見てきました。アリエッティ。

「借りぐらしのアリエッティ」

「借りぐらしのアリエッティ」
●やっぱジブリはイイです。実に丁寧に作られた工芸品です。おススメです。前作「ポニョ」がスゴすぎるので(アレはボクのジブリランキングでは最高峰)、ちと地味に見えてしまうかも。でも宮崎駿以外の作品の中では「最高」って言っちゃいます。「ゲド戦記」よりはズッとイイ。とにかく画が圧倒的にキレイ。風にそよぐ枝葉の動き、日光が透ける葉脈の一本一本、瑞々しく光るしずくの玉、身長10cmの小人視点から描かれる自然の美しさ。舞台は現代日本の住宅街、古いお屋敷の庭だけ。ごくフツウ当たり前の風景をココまでステキに描く職人根性がスゴい。
●ストーリーは明快でシンプル。「ボーイ・ミーツ・ガール」。少年は病弱で、少女は小人でした。二人の出会いは掟に反することで、そして二人は別れていく。たった4日間チョイの出来事。それでもローティーンの彼らにはあまりに刺激的だった濃密な心の交流。その儚さがジンワリ響くのです……実はコドモよりもワイフの方がハマってました…終盤ハンカチが手放せなくなってる。
●ヒヨコは、ドールハウスがウレシかったみたい。「シルバニアみたい!」立派なシルバニアコレクションが彼女の自慢なのです。彼女の感想「ヒヨコね、小人さんこの家にすんでイイですよ、ってカンバンつくろうと思うの」


「借りぐらし」ってナニ?
アリエッティや小人たちは、自分たちを「借りぐらし」と呼びます。人間たちの生活から自分たちに必要な物資を拝借して暮らすイキモノなのです。ぶっちゃけドロボウです。「盗みぐらし」でもイイかもしれません。人間に寄生してるんです。
「借りぐらし」の生活は採集活動です。縄文人が採集/狩猟活動で生活を成り立たせてたのを連想させます。彼らは物資をゲットする行為を「狩り」ではなく「借り」と呼びます。しかし「借り」は最低限の量に留めおかれます。ハーブの葉一枚を一年間かけて使うほどの消費量です。彼らの最大の禁忌は自分たちの存在を宿主に知られること。絶対に気づかれぬよう、わずかな量を謙虚に「借りる」、そしてソレを工夫して長く使う。コレが「借りぐらし」の美学です。
●そんな「借りぐらし」を少年は「滅びゆく種族」と言い放ちます。この世界には67億の人間がいる。キミたちはわずかな数しかいない。その言葉にアリエッティは涙ながらに抗議します。「私たちは滅びたりなんてしない!」

その67億もの人間たちは、この地球環境に寄生して暮らしております。地球環境から独立して暮らすコトはまだ出来ません。しかしこの人間たちに「借りぐらし」のような謙虚な美学があるか? 宿主/地球環境をおびただしく破壊して際限ない搾取を我が物顔に続けております。「借りぐらし」は小さなコミュニティで生活する種族ですから交換経済も貨幣経済もありません。しかし67億の人間社会は、環境からの無限搾取を前提とした経済の永久駆動がなければ生きて行けないのです。冷静に考えれば、人間こそが「呪われた種族」です。そして「滅びゆく種族」なのかもしれません。
ジブリ鈴木敏夫プロデューサーはインタビューで「現代日本人は多くを買い過ぎてしまった」というようなコトを言っていました。2010年の日本にこの作品を投下する意味は、失われた10年~リーマンズショック以降を立ち直れずにいる閉塞感へのメッセージだ、という文脈だったと思います。高度資本主義社会の黄昏れ時に、原点へ回帰せよ、と主張しているように思えます。
ジブリのメッセージは、往々にして「旧世代のウルトラノスタルジー」にしか響かない場面もあります。単純な反動に意味はあるのか?しかしそもそも宮崎駿鈴木Pがウルトラ頑固親父なのです。彼らには iPad ですら小賢しいオモチャにしか見えない。近所の死ぬほど怖いカミナリ親父ポジションなのです。しかしジブリウルトラ頑固がゆえのウルトラ職人主義でクオリティが保持されているのです。単なる回顧主義と時代錯誤だ、と批判するには相手がデカ過ぎる。21世紀の世代は、エンピツ一本で勝負する親父を、今だ駆逐できないでいるのです。

●しかし、今回のカントクは37歳の新人。実はこの米林宏昌カントクに文明批判の視点は全然ありません。企画/脚本を手掛けた宮崎駿さんや鈴木Pは「借りぐらし」に批評的意味を盛り込みたかったのかもしれませんが、仕上がった映像の中でその文脈はまるっきり薄まってしまってます。もっと無邪気でもっと繊細で。ヘリクツなど必要としていない。コレが新世代の感覚?コレがイイコトなのかワルいコトなのか?……それでも宮崎駿さんは最初の試写で、一番に立ちあがって拍手をしたと言われています。

床下の小人たち

メアリー・ノートン「床下の小人たち」「アリエッティ」の原作本です。1950年代のイギリスで書かれたモノですから、映画とは大分おもむきが違いました…。さすがジブリ、映画「アリエッティ」は絶妙なアレンジが施されています。今回登場するアリエッティのお母さんはピーピーサワガしいヘタレさんです。「ポニョ」に登場する母親は圧倒的な母性パワーで世界を救う勢いでしたが、今回のヘタレ母さんは原作に大きく引っ張られた設定になってます。原作は大幅にイケテナイお母さんなのです。
Kari-gurashi~借りぐらし~(借りぐらしのアリエッティ・イメージ歌集アルバム)
CECILE CORBEL「KARI-GURACHI(借りぐらしのアリエッティ・イメージ歌集アルバム)」2010年
●映画を見る時には、効果音に注意を払ってみてください。身長10cmの小人から見たら、夕立は洪水に、ドラネコが猛獣になります。効果音はその感覚の差を細かく計算して作っています。映画館ならではの音響システムで聴くと実に気持ちイイ。
●そして音楽。快活な少女アリエッティの瑞々しい生命力を象徴するように、可憐な音楽が響きます。今回抜擢されたのはフランス人女性ハーピスト。エキゾチックな楽器と長い赤毛。セシルさんのその佇まいはまるで魔女のよう。「ハリー・ポッター」に登場しても不思議じゃないような存在感です。フィドルとハープが織りなす音楽は、非キリスト教由来の、因習深い古ヨーロッパ文化を連想させます。パッと聴いた印象は、アイルランドのケルト音楽。でもセシルさんはフランス人だから違う系統なのかな…と思ったのですが、彼女はフランスの中でも独自のケルト文化が残るブルターニュ地方の出身だったのでした。ケルト文化にはレプラコーンという小人伝承が残っています。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://unimogroove.blog4.fc2.com/tb.php/941-740ee708