルボードで97位という成績。簡単に言えばサッパリな売上げでした。
●ところが、6年という時間が経過した1982年。フロリダのラジオ局が表題曲「I'VE NEVER BEEN TO ME」をスピン。コレが意外な再評価を呼んで、たちまち大ヒット。アメリカで最高三位、イギリスでは一位を獲得。当の本人は音楽業界から足を洗って、ロンドンのお菓子屋さんに勤めてた時のことでした。…結局は実質上この一発ヒットに終わってしまうコトになるのですが、それでも十分に彼女の苦労は報われたことでしょう。
●彼女は結構な苦労人。幼少の頃から思い持病を抱えてた彼女は孤独な少女時代を送り、16歳には学校をドロップアウト。17歳で結婚&出産。しかしドラッグに溺れ離婚もし生活はボロボロ。歌手になりたいというユメも崩壊寸前でした。MOTOWN の幹部にフックアップされたのは24歳の時。26歳でこの作品をリリースしたのです。さっぱリな売上げに凹んだ時期もありましたが、ブレイク時には敬虔なクリスチャンに成長していたといいます。コツコツと地道にジブンの人生を積み上げて行くコトの大切さが、この曲から伝わってきます。



「ジョージアからカルフォルニアまで、行ける所はドコにでも行ったわ
 心優しい男性と出会って、恋をしたこともあったわ
 だけど、結局はその愛しい人々や場所から逃げてしまうの
 なぜなら、いつも自由でいたかったから
 天国のような幸せを味わってみても
 私は結局、私というものをつかむことができなかったの」


 
 
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